『気比神宮、金崎宮』 青春18切符で敦賀遠征

2018/12/27

平成最後の年を電車を乗り継ぎ敦賀を訪れてきました
青春18キップで名古屋金山発7:40の電車で出発
天気は今にも雨、現地は雪か?
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米原までは雨にも降られる事無く、電車も遅れる事無く予定通り到着
ここから北陸本線に乗り継ぐ
途中、大仏や虹もみられ、のんびりと車窓の景色を楽しむ
天気は怪しい雲の中、晴れ間がのぞくものの、日本海側の空はどんより鉛色
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10:30頃目的地敦賀に到着
ベンチに佇む白衣をまとった恐竜
一瞬違和感を感じますが化石で知られる勝山は福井
なのでここにあっても何らおかしくないのか
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えらく綺麗になった駅舎と駅前、ここから今回の目的地「気比神宮」とカニを目指す事に
天気は曇り時々あられ、海風強しです
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駅前から伸びるアーケードを真っ直ぐ海側へ進みます
商店街の道路を挟んで歩道には銀河鉄道999宇宙戦艦ヤマト松本零士作品のキャラクターのブロンズ像が気比神宮まで導いてくれます
なぜ松本零士なのか?
調べてみたところ
市のイメージが「科学都市」「港」「駅」と将来像を重ね合わせて設置されたもののようです
素人眼には、科学都市とは原発?、港は敦賀港、駅はロシアと結んだ欧亜国際連絡列車の発着駅なのでしょう
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モニュメントを眺めつつ20分程、モニュメントの途切れた交差点が北陸道総鎮守、越前国一之宮「気比神宮」到着
交差点の角に立派な石灯籠と大きな鳥居が目を引きます
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日本三大木造大鳥居(春日大社厳島神社)の一つに数えられ、重要文化財に指定され、赤鳥居とも称されるようです
木造両部型の風格のある大きな鳥居、参拝客は足を止め見入っています
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鳥居をくぐり、参道左の猿田彦神社
狛犬は1734年(寛保3)と彫られていて、個性的な表情がとても印象的です
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参道の先の左が手水舎、社殿、右に社務所、正面が絵馬殿の伽藍です
参道の先には芭蕉の句碑、角鹿神社/兒宮/大神下前神社へと続きます
参道は黒雲が通る度に雪になりたいのか、雨でいたいのか、みぞれでしっとりと濡れています
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手水舎手前の長命水
702年(大宝2)、それまで気比神宮伊奢沙別命の1柱を祀る神社でした
後に仲哀天皇神功皇后日本武尊応神天皇、玉妃命、武内宿禰命を合祀
祭神は7柱とされ、神宮修営したましたが、その際に修営途中に突然として地下水が湧き出たと伝えられます
合祀された武内宿禰命は大変長生きをされた神様だったことから、1300年以上の長きにわたり神水として信仰され「長命水」の名称で親しまれています
この水を年の初めに飲むと、その年は健康でいられるという、パワースポットの様です
これにあやかった長命水ようかんがありますが、さっぱりとした甘味のようかんです
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東の神門から境内、正面が授与所になります
この門の反対側の駐車場側に角鹿神社/兒宮/大神下前神社の3社があるのですが
アーバスの参拝客が巡っていて、後回しにしたのですが、帰り際に撮り忘れてしまい悔やまれるところです
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神門をくぐった境内全景、
上段、授与所の右に9社の宮
下段、社殿全景
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拝殿正面全景と神門
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9社の宮
拝殿左にあたり、天井弉奈彦神社、天井弉奈姫神社、天利劔神社、鏡神社、林神社、金神社、劔神社神明社外宮、神明社内宮が祀られている
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気比神宮由緒書き
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帰り際に参道から見た鳥居、見事な鳥居です
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気比神宮
住所 / 福井県敦賀市曙町11-68
祭神 / 伊奢沙別命仲哀天皇神功皇后応神天皇日本武尊、 玉姫命、武内宿禰命  
創建 / 199年(仲哀天皇8)と伝わる
撮り忘れた事も露知らず、カニを食べる目的で「赤レンガ倉庫」へ
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赤レンガ倉庫の手前に旧敦賀港駅舎を再現した敦賀鉄道資料館
後方で係留されているは海上保安部巡視船「ほたか」
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登録有形文化財「赤レンガ倉庫」へは12:20到着
昼ごはんにはちょうどいい時間、倉庫内は複数の飲食店があり「海鮮dining生け簀の甲羅」で
燃料補給、新鮮なカニ刺し、焼き蟹、鯖へしこチャーハン等を堪能
いつもさあ食べるぞ!と思う勢いとは裏腹にそれ程食べれない自分を感じる
もっとも、隣で着物の綺麗処がさばいてくれたりすると・・・・・エンジン全開なのでしょうが

美味しいものが少しあって、酒があれば満足してしまうのは歳なのでしょう
鯖へこしチャーハンは魚好きのおやじにはたまらない
鯖の香りと脂の旨みを感じ、塩加減も良く美味しかった

かみさんのリクエストだったこのお店、TVでも紹介された様で色紙も飾られていましたが
目の前の生簀から取り出し調理される料理は新鮮でおいしかったですよ
燃料補給、食欲も満たされました次の目的地を目指し1:30に赤レンガ倉庫を後にします
赤レンガ倉庫
住所 / 福井県敦賀市金ケ崎町4番1号
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次の目的地「金崎宮」は赤レンガ倉庫から歩いて10分程東の小高い岬に鎮座します
北からは鉛色の日本海から吹きつける風が一気に体温を下げていきます
踏切のない線路・・・・・電車は通りません
踏切を超えるた左に「金崎宮」社号標、右は若狭観音霊場2番札所「金前寺」
左の参道を進みます
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「金前寺」を過ぎたあたりにある「旧敦賀港駅ランプ小屋」
1882年(明治15)敦賀~長浜間に敷設された鉄道の建築物ですが、内部には当時のランプ、絵図等が展示され当時のこの地を知る事ができます
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ランプ小屋から先はご覧の様に岬の頂に向かう古い石段が続きます
石段の登り口の左の愛宕神社鳥居、急な石段の先に本殿が祀られています
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参道に戻り再び石段を登ると「金崎宮」の石鳥居が見えて来ます
境内の二の鳥居の先には神楽殿
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上段 境内右の手水舎
下段 末社 朝倉神社
朝倉義景織田信長の対立に、義景は金ヶ崎等に城を築き来襲に備えました
1570年(元亀元)信長は天筒・金ヶ崎両城を陥落、朝倉景恒を降伏させます
この朝倉神社は1471年(文明3)から城を構え、降伏するまでの朝倉氏6代と一子を祀った社
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上 神楽殿
下段左
1893年(明治26)に竣工し、流造の本殿は現在地より上の所にあったそうです
1903年(明治36)の火災で本殿等伽藍を焼失
1906年に還宮再建されたもので、この時に本殿は現在地に移され、建築様式も神明造となったそうです
下段右
絹掛神社
南北朝時代の1337年(延元2)金ヶ崎城落城の際の武将達が祀られています
神社から少し上に登った、日本海を望む小高い場所に「尊良親王御陵墓見込地」の碑が残ります
落城時に自らの生命を断った場所ではないかと云われています
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金崎宮御朱印
住所 / 福井県敦賀市金ヶ崎町1-4
祭神 / 尊良親王恒良親王
創建 / 1893年(明治26)
御神徳 / 恋愛成就、開運・難関突破・金運
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上段 鳥居前の由緒書き
下段 見晴らし台からは歩いて来た敦賀市が一望できます、金ヶ崎城址へは更に上に石段を登っていきます、今回は尊良親王墓所見込地までが時間的に許される範囲でした
ここで14:30 下山し敦賀市繁華街で買い物をすることに
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上段 繁華街への戻り路で見かけた天満神宮
住所 / 福井県敦賀市栄新町1
祭神 / 菅原道真
創建 / 980年(天元3)

下段 五芒星の幟を見かけ立ち寄った清明神社
由緒書きには西暦990~994年、当地で安倍晴明が修行をしたと云われています
住所 / 福井県敦賀市相生町8
祭神 / 安倍晴明
創建 / 不明

市内で長命水ようかん、一本義を買い求め長浜へ向かいます
あられが降りしきる敦賀駅を4:23出発
乗り換えの近江塩津を目指します
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近江塩津」で乗り換え降車したものの、ホームは風よけも、売店もない田舎の駅
ホームを変わるのに、シェルターの様な地下連絡通路を経て地上に上がります
(雪が多いのでこの構造でしょうか?)

空模様も横殴りのみぞれ、ホームは融雪剤が撒かれ物々しい状況
待つこと30分程、乗り継ぎの電車が到着し暖かい車内へ、やれやれです

長浜駅に着いたのは5時を過ぎており、周りはすっかり真っ暗
久振りに息子と会い近況を聞きながら夕食を取る事に
サラダパンに7本槍、その他に地元食材を詰め込んだおっさんのザックは一杯です
別れ際「そもそも何しに来た?」と聞く息子に「買い出しに来た、元気でな」と言い残し
重いザックを背負い長浜駅から帰路に付く
うたた寝しながら名古屋に着いたのが9時頃だったか
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雪に見舞われる事も無く、ダイヤに乱れもなく順調に戻ってこれました
今日の米原は雪だった様です、今日だったらどうなっていた事か

青春18切符で行った敦賀の街は満足の一日でした
昨日の総歩行数19,783歩、少し足に来た一日です
それにしても乗換駅の「近江塩津」恐るべしです

今日は191歩、反動の大きい一日です

たった今、七本槍を開けて見ました
最初の一口は雑味を感じたものの、二口目には雑味も消え、かみさん曰く「まったりとして
僅かに甘目の美味しいお酒」との事

甘いものは好まないけれど、これくらいの甘さなら嫌味はない、おっさんも同感です
気になっていた銘柄だけに、この酒蔵は全品種飲んで見よう

平成の遠征はこれで終わりです
かみさんの頭の中では既に来年の計画が練られているようです