『秋葉三尺坊大権現・御嶽神社・笠松と権道路』

宝生寺 『秋葉社御嶽神社笠松と権道路』 

f:id:owari-nagoya55:20200418151459j:plain宝生寺の東に写真の様な宝生寺尾張えびすの案内板が掲げられています。
こちらを右折し桜並木の続く坂を上っていくと秋葉社御嶽神社尾張えびす大黒社方向に続きます。

f:id:owari-nagoya55:20200418151525j:plainこの道は宝生寺の参道、南に緩やかに上るこの坂は、宝生寺参拝者駐車場を経て標高100㍍そこそこの小高い山の頂に続きます。
坂の途中より北方向の宝生寺と西本地方向の眺め。

f:id:owari-nagoya55:20200418151544j:plain 訪れたのが3/29、参道脇の桜が見頃を迎えていました。

f:id:owari-nagoya55:20200418151605j:plain 参道脇には淡いピンクの山ツツジもちらほら、その先に見える小さな社が秋葉社
更に進み社頭へ向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20200418151628j:plain 坂を登り切ると視界も開け、丘の頂となり正面に大黒社(後日掲載します)の境内が広がります。

f:id:owari-nagoya55:20200418151651j:plain 目的地『秋葉社御嶽神社笠松と権道路』はその手前の左側になります。

f:id:owari-nagoya55:20200418151711j:plain 社頭全景。
石段の左に秋葉三尺坊大権現の石標、そこには「本堂前の高台から移転、平成9年」と書かれています。
右側には笠松と権道路の解説が立っています。
石段を上った境内右に御嶽神社と彫られた自然石の石標。

f:id:owari-nagoya55:20200418151737j:plain 社頭の「長久手合戦史跡 笠松と権道路」解説、それによれば
笠松のいわれは、今から約400余年前の天正12年(1584)、徳川家康羽柴秀吉との長久手合戦の際、徳川家康が此処に本陣をおいたとき、冠笠をこの松の枝に掛けて休息したところから、この松の名を笠松と呼ぶようになった。
この時鉄砲の音、戦場のどよめきは岩崎城を望見した家康は、急いでそれまでの陣笠を兜にかえ、御嶽山を降りて駒前から本地川を渡り山道を通って岩崎村の色金川に向かった。
この参道は後年家康が通ったということから、権現様の道即ち権道路と呼ぶようになっている。」

400年以上前の松で当時で冠笠を掛けれる程の老木が今も残っている?
松の寿命がどれ程なのか知らないけれど、400年+αの樹齢を持つ樹は貴重なのかもしれない。
社頭からそれらしき老木の姿は見当たりません。
取り敢えず先に進みます。

f:id:owari-nagoya55:20200418151801j:plain 石段の中ほどに「笠松」の解説板がありました。
その後方に斜めに伸びる一本の松、家康が笠を掛けたとされる「笠松」とはこれを指すようです。
外見から判断せず、この枝に家康の笠が掛けられていた光景をイメージしよう。

f:id:owari-nagoya55:20200418151822j:plain 大黒社の境内から西に広がる光景は、解説にある本地川や遥か先の岩崎村方向の眺望が広がりその名残を留めています。
海原に浮かぶ島のようにポツン〃と点在する小高い山、鉄砲の音も聞こえるだろうし、合戦旗も良く見えた事だろう。

f:id:owari-nagoya55:20200418151845j:plain 石段を上り切り境内に、左に秋葉山常夜灯と奥に本殿。
フェンスで囲われた常夜灯は本殿前の物と比較すると新しい様に見えてしまう。
解説によれば
「1795年(寛政7)、旧西原山島(現在の西原町)に建っていた、敷地が道路用地となる事から、1989年(平成元年)にこちらに移転」とあります。

西原町の道路用地とは?
恐らく現在瀬戸川に架けられた狩宿橋がありますが、その右岸に県道208号線が東へ整備されています。その事を指しているのではないか思います。
過去の地図で狩宿橋から東一帯の秋葉社を探してみましたが具体的な場所までは分かりませんでした。
この秋葉さんは現在の西原町一帯の火伏を担っていたのでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20200418151907j:plain 境内左に祀られる本殿の全景。傍らに平成9年に寄進とある。
社頭の石標に書かれていた「平成9年、本堂前からこの高台に移転」と符合します。
常夜灯の解説では「西原町から移転」とあるけれど、この社は二回移転しているのかな?
勧請年度は不明。

f:id:owari-nagoya55:20200418151929j:plain 境内中央が「御嶽神社
右に立派な御嶽神社の石標、お堂の脇には半鐘が吊られています。
こちらの建立時期も分かりませんでした。

f:id:owari-nagoya55:20200418151954j:plain 神道十三派の一つで霊峰御嶽山を信仰の対象とし六根清浄と唱えながら登拝する山岳信仰
祭神は国常立命(御嶽山座王大権現)、大貴己命(八海山堤頭羅神王)、少彦名命(三笠山刀利天王)。

冨士山を対象とした冨士講と並ぶ講社の一つで多くの信者から崇拝され、人は御嶽に生まれ死後は御嶽に戻り修行を続け、霊神号を授かった行者は霊神碑と共に神格化され崇拝されるようです。
御嶽神社で見かける霊神碑はお墓ではなく、家族や祖先を思いしのぶ意味で建てられたものです。
こうした霊神碑、近くでは​岩作の御嶽山に行くと無数の霊神碑が建てられていますし、木曽の御嶽山にはそれこそ数えきれないほどの碑が立ち並んでいます。

f:id:owari-nagoya55:20200418152016j:plain 上段
お堂脇の半鐘は「幸せの鐘」と呼ぶようです。
参拝をする際に鳴らしていいのかよく分からないのでやめましたが、どんな音色がするのか気になります。
下段
左 水天宮の碑
右 御嶽御三神の一つとなる三笠山刀利天宮の碑

f:id:owari-nagoya55:20200418152041j:plainお堂の左右に祀られた不動明王馬頭観音
どちらもしかめっ面、たまには表情も緩めないと疲れるぞ。

f:id:owari-nagoya55:20200418152102j:plainお堂の左側には摩利支天と複数の霊神碑。
この丘の北には瀬戸の街並みが広がりますが、遥か彼方には霊峰御嶽が見えるはずです。
ここはそこに戻った彼らと出会う特別な空間なのかもしれません。

今頃は桜も終わり、木々の緑が鮮やかなころではないかな

秋葉三尺坊大権現御嶽神社笠松と権道路』
住所 / 愛知県瀬戸市駒前町
アクセス / ​八幡社⇒本地城⇒本地大塚古墳⇒宝生寺⇒『秋葉三尺坊大権現・御嶽神社・笠松と権道路』宝生寺から徒歩5分程