「丹後國一宮 元伊勢大神宮籠之宮 / 眞名井神社」

京都府宮津市字大垣「元伊勢大神宮籠之宮」

f:id:owari-nagoya55:20191214094704j:plain 成相寺を訪れ展望台から天橋立を眺めます。
天橋立を境に左が宮津湾、右が阿蘇海、目指す「元伊勢大神宮籠之(この)宮」は天橋立の付け根に当たる府中へと向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20191214094712j:plain 成相寺から国道178号線で15分程走り、県道607号線天橋立の付け根にある無料駐車場に車を止め、阿蘇海沿いを元伊勢大神宮籠之宮へ向います。
府中から傘松を結ぶ天橋立ケーブルカーが目標になるのかな。

f:id:owari-nagoya55:20191214094719j:plain 国道178号線に出ると籠神社一の鳥居が視界に入ります。
鳥居横の駐車場は多くの観光バスが来ている事を想定していましたが以外に少ない。

f:id:owari-nagoya55:20191214094727j:plainマンホールにも天橋立が描かれている。

f:id:owari-nagoya55:20191214094735j:plainニノ鳥居
ここ籠神社は丹後国一宮に列し、同国の総社を兼ね、古くは吉佐宮(よさのみや)とも呼ばれた様です。

f:id:owari-nagoya55:20191214094743j:plain 参道脇の由緒書き
伊勢神宮外宮に祀られる天照大神豊受大神
言い伝えによれば籠神社奥宮の「眞名井神社」に天照大神豊受大神は4年間祀られたそうです。
天照大神豊受大神もやがてこの地を離れ安住の地、伊勢に祀られていきます。
「元伊勢」とはそうした縁から付けられています。
後に主祭神に彦火明命を祀り、社名を籠宮に改めた様です。

かみさんの一之宮参拝、御朱印ツアーも丹後國までやってきました。

f:id:owari-nagoya55:20191214094751j:plain 境内左の手水舎、手水鉢

f:id:owari-nagoya55:20191214094801j:plain 神門前を守護する狛犬
鎌倉時代の作で重要文化財に指定されている。

狛犬には言い伝えが残り「その昔、作者の魂が籠もり、天橋立に暴れ出て通行人を驚かせていた。
そこで仇討ちのために訪れていた岩見重太郎が一夜待ち伏せ狛犬の脚に一太刀浴びせたという、それ以来社頭に還り魔除けの狛犬として霊験あらたかになった」というもの。

右の阿形の狛犬の右前脚の中ほどにはその時の傷?が今も残っています。
見た目に凝灰岩?の様な白っぽい石が使われているようで、素材は柔らかそうに見えます。
なので刀傷がついてもおかしくはないのかも。

f:id:owari-nagoya55:20191214094809j:plain 神門全景
神門前から窺える拝殿は海外からの参拝客で溢れています。

f:id:owari-nagoya55:20191214094819j:plain 神門から見る拝殿全景
主祭神 彦火明命
相殿  豊受大神天照大神、海神、天水分神

境内は撮影禁止・・・・・拝殿前では海外からの参拝客はポーズに余念がない。

本殿は神明造りで伊勢神宮に通じるもの、10本の鰹木と、内研ぎの千木が印象に残る。
周囲を隙塀で囲われた本殿の高欄上の五色(青、黄、赤、白、黒)の座玉(すえたま)は、伊勢神宮正殿と元伊勢籠神社以外には施されないものと云われ、神社建築史上貴重なものとされる。

両大神が伊勢にお遷りの後、719年(養老3)に本宮は奥宮眞名井神社(吉佐宮)の地から、今の籠神社に遷座、社名を吉佐宮から籠宮(このみや)と改め、主祭神天孫彦火明命をお祀りしました。

現在の郡名(与謝郡)や海の名称(与謝の海)は旧社名の匏宮の「匏(よさ)と吉佐宮の「吉佐(よさ)」からきているとの事。

拝殿左には四社が並びます。
西参道の鳥居脇から見ると一番左に稲荷鳥居が連なる眞名井稲荷神社。
その右に猿田彦神社、春日大明神社双方ともに神明造の妻入りの社で、千木は外砥ぎで鰹木は3本。
一番拝殿に近いところの天照大神和魂社は神明造で平入の社で千木は内研ぎで鰹木は6本。
ここから本殿の五色(青、黄、赤、白、黒)の座玉が良く見えるはずです。

その他に本殿右の境内の東外れに流造の恵比寿社があります。

f:id:owari-nagoya55:20191214094828j:plain 境内西にあたる脇参道の鳥居から拝殿方向の眺め、四社が横一列に拝殿方向に並んでいます。

彦火明命が丹後の地に降臨され、眞名井原(吉佐宮)に元初の神、豊受大神をお祀りし、この地に湧き出る真名井の水を御神水として供えられた。
水神の龍は眞名井の神の使いとされ、奥宮の眞名井神社にも狛龍?が守護しています。
ここを守護するのは、狛犬や狛狐ではなく龍と言う事のようです。

このまま西参道に出る事にします。

f:id:owari-nagoya55:20191214094840j:plain 西参道の鳥居を守護する狛犬
前屈みの姿勢で構える姿は神門前の狛犬よりも精悍な印象を受けます。
吽形の先に亀に乗った倭宿禰命の銅像があります。

f:id:owari-nagoya55:20191214094851j:plain 鳥居を出て天橋立ケーブルカーの府中駅方向へ食事に向かいます。
参道の常夜灯、脇に古そうな社号標。

f:id:owari-nagoya55:20191214094901j:plainケーブルカーが到着する度に参道は人で溢れかえります。
この通りで食事を済ませ、籠神社に再び戻り東参道から境内を後にして奥宮眞名井神社に向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20191214094912j:plain 境内東には眞名井神社への案内板が整備されているので、導いてくれるはずです、しばらくは長閑な風景を眺めながら歩きます。

f:id:owari-nagoya55:20191214094924j:plain 籠神社から東方向にしばらく歩くと石鳥居と「外宮大元宮吉佐宮」の社号標が見えてきます。
ここから緩やかに上る参道を5分程歩きます。

f:id:owari-nagoya55:20191214094935j:plainほどなく眞名井神社到着です。

f:id:owari-nagoya55:20191214094949j:plain 神社入口左の小さな祠には一体の地蔵が安置されています。
「眞名井原 波せき地蔵堂
1300年程前の大宝年間、大地震による大津波がこの地に押し寄せたそうです。
押し寄せた津波はこの地蔵で切り返したと伝えられ、それ以降は天災地変から守り、子育て病気よけご利益があるとしてこの地に守り継がれてきたものです。

大宝地震の事だと思いますが、個人的に日本海側で津波の印象は薄く原発も多い地域。
この巨大な津波も想定されているとは思いますが、地蔵はその事を後世に伝えています。
「最近ちょっと忘れてない?」いつまでも繋いでいくべきものだと思います。

f:id:owari-nagoya55:20191214095004j:plain 波せき地蔵堂の先にある手水「天の眞名井の水」、それをを汲んでいけるように作られたものなのかな、随分と新しい「眞名井水神社」。
そして籠神社で見た狛龍はこちらにも。
鳥居の前の龍像は潮満珠と潮乾珠と呼ばれる珠を持ち、この珠は潮の満ち引きを操る事が出来るパワーを持つと云われます。
海幸彦、山幸彦の神話で山彦が龍宮で海神から授かったものとも伝わる。
是非とも珠に触れてください。

f:id:owari-nagoya55:20191214095023j:plain 籠神社の奥宮、眞内井神社は久志濱宮とも呼ばれます。
本殿の後方に主座と西座の二つの磐座があり、太古より崇められてきました。
主座の祭神は豊受大神
相殿神罔象女命彦火火出見尊、神代五代神
西座の祭神は主神が天照大神、伊射奈岐大神、伊射奈美大

f:id:owari-nagoya55:20191214095035j:plain 籠神社の人の多さは眞内井神社にはありません。
籠神社から多少離れている事、時間の制約あるバスツアーである事等から歩いて訪れるには向かないのでしょう。

鳥居から本殿に向い参道を登ります、杜に包まれ静まり返った空間が特別な場所である事はいやが上にも伝わってきます。

f:id:owari-nagoya55:20191214095046j:plain 鳥居の下から精一杯のスームで本殿をとらえる。
ここから先の撮影は遠慮します。
そこには古くから崇められてきた神聖な空間が広がります。
右手に授与所がありますが、境内含めて無人でした、とはいえしっかりと監視カメラでモニタリングされています。

f:id:owari-nagoya55:20191214095059j:plain「丹後國一宮 元伊勢大神宮籠之宮」
住所 / ​京都府宮津市字大垣430

「眞名井神社」
住所 / ​京都府宮津市字中野