上之町神社

春日井市鳥居松町8 上之町神社
市内を東西に延びる下街道の一本南の筋にあたり、上ノ町公民堂のある小さな公園の中の小さな神社。

公園西角からの全景、公園内右手が公民堂、神社は公園の左手の角に鎮座します。
周辺は幅員の狭い通りの住宅街で駐車余地はありません、なので車だと厄介になる。

遊具の先に石垣が積まれ、その上に玉垣で囲われた社が祀られています。
ここはとても開放的な雰囲気を感じる、公園に隣接する事もあり子供達と神社の存在がとても身近。
地元の子供達が園内に集いかくれんぼでもしているようだ。
「罰が当たる」と怒られそうだが、神社は彼らにとって絶好の遊び場でもあるようだ。

公園の中に鳥居があり、左手に社殿、公園と神社を隔てるものはありません。
傍で子供達が賑やかに戯れる姿を眺めるように神社がある、神様も悪い気はしないのではないだろうか。

鳥居からの眺め、境内正面に石造の社と鳥居をくぐった右側に石標があります。

境内の右側の石標は大山祗命と刻まれています。
海の神、山の神として崇められますが、ここでは恐らく山の神として祀られているのでは。
以前からここに祀られていたものなのか、周辺から移されたものなのか定かではありませんが、真っ白な社殿に比べ年代は多少違う様に見えます。

石造の社、祭神や創建などの詳細は不明です。
こうして石の社を見ると、なんとなく山の神を祀っているような雰囲気もあります。

公民堂の上ノ町が社名から来ているのか?旧町村名から付けられたのか?春日井市の沿革を調べても上ノ町にたどり着きません。 町村名なら創建時期も推測できるかと思っていましたが…分からず終いです。

由緒など分からない小さな神社ですが、こうして子供達が戯れている光景は身近な存在の神様として親しまれているのが分ります。
消えていく社がある中で、上之町神社の将来はこの子らが支え残っていくのではないだろうか。

こうして子供達の遊ぶ姿がある神社に出会うと、昔の自分を見るようで個人的に好きな光景です。
少し前は近所に必ず一人や二人は雷親父がいたもので、こうして遊んでいて良く怒られたものだ。
雷親父も最近は絶滅危惧種になったのかも

上之町神社
創建 / 不明
祭神 /   不明
住所 /    ​春日井市鳥居松町8-102
公共交通機関アクセス / JR中央線「春日井」駅から​徒歩10分程

上之町神社

春日井市鳥居松町8 上之町神社
市内を東西に延びる下街道の一本南の筋にあたり、上ノ町公民堂のある小さな公園の中の小さな神社。

f:id:owari-nagoya55:20200917092351j:plain 公園西角からの全景、公園内右手が公民堂、神社は公園の左手の角に鎮座します。
周辺は幅員の狭い通りの住宅街で駐車余地はありません、なので車だと厄介になる。

f:id:owari-nagoya55:20200917092417j:plain 遊具の先に石垣が積まれ、その上に玉垣で囲われた社が祀られています。
ここはとても開放的な雰囲気を感じる、公園に隣接する事もあり子供達と神社の存在がとても身近。
地元の子供達が園内に集いかくれんぼでもしているようだ。
「罰が当たる」と怒られそうだが、神社は彼らにとって絶好の遊び場でもあるようだ。

f:id:owari-nagoya55:20200917092443j:plain 公園の中に鳥居があり、左手に社殿、公園と神社を隔てるものはありません。
傍で子供達が賑やかに戯れる姿を眺めるように神社がある、神様も悪い気はしないのではないだろうか。

f:id:owari-nagoya55:20200917092506j:plain 鳥居からの眺め、境内正面に石造の社と鳥居をくぐった右側に石標があります。

f:id:owari-nagoya55:20200917092538j:plain 境内の右側の石標は大山祗命と刻まれています。
海の神、山の神として崇められますが、ここでは恐らく山の神として祀られているのでは。
以前からここに祀られていたものなのか、周辺から移されたものなのか定かではありませんが、真っ白な社殿に比べ年代は多少違う様に見えます。

f:id:owari-nagoya55:20200917092608j:plain 石造の社、祭神や創建などの詳細は不明です。
こうして石の社を見ると、なんとなく山の神を祀っているような雰囲気もあります。

公民堂の上ノ町が社名から来ているのか?旧町村名から付けられたのか?春日井市の沿革を調べても上ノ町にたどり着きません。 町村名なら創建時期も推測できるかと思っていましたが…分からず終いです。

由緒など分からない小さな神社ですが、こうして子供達が戯れている光景は身近な存在の神様として親しまれているのが分ります。
消えていく社がある中で、上之町神社の将来はこの子らが支え残っていくのではないだろうか。

こうして子供達の遊ぶ姿がある神社に出会うと、昔の自分を見るようで個人的に好きな光景です。
少し前は近所に必ず一人や二人は雷親父がいたもので、こうして遊んでいて良く怒られたものだ。
雷親父も最近は絶滅危惧種になったのかも

上之町神社
創建 / 不明
祭神 /   不明
住所 /    ​春日井市鳥居松町8-102
公共交通機関アクセス / JR中央線「春日井」駅から​徒歩10分程

補陀山圓通寺

熱田区神宮2「円通寺
市内を南北に伸びる県道226号線、大津通の「秋葉」交差点南西の角に鎮座する曹洞宗のお寺。

f:id:owari-nagoya55:20200915124522j:plain 大津通を挟んで眺める「円通寺」伽藍全景。
日中は通り沿いに羽団扇の紋と秋葉三尺坊大権現の幟が立ち並んでいるのをご存知の方は多いと思います。 この時間ではその幟も降ろされていていつもの姿とは違う趣。

普段見かけていながら参拝に訪れるのは数少ない、ましてや写真に収めた事すらなかった。
今回は近くて縁遠かった秋葉山円通寺と親しまれている「曹洞宗補陀山圓通寺」を訪れてきました。

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 園通寺は山号を羽休山、秋葉山ともいい、熱田神宮と所縁も深く、尾張氏が熱田社の神宮寺として建立したされる。創建は810年 ~824年(弘仁年間)とも云われる。
空海熱田神宮に参篭のため滞在した際、一宇を建立して自彫の「聖十一面観世音観音」を安置したと云われています。

現在でも街中にある境内としては広大ですが、かつては1700坪とも云われる寺領を誇ったそうです。
尾張名所図会に「円通寺羽休秋葉宮」として伽藍が記されています、それも空襲により伽藍の一部を残し焼失、現在の伽藍は1957年(昭和32)に再建されたもの。
なので歴史はあるものの建物からそれを感じさせるものはありません。

f:id:owari-nagoya55:20200915124606j:plain 通り沿いに続く塀の南側、袖壁の先に薬医門の山門と寺号標。

f:id:owari-nagoya55:20200915124630j:plain 山門から本堂の眺め、左手に赤い像が安置されているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200915124657j:plain 境内全景
左に本堂と右手に秋葉本殿、奥の院

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 境内は各地から奉納された天然記念物の銘石が配されている。

f:id:owari-nagoya55:20200915124843j:plain本殿左の赤い像はコンクリート仏師「浅野祥雲」の手による毘沙門天王像。
彼の作品は多く残っていますが個人的に桃太郎神社が強烈な印象があるため、その延長で捉えてしまいますが、こうした像もしっかり手掛けているんです。

f:id:owari-nagoya55:20200915124908j:plain 子育水子地蔵尊像と右に圓通寺由緒書き。

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 本殿はコンクリート造りで瓦葺入母屋造。

f:id:owari-nagoya55:20200915125001j:plain 山号

f:id:owari-nagoya55:20200915125024j:plain 本堂内の眺め、本尊は聖十一面観世音観音。

f:id:owari-nagoya55:20200915125047j:plain 本堂右の子持ち石
天然記念物の銘石で、この石に祈願すれば子宝を授かるとされます。

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 秋葉本殿、尾張名所図会に描かれた当時は鳥居が描かれていましたが現在は存在しない。
本殿は戦後の1960年(昭和35)に建替えられていますが、外観は当時の趣を留めるものです。
手前の手水舎から右手に進むと奥の院に続きます。

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 山号が刻まれた手水鉢。

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 本殿は左に御朱印授与所、右に小さなお堂があり七福神の一柱「大黒天」を安置しています。

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 秋葉大権現と云えば最初に頭に浮かぶのは静岡県浜松市秋葉神社(創建709年)ですが、本殿左の由緒書きには「日本最古の秋葉大権現出現の霊地」と書かれている。

秋葉大権現(火の神様)、今より千八百年ほど前、日本武尊を火難よりお救いになった秋葉大権現は「火防守護、諸難消滅、心願成就」の大誓願をもって日本で初めてこの地に「秋葉神社」として尾張氏に祀られる(後の圓通寺)。
この地に圓通寺が開山され多くの修行僧が集まった中に、一人の僧に姿を変え秋葉三尺坊(秋葉大権現)として弟子入りし、永享年間(1429年 ~1441年)十余年の修行を経て仏法の奥義を授けられ、感謝の余り本来の姿である天狗僧の姿を現したいう、三尺坊は寺を永刧に守護する誓いを立てたとされる。
この事から秋葉三尺坊大権現や羽休の秋葉などとして呼ばれる由縁とされる。

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 赤い提灯に天狗のアイテム羽団扇の紋、この団扇の秘めた力は飛行のみならず、火炎、分身、変身、風雨、人心、折伏、縮地等自由自在に操るパワーを持つと云われます。
参拝しその力に肖りたいものです。疫病退散!

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御朱印は月替わりの特別御朱印も頂けるようでカラフルなものです。

f:id:owari-nagoya55:20200915125458j:plain 大黒天を安置する堂
「福徳 商売繁盛の神として古くより宮の恵比寿、秋葉の大黒天と並び称して福徳のご利益あらたか」

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お堂の右から奥の院へ続く参道。

f:id:owari-nagoya55:20200915125545j:plain 毘沙門天と記された大正11年建之の石標。

f:id:owari-nagoya55:20200915125609j:plain 奥の院全景、向拝付きの方型の堂が二つと右手に社が一つ。
右手前が弁財尊天を祀り、正面が毘沙門天を祀ります。

f:id:owari-nagoya55:20200915125635j:plain 弁財尊天の堂内。

f:id:owari-nagoya55:20200915125659j:plain 毘沙門天の堂全景、一対の狛犬が守護しています。

f:id:owari-nagoya55:20200915125737j:plain 阿形は玉を咥え、吽形はニシャッと微笑んでいるようにも見える。

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 吽形の台座に伊藤萬蔵と刻まれています、名古屋城下塩町で「平野屋」の屋号で開業し財を成し、狛犬や灯篭など多くの寺社へ寄進された方でその名は各地で見る事が出来る。

f:id:owari-nagoya55:20200915125817j:plain 堂の右に不動明王

f:id:owari-nagoya55:20200915125932j:plain 堂内。
毘沙門天は四天王の一神で、四方を守る神、多聞天とも呼ばれています。

f:id:owari-nagoya55:20200915125955j:plain 奥の院の一番右奥の社、詳細は不明。

f:id:owari-nagoya55:20200915130018j:plain 本堂再建に尽力された第28世鉞厳禅師像。

f:id:owari-nagoya55:20200915130039j:plain 補陀山圓通寺、秋葉大権現が最初に姿を見せた場所。
街中の身近な存在でありながら訪れる機会がなかったけれど、漸く参拝させて頂きました。

圓通寺
山号 / 補陀山
宗旨 / 曹洞宗
本尊 / 聖十一面観世音観音
創建年 / 810年 ~824年(弘仁年間)
住所 / ​名古屋市熱田区神宮2-3-15
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄名城線「伝馬町」駅下車北に徒歩5分
関連記事 / ​桃太郎神社

楠御前社

熱田神宮南門から本宮へと進むと右手に「楠御前社」の鳥居があります。

f:id:owari-nagoya55:20200913173620j:plain参道沿いに神明鳥居鳥居が西向きに建っています。

f:id:owari-nagoya55:20200913173642j:plain社殿は鳥居をくぐった左となりますが、この社には社殿はありません。
神明鳥居と玉垣に囲われた中に楠の神木が祀られている社です。

f:id:owari-nagoya55:20200913173705j:plain楠御前社正面全景。
鳥居の先に小さな鳥居が無数奉納されています、この小鳥居に干支と氏名を書きここに奉納すると願いが叶うとされます。
楠御前社は「子安の神」あるいは「お楠さま」と呼ばれ親しまれ、病気を治し、女性の方には安産の神として信仰されています。

f:id:owari-nagoya55:20200913173726j:plain楠御前社(くすのみまえ)由緒
祭神は伊弉諾尊伊弉册尊
「安産や縁結び並びに病気平癒の神様。俗に子安神、お楠さまと称される。
江戸時代中期「熱田社問答雑録に杜の神なり、古楠樹を主とする」と記されている。
社殿がなく、瑞垣の内に楠のご神木が祀られている」

熱田社問答雑録とは熱田神宮の本宮、別宮、末社の祭神、沿革などに関する概略が問答体で解説され纏められたもので、1704年(宝永元年)に成立したとされます。 (​熱田神宮問答雑録​)

f:id:owari-nagoya55:20200913173749j:plainご神木の楠
300年前の記述に残るご神木の楠、恐らく何世代か代替わりしているのでしょう。
現在見られるご神木はとても若々しい姿をしています。
代替わりし蘇る自然のパワーがご利益の源なのかもしれない。
早朝の熱田の杜に差し込む朝陽の光景は神秘的なものがあり、その光景を見るとそんな気がしてくる。

熱田神宮境内末社 楠御前社
祭神 / 伊弉諾尊伊弉册尊
住所 / 名古屋市熱田区神宮1
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄名城線​「伝馬町」駅下車徒歩10分程​

関連記事 /  南新宮社日割御子神社孫若御子神社

心を癒してくれる 『平泉寺白山神社』

福井県勝山市平泉寺町

平泉寺 白山神社

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717年(養老元年)、泰澄によって開かれ、霊峰白山に続く3つ(加賀、越前、美濃)の越前禅定道にあたり、白山の美濃入口は長瀧白山神社白山長瀧寺、加賀は白山比咩神社、越前はここ平泉寺白山神社で三馬場と呼ばれ、山頂を極楽浄土と見立てた白山信仰の登拝拠点として栄えたそうです。

ここ平泉寺白山神社は盛期には48社、36堂、6000坊院を誇ったけれど、時代の流れに翻弄され続けてきました。

そんな平泉寺白山神社、今は一面の苔に覆われ、静寂に包まれた境内はゆっくりと時を刻んでいます。

ここは現代におけるまほろばの地なのかもしれません。
2020/7/16

平泉寺 白山神社
創建 / 717年(養老元年)
祭神 / 本社 伊奘冊尊
別山社 / 天忍穂耳尊
越南知社 / 大己貴尊
三ノ宮 / 祭神 / 栲幡千々姫尊
境内社 / 結神、八幡神社、池尾明神、貴船神社、今宮神社、鎮守宮、稲荷社、開山社

住所 / 福井県勝山市平泉寺町平泉寺56-63​
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孫若御子神社

熱田神宮摂社  孫若御子神
熱田神宮境内の東側に鎮座し、南隣に「日割御子神社」、北隣に南新宮社と隣り合っています。

f:id:owari-nagoya55:20200909233833j:plainこちらへは駐車場の右の参道から「日割御子神社」を過ぎた右側の参道からアクセスする事になります。
この三社に繋がる東参道は参拝者の往来は意外に少なくなる。
自分自身、本宮へ真っすぐ進むのが普通になってしまいあまりこちらの参道は縁がない。

f:id:owari-nagoya55:20200909233842j:plain参道から右に入ると正面にガランとした空間が現れます。
孫若御子神社はその左奥で南を向いて鎮座します。
日割御子神社の社の造り、佇まいともに酷似しています。

f:id:owari-nagoya55:20200909233853j:plain銅葺き屋根で一間流造の社殿、こちらも同様です。
祭神は天火明命

f:id:owari-nagoya55:20200909233903j:plain由緒書きも見事に同じ、もちろん内容は違うけれど、写真を整理している段階では取り違えそう。
天火明命は古代の豪族尾張氏の祖神とされる。
海人とも云われているけれど、どこから辿り着いたのかなど謎が多いけれど、尾張国一円を支配していたのは尾張氏
そのことは熱田神宮宮司藤原氏に継承されるまで尾張氏世襲してきたことからも天火明命を祀ったのは自然の流れかもしれません。
由緒によればこの神社は古来からここに鎮座していたのではなく、海蔵門(現在の南門付近)の西に鎮座していたらしい。ここに遷座したのは1868年(明治元年)の事らしい。
火明(ほあかり)ほが赤くなるという意味のようだ、稲穂への尊称と云われている。

品種改良が重ねられた現在の稲穂から、赤い穂はイメージしにくいけれど、古代米は赤いひげを付け赤米とも呼ばれ、最近よく見かける様になった田んぼアートの赤みを受け持っている。

f:id:owari-nagoya55:20200909233914j:plain孫若御子神社の創建は不明ですが、927年(延長5)に纏められた延喜式神名帳にも記されているのでそこからさらに遡る事になります。それでいて熱田七社には数えられない。
姿は良く似ていながらそこの線引きはよく分からない。


熱田神宮摂社 孫若御子神
創建 / 不明 
祭神 /   天火明命
住所 / 名古屋市熱田区神宮1
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄名城線「伝馬町」駅下車徒歩10分程
関連記事 / 日割御子神社南新宮社

熱田神宮境内 摂社 南新宮社、末社八子社、曽志茂利社

熱田神宮境内摂社 南新宮社

f:id:owari-nagoya55:20200907173324j:plain 熱田神宮境内には本宮、別宮(一社)、摂社(八社)、末社(十九社)が祀られています。
南新宮社はその中の一つ。

f:id:owari-nagoya55:20200907173358j:plain 先に記載した境内摂社「日割御子神社」の右から北に続く細い小道があります。
そこを進むと南新宮社に至ります。

f:id:owari-nagoya55:20200907173334j:plain 一旦参道入口に戻り南新宮社全景。
熱田神宮にあって朱塗りの社殿は南新宮社が唯一無二の存在です。
南新宮社と同じ西を向いて小振りな社と左に南向きに一社が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200907173345j:plain 入口左の大きな春日燈籠。

f:id:owari-nagoya55:20200907173410j:plain 赤い社の佇まいは牛頭天王を祀る天王社の趣がありますが、こちらの祭神は「八坂神社」に祀られる神、素盞嗚命を祀ります。

創建は1000年(長保2)とも1023年(治安3)とも云われ諸説あるようです。

熱田神宮本宮は現在地の北西100㍍ほどに鎮座していたけれど、1893年(明治26)にそれまでの尾張造りから神明造に改められ現在地に移されます。
その社殿は後の空襲で焼失、再建を経たものが現在の姿。

先に掲載した新宮坂神社、その前を緩やかに東に下る坂を新宮坂と称した事、南新宮社だけが丹塗りの流造、移転や戦災の被害を受けなかったという事だろうか?
そうだとすると熱田神宮にあって一番古い歴史的建造物だと云えます。

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 確かに社の後方は新宮坂神社辺りのようです。
現在新宮坂から熱田神宮境内の南新宮社に繋がる参道ないけれど、1878年新宮坂町となる以前はひょっとすると繋がっていたのかもしれません。
上は尾張名所図会の南新宮社(赤丸)、そこには新宮坂の記載と鳥居が描かれています。

f:id:owari-nagoya55:20200907173420j:plainその昔、京の都で蔓延した流行病を鎮めるために「京都祇園まつり」が始まったように、ここ熱田でも疫病が蔓延したと云います。
当時の事なので禍をもたらす神がいて、それを鎮めるために南新宮社が祀られたとも云われます。

疫病をもたらす疫神を鎮め、送る目的から人々が集まり、旗鉾で祓り鎮めた祭(大山祭・天王祭・祇園祭)が生まれ、平安時代から現在まで受け継がれてきました。

f:id:owari-nagoya55:20200907173302j:plainその様子は尾張名所図会にも描かれていました。
毎年6月5日南新宮社例祭、熱田祭として行われていますが、当時運航していた旗鉾や山車は廃止されていったようです。

f:id:owari-nagoya55:20200907173432j:plain 左側の社は熱田神宮境内末社の「八子社」
須佐之男命と天照大御神の誓約にから生まれた五柱の男神と三柱の女神を祀る。

f:id:owari-nagoya55:20200907173443j:plain 熱田神宮境内末社 「曽志茂利社」
祭神は居茂利大神(素盞嗚尊)、唯一南を向いて祀られています。


境内摂社 南新宮社
創建 / 不明 
祭神 /   素盞嗚尊  

末社 八子社
祭神 /   天忍穂耳尊、熊野櫲樟日命、天穂日命田心姫命天津彦根命市杵島姫命、活津彦根命、湍津姫命

末社 曽志茂利社
祭神 / 居茂利大神(素盞嗚尊)
 住所 / 名古屋市熱田区神宮1
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄名城線​「伝馬町」駅下車徒歩10分程​

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