『東市場 宝仙寺』

前回掲載した東市場の神明社、社頭の東町交差点を南に向かい、最初の交差点で右折すると今回掲載する「玉龍山 宝仙寺」が鎮座します。
移動時間は2分もあれば門前に着けます。

上の左の地図は明治24年(1891)の東市場集落。
赤丸部分が鎮座地、当時の集落には曹洞宗のお寺「宝仙寺」とすぐ南に高野山真言宗金剛寺の二寺が記されています。

宝仙寺」は江戸幕府が開かれて間もない頃の元和3年(1617)に創建されたと記録されています。
曹洞宗のお寺で本尊は十一面観世音を祀るようです。
岩倉市の解説に宝仙寺について以下のように記されていました。
「雷除けの御仏
東町の宝泉寺には本尊の十一面観世音(木仏座像)の外に、同じく木仏の大日如来像が安置されています。
これは伝教大師御作といわれ、岩倉城主織田伊勢守から鬼門除けの霊仏として受け入れたものと伝えられています。
この大日如来は村民の間で、雷除けの霊験あらたかな御仏として深く崇敬されていたといいます。」

雷除けの謂れまでは記されていませんが、岩倉城の鬼門封じとして「受け入れた」とあり、古くから村人により崇められてきたようです。
宝仙寺の創建について複数の古史に目を通すと何れも元和3年(1617)と記されていました。
岩倉城の築城は文明11年(1479)頃、織田伊勢守織田敏広により築城とされ、その後の浮野合戦で永禄2年(1559)に信長に落とされ廃城とされており、約半世紀近くズレがありますが、築城後に鬼門封じとして城内に安置されて来たものなんだろう。

神明社から南下し交差点を右折すると宝泉寺の伽藍と門前の小さな祠が見えてきます。

薬井門全景。
右の寺号標は「曹洞宗宝仙寺
右の堂は明王堂、左の堂が秋葉堂で、明王堂の右には観音堂があります。
宝仙寺玉龍山と号し、龍潭寺の末寺です。

観音堂

薬井門左の秋葉堂とその左は地蔵堂で一体の石地蔵が安置されています。

薬井門

本堂は入母屋瓦葺の平入で一間の向拝が付く。

本堂に掲げられている山号額は「玉龍山」

上は尾張志、尾張巡行記の宝仙寺の記録。

 

尾張巡行記によれば開基は龍潭寺6代養室和尚とある。

本堂から瓦葺の袖壁が付く薬井門の眺め。
門の右側に鬼瓦、左側に石像が安置されています。

左側の石像と石碑。
像の主は役行者の様にも見えるが・・・

門右側の鬼瓦。
「旧本堂鬼瓦。
明治24年(1891)の濃尾大震災で倒壊。
明治26年(1893)再建された本堂の瓦です。」

伽藍はその後も補修の手が入っているようで、建物や境内は手入れが行き届き、震災から再興までの期間を見ても、檀家により手厚く護られているようです。

切妻瓦葺の薬井門、男梁と蟇股には雲の装飾が施されています。

秋葉堂の西に小さな祠があります。
昭和30年(1955)に再建された地蔵堂のようで、中には一体の地蔵が祀られていました。
ここは子供達の通学路のようで、お地蔵さんに見守られ賑やかに通り過ぎて行く、見慣れないおやじとすれ違いざまに「こんにちは」と挨拶してくれた子供達が印象に残った。
こんにちは、歴史のある町は人も育てるようだ。

宝仙寺
宗派 / 曹洞宗
山号 / 玉龍
開山 / 祖陽
開基 / 陽室和尚
創建 / 元和3年(1617)
本尊 / 十一面観世音
所在地 / 岩倉市東町東市場屋敷94
東市場神明社より徒歩ルート / 東町交差点を南下、一つ目の交差点を右に2分程
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