「洲原神社」

岐阜県美濃市洲原
長良川右岸に鎮座する「洲原神社」、西側には国道156号線長良川鉄道の線路が続いています。

f:id:owari-nagoya55:20201202201825j:plain 国道を利用し奥美濃のスキー場に向かう際など、必ず横を通るので見覚えのある方も多いと思います。
なかなか縁がなく自分は初めて、かみさんは2度目の参拝。
国道から右の神社方向に向かう小路を下る、長良川河畔に参拝者駐車場があり車でも訪れやすい。

f:id:owari-nagoya55:20201202201856j:plain 下って来た道の正面が社頭。
鳥居をくぐり、太鼓橋を横に見ながら長良川沿いの参道を進みます。
社殿はこの左側になります。

f:id:owari-nagoya55:20201202201920j:plain 苔むした太鼓橋は見事な曲線を描いています。

f:id:owari-nagoya55:20201202201943j:plain 参道左側が社務所、奥に社殿が見えていますが幟に沿って楼門へと進みます。

f:id:owari-nagoya55:20201202202008j:plain 長良川を向いて立つ洲原神社楼門。
参道両脇の大きな杉がこの神社の歴史を物語っているようです。

f:id:owari-nagoya55:20201202202032j:plain 楼門から長良川へも参道が続きます、その先は御手洗場。
ひと昔前はここまで木船で訪れ、川辺から楼門に続く参道を経て参拝していたようです。
川面に浮かぶ大きな岩は神岩と呼ばれるようです。

川岸の石垣で見かけた彼岸花

f:id:owari-nagoya55:20201202202056j:plain 楼門から拝殿の眺め。
拝殿の全景が入りきらない、創造以上に大きなものです。

楼門の上層に大きな太鼓が見えています、日本一の大太鼓だそうで、1883年(明治16年)奉納されたものだと云います。
下層の左右側面は粗い連格子が組まれていて、正面の長良川や境内の木々を透かして見通せるもの。

f:id:owari-nagoya55:20201202202120j:plain 入母屋桧皮葺の楼門は柱と連格子で組まれていて、どこから見ても向うが透けて見えるのが特徴。
下層は出組の斗組、上層は二手先で1640年(寛永17)と1741年(寛保元年)に再建され、美濃市文化財に指定されているようです。

f:id:owari-nagoya55:20201202202241j:plain 拝殿から中門、中央本殿方向の眺め。

f:id:owari-nagoya55:20201202202305j:plain 拝殿内には複数の奉納額が掲げられ、どれも古いものでは安政と記されたものもある。
どれも退色や劣化があるけれど、それがまたいい感じでもあります。

f:id:owari-nagoya55:20201202202330j:plain 拝殿側面と右が楼門、さらに右に大きな二本の桧が聳えています。
拝殿左の小さな建物は舞殿。

拝殿は入母屋、桧皮葺の大きなもので、角柱は小面をとり、舟肘木を用い、内陣は出組格天井となっています。正面中央間に虹梁を入ればち形の束をのせている。1487年(長享元年)に村山対馬守忠広が建てたという棟札が残るとされる。

舞殿
1670年(寛文10)に再建されたもので、内部は折上げ格天井で妻飾りなどにも気のきいた装飾が施こされています、洲原神社社殿の中では一番古く優れたものと云われるようです。

夫婦桧
楼門をくぐり境内左に聳える二本の桧が夫婦桧(男桧・女桧)で縁結びの神木と言われるそうだ。
男性は女桧を、女性は男桧を夫々抱きかかえ良縁を願えば願いは叶うとされる。

f:id:owari-nagoya55:20201202202352j:plain 楼門東端の一角に足型の様な窪みのある石があります。
子授かりの石と呼ばれ、その昔この石をまたいだ女性の方は、ほぼ子供が授かると言い伝えられているようで三回またぐのが慣わしのようです。

この霊石の右に小さな池があり、中央の注連縄で囲われた石には何か文字が刻まれているようですが、
現地で目視した時は水神とあったように見えたけれど、こうしてみると読み取れない。

f:id:owari-nagoya55:20201202202417j:plain 全国の洲原神社の本山で正一位洲原白山とも呼ばれる。
長瀧白山神社、白山中居神社と並ぶ白山信仰の対象で美濃馬場から白山登拝に至るまでの前宮でもあるようです。
創建は721年(養老5年)と歴史のある神社で越前の泰澄大師により創建されたとされ、古くから農桑の神として崇められてきたようで、境内の砂を持ち帰り、田畑にまけば豊作になるとされる。
御神徳は平穏安寧、五穀豊穣、産業振興、交通安全、厄災除け、開運招福をもたらすといわれる。

社殿は1456年(康正2)炎禍に見舞われ新たに建立されています。
1487年(長享元年)当時の領主だった村山対馬守忠広により修繕され、1585年(天正13)鉈尾山城主の佐藤才次郎方政による修繕される。以後は江戸初期に大修理を受けているようです。
これら本殿と拝殿、舞殿、楼門は県や市の重要文化財に指定されています。

本殿域は中央本殿と東本殿、西本殿と三棟あり。
中央本殿の祭神は伊邪那岐命
西本殿の祭神は大穴牟遅命、合祀神は大山衹命、木花咲耶姫命猿田彦命迦具土命、道返之命。
東本殿の祭神は伊邪那美命、合祀神は天照皇大神豊受姫神、須佐之男命、少彦名命

三棟が立ち並ぶ姿を横から収めたいものです。

f:id:owari-nagoya55:20201202202441j:plain 中門と本殿
中門は透塀が取り囲んでおり、その間から本殿を垣間見ることができます。

f:id:owari-nagoya55:20201202202503j:plain1914年(大正3)に奉納された狛犬、本殿には江戸時代に作られたとされる3対の狛犬があり、それらは市の文化財に指定されているようですが、当然姿は拝めない。
とはいえ、中門前の狛犬も捨てたものじゃない、阿形の顔立ちなんかは凄味があって凛々しいものがあります。

f:id:owari-nagoya55:20201202202525j:plain 中門付近の解説。ほぼ〃文化財に指定されているようです。

f:id:owari-nagoya55:20201202202550j:plain 中門と本殿額
入母屋桧皮葺で前面に向拝がつく。三手先斗組斗組の間に蟇股が施されています。
彩色はなく、シンプルな木の色と木目の美しさがいい、落ち着きのある立派なもの。
東、西本殿も本殿同様木の温もりを生かした流造。

f:id:owari-nagoya55:20201202202614j:plain 境内の常夜灯も木造で味があるもので社殿の雰囲気に馴染んでいます。
太鼓橋脇の石灯篭(1864年)も苔むしています。

神々しい雰囲気を作り出す杉や桧の巨木が聳える杜に鶴形山をはじめとする周囲の山々、そして門前を流れる長良川、それらに包まれ佇む素朴な社殿は想像していた以上のもの。
紅葉も綺麗だろう、おやじは雪がしんしんと降る早朝にもう一度訪れようと思っています。

2020/9/28

「洲原神社」
創建 /   721年(養老5年)
祭神 /   伊邪那岐命
住所 / ​岐阜県美濃市須原468-1-1
公共交通機関アクセス /   長良川鉄道洲原駅で下車徒歩が便利
関連記事 / ​長瀧白山神社