代官町の屋根神さま

名古屋市東区代官町
町名の由来は江戸時代にこの地は代官が屋敷があり、家来なども居住したことから「代官」となったと云われます。
東西の町を竪(たて)代官町、南北の町を横町といったことから萱屋町の東の竪の道を横代官町と呼ばれていた。
やがて昭和に入り住居表示変更により東区の相生町、葵町、小川町、萱屋町、竪代官町、舎人町、平田町、横代官町の各一部を編入し代官町となったようです。

f:id:owari-nagoya55:20200709013937j:plain今回の目的地代官町の「屋根神さま」は代官町の竪代官公園の東に祀られています。
この公園自体は1983年に整備された比較的新しい公園で、街中にあって小休止するにはありがたい。
実は先に書いた「松山神社」へ向かう途中に偶然出会った社です。

公園の東に代官町会館がありますが、屋根神さまは会館の入口左に祀られています。
恰も会館を訪れる地元の方を見守るかの様に鎮座しています。
会館の右には大きな石標があるようです。

f:id:owari-nagoya55:20200709014004j:plain高く台座が組まれその上に銅葺き屋根で山形造りの社が南を向いて祀られています。
区画整理が行われ、軒から地上に降ろされた社、一時期は向かいの公園に鎮座していたとも云われ、その後この場所で安住の地を得たようです。

f:id:owari-nagoya55:20200709014028j:plain会館南角から見た社と石標の全景。
こうしてみると会館を訪れた方は真っ先にご挨拶したくなる場所です。
いい場所に祀られたものです。

f:id:owari-nagoya55:20200709014050j:plain社正面全景。
シックで小さい社ですが細部には彫が施され、シックな飾り金具も施されています。
扉が開いていないので祭神の詳細は分かりませんが熱田神宮秋葉社、津島社ではないかと思います。

f:id:owari-nagoya55:20200709014112j:plain丸織跡街園の石標。
街園とは「区画整理に伴い生まれた空間を一般交通の用に供しないで広場的、公園的機能を有し、地域にゆとりあるスペースを提供する施設または車両の安全円滑な通行及び歩行者の横断の安全を確保するために、交差点、車道の分岐点に設けられる島状の施設」と書かれています。

頭の丸織跡とは明治の終わりから昭和の中頃まで市内には大きな紡績工場が複数あり、ここ代官町にも丸織会社の織布工場があり、多くの女工さんがいた、それに伴い周辺の商店なども賑わったようですが、昭和に入り工場は移転し広大な空き地が生まれ、そこから区画整理を経て現在の姿になったようです。
それにより生まれた事を伝えたものなのかも知れません。
碑の裏にも刻まれていますが、写真に収める事も出来ず詳細までわかりません。

いつ頃、どこから地上に降ろされ、その始まりがいつなのか全く分かりませんが、現在の代官町を災いから守ってきた身近な神様なのは間違いない。
2020/06/19

代官町の屋根神さま
創建 / 不明
祭神 / 不明
住所 / 名古屋市東区代官町25-18
公共交通機関アクセス /   市営地下鉄桜通線「車道」駅下車、​北へ10分程
筒井消防団から​徒歩10分
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