長濱神社(​​広島県廿日市市宮島町)

厳島を訪れ、厳島神社はじめ寺社を参拝してきました。
短い滞在時間、今回の長濱神社をもって最後の参拝となります。

鎮座地は先に掲載した行者堂から5分程、北側の海岸線に出て、三叉路を右に向かい海岸沿いに進みます。
宮島桟橋からだと、参拝客の人波は厳島神社のある右に向かうはず、長濱神社へは左に進みます。
桟橋からだと小さな岬の陰になり、神社の姿は見えませんが、5分程もあれば辿り着ける距離です。

小さな岬を過ぎると、海岸に朱の両部鳥居が見えてきます。
ここが長濱神社になります。
厳島神社の大きくな大鳥居も威厳があって素晴らしいが、個人的にはこぢんまりとした長濱神社の佇まいがとても印象に残る。
訪れる参拝客は少なく、砂浜に打ち寄せる波の音が気持ちを落ち着かせてくれる。

上は天保13年(1842)に編纂された厳島図会、その挿絵に当時の鎮座地周辺が描かれていた。
当時のこの辺りは、松並木と白い砂浜が美しい海岸で八重の浜と呼ばれていたようです。
厳島図会では、この地には数本の桜があり、花見の名所でもあったと記されています。
挿絵には鹿に見守られ花見を楽しむ光景や、地引網漁をする光景が描かれ、右に長濱神社の両部鳥居と拝殿、本殿が描かれています。
長濱神社は厳島神社の境外摂社。
この絵が描かれた当時は長濱蛭子社と呼ばれていたようで、創建年など詳細は不明です。
祭神は興津彦命、興津姫命、相殿神に所翁の三神を祀り、竈の神として、家内安全や良縁などのご利益があるとされ、特に漁業者の崇敬が篤い神社でもあります。

鳥居から大野瀬戸の対岸宮島口方向の眺め。
旧暦の6月17日に行われる厳島神社の祭礼管弦祭では、厳島神社の祭神を乗せた御座船が、舳先の左右に篝火を焚き、艫に4個の高張提灯、二十数個の飾り提灯などに灯りを灯し、大野瀬戸の暗い海面に灯を映しながら、対岸の摂社地御前神社までの海上を管絃を奉奏しながら渡っていきます。
長濱神社で管弦祭のクライマックスを迎え、この沖に御座船が立ち寄り、ここで管絃の奉奏が行われた後、祭神を乗せた御座船は本殿に向かうという、平安時代から綿々と執り行われて来た祭礼。

鳥居の額は長濱神社。

海岸に建つ鳥居から、道路を挟んで正面に社殿が建てられており、鳥居の正面に写真の拝殿もしくは神楽殿があります、社殿配置は絵図が描かれた当時のままの配置です。
檜皮葺の妻入りで四方は吹き抜けのもの、山肌がすぐ後ろに迫る事から、縦長の社殿配置が出来なかったのか本殿はこの右側に建てられています。

拝殿から社殿全景。
こうして見る配置に違和感は全くない。

本殿全景。
桁行き三間余り、梁間四間の切妻瓦葺で内陣と外陣に別れています。
訪れたのが3月3日、境内には丁度梅が咲き誇る時期でした。

長濱神社解説。
厳島神社摂社
御祭神 興津彦命、奥津姫命

相殿 所翁
由緒
御鎮座の年月は不詳。
御本社管弦祭の土岐この神社の前で雅楽が奉奏されます。
漁業者の信仰が篤い神様です。
例祭 11月20日

本殿内。
内陣の額は「長濱神社」とあります。
興津彦命は竈門の神、奥津姫命は航海の守護神、どちらもこの地に於ては重要な神様。
所翁は佐伯鞍職が遊猟していた時、鞍職が問いかけた際、「私はこの所の翁」と名乗ったとことから所の翁と呼ばれるようになったとか。
三翁神社でも祀られていました。

本殿から両部鳥居方向の眺め。
手水鉢と常夜灯がありますが、どちらも寄進年は読み取れなかった。
絵図には多数の常夜灯がありますが、現在は形の違う燈籠が二基ずつとなり、海岸も整備され桜の樹も見当たらず時代と共に様相は随分と変わりました。
波打ち際に出てみる事に。

砂浜に聳える両部鳥居。
この時は干潮の時間帯、満潮ともなれば6個の礎石の中ほどまで潮が満ちる様で、海側から鳥居が見られるのも干潮の時だけのもの。
かつて八重の浜と呼ばれた砂浜も、護岸整備により縮小しているようです。

鳥居から西側の光景。
かつてはここに舟が着き、上陸した参拝者は厳島神社に向かっていた。

現在はこの岬の向こうにフェリー桟橋があり、岬の陰にあたるこの辺りは参拝者が訪れる事はないようです。

長いよう短かった一泊二日の広島一之宮巡り。
奥深いこの島を日帰りで見て廻ろうなんて、到底無理な話。
次回訪れる機会があれば島内で一泊したいと思う。


厳島神社境外末社 長濱神社
創建 / 不明
祭神 / 興津彦命、奥津姫命、所翁
例祭 / 11月20日

所在地 / ​​広島県廿日市市宮島町
宮島桟橋から長濱神社 / ​東へ徒歩5分
参拝日 / 2023/03/03
関連記事 /