千種公園ゆり園 

昨晩からの雨も上がりかみさんと千種公園ユリ園に訪れる。
 雨雲レーダーでは雨は降らないはずなのに途中から霧雨となりやむなく傘をさす。
西には青空が見えているのだが・・・
 まぁドピーカンより霧雨の中のユリもしっとりしていいものだ。

公園北側
 かみさんはユリを見る目的で公園を訪れたのは初めて、「正直一面咲いているかと・・・」
確かにそうかも知れない、以前はこの入口や道路際にも植えられた頃もあったが多少減った感じはする。
 とはいっても身近に10,000球とも言われるユリが見られるのは千種公園くらい。
平日ですがユリを見に訪れ、写真を取られる方は多く見えました。

園内南側からの眺め雨後の怪しい空模様の下鮮やかな色合いのユリが咲き誇っています。

毎年楽しませてくれるユリ、今は黄色や赤系の花が勢いのある蕾を沢山つけ咲きだしています。

雨の滴が花弁に残るしっとりした雰囲気、ほのかに甘い香りを漂わせています。

身近にユリを楽しむことが出来る名所である事は間違いない。
 この土日見頃を迎えるのでは?

園内に残る戦争遺構。
 名古屋空襲の痕跡がコンクリートの壁を突き抜けた幾つもの穴となり残されている。
過去の事のように思うが、現実に今も繰り返されている。
 ユリ園脇に置かれた思いにふける少女像の姿、何を思うのだろう

さて、かみさんの最大のお楽しみ近くの小さなレストランのランチに行くか。
2022/5/31
 
千種公園ゆり園
所在地 / ​名古屋市千種区若水1丁目1
アクセス / 市営地下鉄東山線今池」下車、​北へ徒歩15分程
訪問日 / 2022/05/31

茶屋ヶ坂公園紫陽花

5月28日
 買い物帰りに地下鉄名城線自由ヶ丘で降車、茶屋ヶ坂公園の紫陽花の咲き具合を見に寄り道。
公園西側から見た紫陽花園はまだ〃葉の緑ばかり 
 一部に咲き始めた株も見られますが一面花で染まるにはまだ〃早いようです

紫陽花は探せば写真に残せますが、今は園内に僅かに植えられたユリが綺麗に咲いていたので紫陽花より
 千種公園のユリが綺麗に咲く頃かも知れません
千種公園のユリが終わると茶屋ヶ坂公園の紫陽花は見頃を迎える

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全国一之宮巡り 二泊三日で栃木県 part2

5/10~12
二泊三日で下野國一之宮「日光二荒山神社、宇都宮二荒山神社」を訪れた。
一日目は日光までの移動に大半の時間を費やしたが、二日目は東照宮の前に建つ宿から始まる。

鳥のさえずりと川のせせらぎで目覚める、窓を開け放つと長期予報では怪しかった空模様は今日も快晴。
朝の冷気が部屋中に流れ込み、新緑の山々と眼下の大谷川の澄んだ流れが飛び込んでくる。
朝からボリューム満点の朝食を済ませ身支度を整える。
荷物を預かってもらい、国道122号線を神橋方向に向かう。

8:20
神橋渡受付から日光スタート予定でいたが、8:30から開場との事。
日光2社1寺の最初の目的地輪王寺は既に8:00から拝観窓口が開いているが、日光入口にあたる神橋渡受付が寺社より遅れて始まる。ここは見送り先に進む。
観光バスが連なって走り去る国道を渡り「世界遺産日光の社寺」の石碑から輪王寺に続く石段を上り始める。

9:00
日光山輪王寺総本堂三仏堂。
日光は何を見るにも拝観券が必要、ここ輪王寺もそれ。
三仏堂・大猷院・宝物殿セット券が1000円、三仏堂・大猷院が900円、三仏堂・宝物殿が500円、更に単独券・・・と細かく分かれトッピングしていくと割高になる。
単独拝観券で拝観するより、共通拝観券がお得。
訪れた当日は宝物殿で大猷院二天門の風神、雷神が修復作業を終え公開されていたのでセット券を購入。


到着した頃には三仏堂前で団体客の記念撮影が始まり、人波は途切れる事がなさそうだ。
宝物殿と逍遥園を拝観しやり過ごす事にした。
庭園の池の大きな鯉は人に慣れ、餌を買い求める姿を見ると途端に集まってくる。
撒く必要もなく大きな口に入れてやればいい、ハイ次の人。

庭園から外を眺めると団体客は動きたし三仏堂の全景が現れている、先に進もう。
日光山は天平神護二年(766年)に勝道上人により開山、平安時代空海、円仁らのも来山したという。
鎌倉時代には源頼朝の寄進などで関東一の霊場として栄え、江戸時代には徳川家康東照宮、家光の大猷院廟が建立されるなど、日光山の大本堂三仏堂はその中心となる。

輪王寺の本堂は日光山随一、東日本では最大級の木造建築物とされ、平安時代に創建された、天台密教形式の堂。
現在の建物は、正保2(1645)年、徳川三代将軍「家光」によって再建されたもの。
三仏堂の内陣に安置される日光三所権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来馬頭観音)の三体の大仏(高さ7.5㍍)は堂の前からも金色に輝くその姿を見られ、東照三所権現本地仏(薬師如来阿弥陀如来・釈迦如来)の懸仏2組の三尊仏が本尊として祀られている。

三仏堂後方の鉄筋コンクリート造りの護摩堂と相輪橖、下は三仏堂解説。

9:00
日光東照宮参道。
かみさんの全国一ノ宮巡りに合わせ、その際には各地の東照宮をルートに入れて欲しいと要望しているが、よもや大元の日光東照宮をこれ程早く訪れるとは思ってもいなかった。
五重塔
外から絢爛豪華な姿を眺めるだけでも十分かもしれないが拝観券を買って、心柱にも目を向けて欲しい。日本人の智恵の結晶が形となって現れ、その技術は現代の東京スカイツリーにも生かされている。

9:30
表門。
三神庫から御水舎の眺め。


神厩舎。
長押上に8面に渡り猿の彫刻が施され、人の一生を風刺したものという。
ここに修復を終えた鮮やかな色彩の「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿がいる。

ニノ鳥居と陽明門。
ここも団体客の記念撮影スポット、人波が途切れる事はない。
この時は小学生の修学旅行が多かった、コロナ禍で見送られてきた大切なイベントも動く様になってきた。

日光東照宮は1617年(元和3)徳川初代将軍徳川家康を祭神として建立された神社、現在の絢爛豪華な社殿のほとんどは鎮座から20年後の1636年(寛永13)に徳川家光により建替えられたものという。

陽明門、日暮門の別名があるように細部を見ていれば日が暮れてしまう。
ここから左の鐘楼奥にある本地堂の鳴竜の天井画を拝観、拍子木の音が天井に反響し恰も龍が鳴き声を上げる様を体感する。

本殿唐門。
細かな装飾と胡粉で塗られた門と豪華な廻廊は天下統一を成し遂げた者のみ許されたものだろう。
職人の技の集大成が東照宮といってもいいだろう。

奥社拝殿。
本殿から眠り猫のいる潜り門、雀の透かし彫りのある坂下門をくぐり、杉並木に包まれた奥社参道の石段を上り詰めた先にある。

黒漆が塗られ銅や真鍮を主とした飾りが施された外観は、ここまで目にしてきた派手〃の建物とは違う落ち着いた趣が漂う(それでも十分豪華)、拝殿の奥には鋳抜門と家康を祀る宝塔がある。

11:40
一ノ鳥居の左に鎮座する御仮殿。
本社の修理の際に祭神を一時的に移すために1616年(寛永16)に建立されたもの。
普通は修理後取り壊されるものですが、頻繁に修理の手が入る東照宮では常設となる。

12:15
日光東照宮宝物館の東にある「西洋料理 明治の館」で昼食。
明治時代、日本に滞在する外国人たちは日光の歴史・文化・自然に魅せられこの地を訪れた。
日本蓄音機商会(日本コロムビアの前身)を創設したアメリカ人F.W . ホーンもそのひとりで建物は彼の別荘として建てられた有形文化財の洋館。現在は明治の館として食事を提供する。
写真は虹鱒のムニエル明治の館風¥1,870、かみさんはオムレツライス¥1,870となか〃のお値段。

ゆっくりと食事を済ませ、再び東照宮を横切り輪王寺大猷院の家光殿の元に向かう。
ここでカメラのバッテリーは予備を含め残量がなくなる。
ズームを頻繁に使用するため消費も早い、よりによって充電器もない、大失敗だ。
以降は携帯に頼るしかない。

13:30
輪王寺大猷院。

大猷院霊廟仁王門

陽明門に劣らぬ豪華な大猷院霊廟二天門。
現在ここの左右に安置されている風神・雷神はレプリカで本物は宝物殿で展示されている。


大猷院霊廟夜叉門。

大猷院霊廟唐門。
各大名や後〃の将軍から寄進された多くの燈籠立ち並ぶ。
大名から寄進されたもの、せざるを得なかったこれらの燈籠、中には自ら寄進したものの、それを見る事すら叶わないものもある。


大猷院霊廟拝殿。
拝殿は相の間と本殿が一体となり、こちらも細かな装飾がふんだんに施された豪華なもの。

本殿右の斜面に入口に建つ皇嘉門。
徳川家光の廟所入口の中国様式の門で1653年(承応2)に建てられた、その外観から龍宮門とも呼ばれるようだ。
ここから先は将軍以外は立ち入れず廟の姿は見ることが出来ないがGアースで見ると、奥には鋳抜門と宝塔安置されているのが分かる。

これで日光2社1寺の参拝を終え、宿に戻り荷物を受け取り日光駅に向かう、運よく宿の送迎バスが駅に向かうとの事で送ってもらう事が出来た。

14:40日光駅
駅前の「揚げゆばまんじゅう」は食べておきたいとの事でかみさんが買ってきた。
その間おやじは駅舎周りを散策。
待望のおやつを手に入れ満足顔、疲れた体に優しい塩味とやさしい甘みが体に嬉しい。
さかえや
所在地 / 栃木県日光市松原町10-1

日光駅駅舎。
1890年開業当時の駅舎で大正時代の香りが漂う、駅舎二階は一等客専用の待合室として利用された。
近代化産業遺産、関東の駅百選にも選定されている。
シャンデリアは当時のものが今も残る。
ここでおやじはガソリン補給、冷たいビールが嬉しい。

出発を待つ500系リバティ。

ここから普通電車で二駅先の下今市駅に向かう。

乗り換えで立ち寄った下今市駅
ここにはSL展示館と転車台があり、跨線橋を渡れば無料で見学できる。
下今市駅と鬼怒川駅の二か所にあり、この回転台の上に車両を乗せ向きを切り替える。

たまたまなのか、C11型207号、大井川以来の動くSLだ。
1941年(昭和16)、日立製作所笠戸工場で製造され、北海道を走り回っていたが、1974年(昭和49)電化により退役、今は日光⇔鬼怒川を運行する観光列車SL大樹として老体に鞭を打っている。
マットブラックの車体は今見てもかっこいい、現役だけに動輪の軸も連棒もピカピカに輝いている。
運航前の点検をしていたのだろう、火が入っていることもありピストンからは蒸気が噴出し生きものその物。サービスではないだろうが汽笛も聞くことができた。

さて、ここから今夜の宿日光鬼怒川温泉に向け電車を乗り換える。

16:40
鬼怒川温泉到着。
ふれあい橋から鬼怒川上流の眺め。
今夜の宿は鬼怒川右岸を少し遡ったところにある「あさやホテル」

宿まで温泉街を歩いた、どこの温泉街もそうだが、以前は慰安旅行だ、宴会だ、で団体にはもてはやされたものだが、時代とともに団体から個人へと流れも変わり、それに乗り遅れた旅館の荒廃は進む一方だ。
平日とはいえ、ふれあい橋や温泉街には人影はなく寂れた印象がある。

翌日利用したタクシーの運転手から「湯は良くなかったでしょう」と問われる、更に「鬼怒川温泉の湧出量は過去に比べると少なくなった」との事。

17:00
チェックイン完了。
パイプオルガンの演奏が流れるロビーから部屋に向かう。
朝夕ともバイキングだが、かみさんの話ではデザート含め豊富で美味しいものだそうだ。
食事は最終時間、取り敢えず三か所あるお風呂の全てコンプリートしよう。


あさやホテル
所在地 / 栃木県日光市鬼怒川温泉滝813

東照宮御朱印


大猷院御朱印

二日目
日光2社1寺 / ​​参拝ルート​   ​
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日光駅から鬼怒川温泉公共交通機関ルート / ​日光駅👉下今市駅👉鬼怒川温泉駅

久昌寺 解体再開

解体を一時中断していた江南市の久昌寺。
継続的に維持管理する財政面のビジョンが描けず歴史的価値のあるとされる部材の単体保存で着地したようです。
一時中断していた解体は25日から再開され、部材は​江南市民俗資料館​で保管・展示されるようです。

やはりここまでの様です。

中日新聞Web(5月26日 05時05分) / ​江南・久昌寺、本格的な調査せず解体 古材のみ保管、展示へ​​
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「妙琴公園キャンプ場」利用者のモラルが問われる無料キャンプ場

5月24日~25日 長野県飯田市元善光寺の御開帳を見にキャンプしがてら出かけてきました。
今回は拠点とした妙琴公園キャンプ場について掲載します。

まずは場所
・長野県飯田市鼎切石5247-1
車アクセス
中央自動車道「飯田」ICから県道15号線で駒ケ根飯田方向に北進、切石体育館前交差点を左折「さわやかロード」で10~15分とアクセスがいい。

ロケーション

・キャンプ場入口手前に中央新幹線南アルプストンネル松川工区の入口がある。
笠松山東山麗にあたり清流松川の右岸沿いの小高い場所に作られた一面芝生の公園。
天竜川支流の松川のせせらぎが心地よく、樹々が生い茂っていない分明るく、空が広がり夜間は星空が広がる。

写真は「さわやかロード」を松川沿いに北上したキャンプ場入口付近の光景。
左が南アルプストンネル松川工区、手前に見える橋を越え看板の左を直進した道路脇がキャンプ場入口と駐車場。橋の左側にも駐車場がある。

予約利用方法

・小人数であれば予約(連絡)不要。飯田市管理課(電話0265-22-4511)
・料金無料、通年営業。
・サイトはエリア分けされていないので気に入った場所に設営。
キャンプサイトでの直火、花火厳禁、焚火台等で発生した炭は持ち帰り厳守。
・ゴミ箱はないのでこれも持ち帰り厳守。
・一切のショップはないので焚火台で使用する薪や炭は持参。

入口の案内板。
周辺にRVパークなどの施設もある。
看板後方がキャンプ場で、オートキャンプ場ではないので道路沿いの駐車場から装備を運ぶ必要がある。


直進した道路沿いの駐車場と右がキャンプ場。

場内は赤松が残され、奥にトイレ、炊事棟、休憩スペースがあり、洗い場が一カ所用意されている。
傾斜地を造成した広場で松川に向かって緩やかな勾配があり、松川沿いはフェンスで囲われているので
子供たちが走り回るのに支障はないだろう。

施設全景。
管理棟はなく無料でありながら施設が充実していて、良識ある利用者の振舞いが問われる。
左がトイレ、中央が休憩スペース、右が炊事棟。
炊事場、場内の洗い場は水道水、各施設の御願いは守ろう。

トイレ
多目的トイレ、ベビーシートもあり無料とは思えない程綺麗に管理され、異臭もしなかった。
夜間照明はセンサーで必要時に点灯する。

休憩スペース
テーブルと椅子が用意されているが、調理や食事は禁止であくまでも休憩スペース。
夜間照明は虫以外にも寄ってくるものがいたようで、以来電源が切られている。

炊事棟。
ステンレス製のシンクと焚き台がある。
流しに残飯もなく下手なキャンプ場より綺麗に保たれていた。

場内に一カ所ある洗い場。
シンクには残飯もなく、自分で出した残飯は回収してサイトに持ち帰っている。
こちらも水道水で「スイカ冷やすな」の注意書きがあった。
松川の流れはよく冷えていた、共有施設で水道使ってスイカ冷やすかぁ、そりゃあ書かれる。

設営地、ペグは簡単に入るが一部に石が入っており苦労するかもしれない。

松川沿いの道路際に近い場所に設営。
子供達は相手にしてくれないので、昔の物を補修し使って来たが素材自体の目開きで雨が防げない、大きすぎるなど課題が多かった。
軽で行く事を前提に二人で使える小型のテントとメッシュタープを今年新たに買い揃えた。
かまぼこタイプの一体テントには魅かれたが結局は設営が楽な従来仕様を選んだ。
一人で行く事があればテントと上にタープがあれば事足りる。
今回はそのデビューとなる。
これ以外の主な装備にテーブル×2、椅子×2、インナーマット、シュラフ、エアベッド、焚火台、クーラー、薪など軽に積み込んでもまだ〃余裕が出来た。 
道が悪くなければパートタイム四駆の軽で十分徘徊できそうだ。
ましてここ妙琴公園キャンプ場は悪路もない。

キャンプ場周辺。

松川沿いの公道、キャンプ場と公道はこのフェンスで区切られている。

キャンプ場と松川に架かる妙琴橋。


橋から先に進むと手打ちそば「のんび亭」、ここを右に進むとRVパーク、左の人道を進むと松川に架かるつり橋妙琴橋があり、キャンプ場に戻る事が出来る。

手打ちそば・和食・宿の「のんび荘」、こちらで初日の昼食に蕎麦を食べる予定でいたが月・火曜日が定休日で縁がなかった。
駐車場の松川堤に古びた六地蔵が祀られている。

つり橋を渡り松川上流の眺め。
リニアの工事が進んでいますが土砂等も流れこんではいない、高速の工事なんか入ると川や周辺の林道の様相が一変するが、ここではさほど荒れた様子はなく松川の流れは澄んでいた。
松川は渓流釣りでも知られる川、有料証を買えば気難しい魚と知恵比べも出来る。

サイトに戻るとかみさんが作った花冠が飾られていた。
子供のころ作った記憶があるが、作れと云われると思い出せない、さすが女の子。
サイトではTVは入らない、ラジオも何とか入る、携帯も取り敢えずアンテナは立つ。
ここは自分のなりの楽しみ方を実践するか、静かさに包まれ何もしない事を楽しむ所でもある。

自分なりの楽しみ方・・・地元の酒を飲んで寝る。
地元スーパーで菊水酒造の濁りと生貯蔵酒を買い求めたが、どちらも癖もなく飲みやすく美味しい物だった。云い方変えると危ないお酒かも知れない。
双方とも家飲み用に大きい瓶を買って帰ってきた。

陽も沈むとキャンプ場は真っ暗。
場内に街灯は全くないのでランタンと焚火の明りが頼り、携帯照明は必需品。

ゆっくり晩御飯を摂りながら静かに夜は更けていく。
当然気温も下がりシャツ一枚では肌寒い。
今夜はカセットコンロで鍋と雑炊、簡単で暖かいのが嬉しい。
明日は9時に元善光寺の御開帳を見に行く。

翌朝の松川と妙琴橋。
既に釣り人の姿がある、川幅は広く、瀬の多い流れで遡り易そうです。
ただ、川の両面は護岸が作られ、堰堤が多く川へ降りる場所は少ないかもしれない。
降りてしまえば釣果に関わらず楽しめそうな川です。
ただ、上流に松川ダムがあり水位には注意が必要。
次回はフライを持って訪れたい、遊漁料は一日券1,000円(コンビニで買える)、現場徴収だと1,500円のようです。ゴミのない綺麗な川でした。
無料のキャンプ場に綺麗な川、また訪れる機会もありそうだ。
さて、テントを撤収し忘れ物チェック、炭はアルミ箔で一纏めにすれば持ち帰りも苦にならない。
有料で?の付くキャンプ場は数々あれど、利用者のマナーによっては無料でもなんとか維持できる有難い存在です。ありがとうと言いたいくらいだ。
ひとつだけ、ハサミムシは多かった。

ここから元善光寺までは20分もあれば辿り着く、妙琴公園キャンプ場は伊那谷徘徊の拠点に絶好のキャンプ場でした。

妙琴公園キャンプ場
所在地 / 長野県飯田市鼎切石5247-1
連絡先(大勢で利用の場合) / 飯田市管理課(電話0265-22-4511)
車アクセス / 中央自動車道「飯田」ICから県道15号線で駒ケ根飯田方向に北進、​「さわやかロード」で10~15分​。

解体から保存に転じるか 「​嫩桂山久昌寺」

5月9日から解体が始まった​嫩桂山久昌寺。

ここ数日既に姿を消したと思っていた​嫩桂山久昌寺の解体について記事が取り上げられていた。
 文化財として見直す余地のある一部の躯体が見つかり一時解体が中断されたとある。
それによると濃尾地震で倒壊、再建された柱に創建当時の製材手法の痕跡を留めたものが見つかったと云う。

 一日で建物の原形が粗方消えてしまう今時の解体工事、その姿はとっくに無くなっていたものと思っていた。
傍らで見守られながらの解体だったようだ。

 解体後の跡地を市が買い取り、現在の公園を拡張整備する予定ですが、今後更に文化財としての価値が高まるような発見があれば保存の方向に流れを変える可能性もある。

弱小の寺社はどこも同じ道を歩み姿を消そうとしている。

 こうしたものに歴史的価値があり後世に残す舵取りをしたとして、どうやって運用し維持していくか悩ましいところだろう。
久昌寺跡地も市が買い取って公園として整備する計画だという。
 仮に保存とした場合、財政に負担を掛けず継続的に維持するためのビジョンを考えるのであれば、広く問いかけて欲しいものです。
解体続行となったとしてもオークションに掛けられるものがある、産業廃棄物処分場に送る前にサイトで公開するのもありだと思う。
 捨てる神あればなんとやら、一度久昌寺を訪ねて見ようと思う。

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「猪毛利谷神社」

三重県いなべ市北勢町瀬木「猪毛利谷(いもりだに)神社。

員弁川支流鎌田川右岸にあたり、員弁川とはすぐ下流で交わる扇状地の端に鎮座します。
すぐ東には国道306号線が北に延び多賀方面に続く。

鎌田川右岸の社頭右に「猪毛利谷神社」の社標があり、社標から少し入って石の神明鳥居を構える
社地のすぐ左を鎌田川が流れ、堤沿いから社地を囲む様に杉を中心にした杜が取り囲んでいる。

訪れた時期は境内の桜の蕾が膨らみ始めた頃、針葉樹や常緑樹の緑ばかりで味気ないがタイミングが良ければここに桜のピンクが加わり華やかな事だろう。

一ノ鳥居の先にはニノ鳥居を構えるようだ。

常夜灯の先のニノ鳥居は1921年(大正10)の寄進。
三ノ鳥居まで構え、その先の拝殿が近づいてきた、奥に長い社地を有している。

三ノ鳥居は明神鳥居で、手前の狛犬がここから先の境内を守護する。
鳥居の額は石造で「猪毛利谷神社」と彫られている。

鳥居前の狛犬は子と玉を持つ。
やや垂れ耳で彫の深い毛並みを持ち、体格と頭の大きさの比率がいい凛々しい容姿の狛犬
子の姿も親に負けず格好がいい。

参道左の手水鉢、龍は不在で蛇口が付く。
以前は二脚の手水舎があったようだ。

伽藍は右に神饌所?、左の注連縄が張られた建物は見落としたようで詳細は分からない。
中央の拝殿は瓦葺の入母屋造りで木造のシックな佇まいの拝殿です。

拝殿から石垣で一段高く積まれた本殿域方向の眺め。

拝殿額は綺麗に木目の出た木製で「猪毛利谷神社」と記されている。
祭神は素盞嗚尊、伊香我色男命、大山祇神を祀るようですが創建等の詳細は不明。
創建には繋がらないが、調べている際に地元の方の話に辿り着いたので転載します。
・鎌田川はここから500㍍程下流で員弁川と合流している。
・慶安3年(1650)9月3日から9日までの長雨によって洪水が発生し、瀬木村は以後も度々水害に見舞われた。
・そのため、貞享2年(1685)に鎌田川、元禄年間(1688~1704)に員弁川の川替(流路変更)工事が行われ、現在の大きな弧を描く流れとなった。
・猪毛利谷神社の創祀は不明だが、明治3年瀬木村庄屋佐藤甚蔵の記録によれば、ある時、​猪名部神社​が川に流されて「いもり谷」に流れ着いた。
・・・とあった。

俄かには信じ難いが員弁川上流に鎮座する猪名部神社が過去に流されて来たのが猪毛利谷神社の始まりと取れる内容のものだ。
この地は古くから川と人が鬩ぎあってきた場所の様で、付け替えにより流路は大きく変えられた様だ。

上は1891年とほぼ現在の周辺の地図。

流路変更は更に上流の出来事、年代も違うのでこの地図では判別できないけれど、既に鳥居が記されている事から、創建は江戸時代に遡るのは間違いなさそうです。
「流れ着いて」ここに神社を新たに建て村の氏神としたとしてもあり得ない話ではないのかも。
​猪名部神社のHPにその記述は出てこなかったが、伊香我色男命を祀る等どこかで紐づくのかもしれない。

本殿域全景。

綺麗に積まれた石垣の上に作られた本殿域を玉垣が取り囲み、神明造の幣殿?と本殿が建てられている。
千木は内削ぎ、鰹木は6本、広々とした本殿域に建つ神明造はシンプルな美しさがある。
本殿域に年代を感じさせる狛犬がいたが撮り忘れていた。

ニノ鳥居から社頭の眺め。
社頭の先には鎌田橋と鎌田大橋の二つの橋が架かる。

社地の左を流れる鎌田川、ここから少し下れば員弁川に合流する、春の陽ざしに輝き穏やかに流れていた。
堤沿いはツルニチニチソウの紫の花が春の訪れを告げていた。

猪毛利谷神社
創建 / 不明
祭神 / 素盞嗚尊、伊香我色男命、大山祇神
境内社 / 不明
所在地 / ​​​​三重県いなべ市北勢町瀬木310
訪問日 / 2022/03/24
車アクセス / ​東名阪自動車道桑名ICから​北西に40分程
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