『荒子観音寺・宮窓 神明社』 中川区荒子町宮窓

「駅から始まるヒラメキさんぽ」で中川区を訪れ、荒子町宮窓の荒子観音寺を通りかかりました。

今回は、前田利家荒子梅苑から南に徒歩数分の場所に鎮座する荒子観音寺と境内東に隣接する宮窓の神明社の現況を掲載します。

荒子観音の名で知られますが、正式名称を浄海山 圓龍院 観音寺と称する天台宗の寺院。
歴史は古く天文元年(729)年泰澄和尚が開祖。
円空と縁があり、多くの円空仏を所蔵する事でも知られています。
荒子観音は、現在の富士大権現天満天神宮の鎮座地に築城された荒子城の城主前田家の菩提寺で、特に当地出身の前田利家から庇護を受けるなど利家と所縁の深い土地柄。

上は山門南に立てられた解説板で昭和39年、荒子観音の鐘つき堂竣工の際に馬の塔を奉納した際の画像で、山門前の賑わいが窺われます。
この馬の塔の馬道具を献上したのも利家で、それが今も受け継がれているという。

普段静かな門前通りですが、節分の恵方にあたる時には多くの人で賑わい、毎月第1日曜日に行われる朝市も多くの参拝客が訪れます。

上は大正初期の荒子村の地図。
下側の東西に延びるのが百曲街道、熱田新田北側の干拓堤防沿いに東海道と接続するため自然にできた街道で、名の通り曲がりくねった道が続くことからこの名がついた。


前田利家出生の地でもあるので、利家にゆかりのある名所旧跡が多く残る。

浄海山 圓龍院 観音寺(荒子観音山門全景)


尾張名所図会から浄海山観音寺園龍院を一部抜粋。
荒子村にあり天台宗野田村密蔵院末寺。
天平元年(729)、泰澄和尚開基。
・同13年(742)開山僧自性建立。
・永禄8年(1565)尾張四観音の一寺に。
・元禄年中(1688~1704)、円空が訪れ、多数の仏像・彫刻を残す。
・本尊聖観音菩薩。
天正4年前田利家により本堂再建。

荒子観音はもとは現在の鎮座地から少し北西の高畑町あたりに鎮座していました。
信長の比叡山焼き打ち(1571)の煽りから焼失するも、1576年前田利家により再建され、その後の太閤検地で寺領を没収されるなど衰退期を経て、後の尾張徳川藩から庇護を受け現在の地に落ち着いたようです。

この寺を訪れた円空は多くの作品を残し、その中で山門の左右の間に安置されている仁王像は円空最大の作品とされるようです。

左の杮葺きの多宝塔は天文5年(1536)の再建で市内に残る多宝塔では最古の建築物とされ、平成13年(2001)に解体修理を受けた。
中央の三間一戸、入母屋瓦葺の山門は大正15年(1926)再建されたもの。

慶長14年(1609)、家康が築城した名古屋城の鬼門封じと定めた尾張四観音(荒子観音龍泉寺観音、笠寺観音甚目寺観音)の一寺で、当時はこれらを結ぶ四観音道も整備され、千種区日泰寺西側にはその面影が見られ、北側には尾張四観音道道標も残ります。

本堂全景。
往古の荒子観音は七堂伽藍に十二坊の塔頭を誇っていたという、現在の本堂は平成6年(1994)に焼失後、同9年に再建されたもの。

境内右側の鐘楼と六角堂。

六角堂後方の瓦葺建物が宮窓 神明社で、境内に寺と神社を隔てる壁はなく、神仏習合時代の面影が残ります。

上は尾張名所図会(1844)にある「荒子観音寺」の挿絵。
現在地に移転された後に描かれているため、現在の伽藍と比較して、鐘楼や六角堂を除き大きな違いは見られず、境内右手に鳥居を構える宮窓 神明社の姿もある。

6年振りに荒子観音を訪れましたが、伽藍の建替など当時と違いは見られなかった。

荒子観音寺東隣に隣接する宮窓 神明社社頭全景。
社号標には「村社 神明社」と刻まれています。
愛知縣神社名鑑では、文化9年(1812)に荒子観音の守護神として鎮祭とあり。
天保2年(1831)に社殿の修復が行われたようで、祭神は天照皇大神武甕槌命を祀る。

明治政府の神仏分離令にともない荒子観音から切り離され、明治5年村社に列格した。
尾張誌には神明社の他、末社に鹿島社、天王社、白山社、辨才天社、風の宮社の名が記されている。

鳥居から社殿全景の眺め。

拝殿前の狛犬
狛犬や石灯籠など寄進物の多くは昭和・大正・明治のものでした。

入母屋茅葺の覆屋の大棟は竹を組み合わせ作られ、内削ぎの千木が乗せられたもので、茅の入手しやすい地域でこうした造りは見かけますが、市内で見かけるのは宮窓 神明社の他に記憶がありません。

覆屋内。
南向きに三社と東向きに一社祀られています。
何れも社名札はなく、中央の千木・鰹木が付く社が神明社本殿と思われますが、両脇の社は不明。
恐らく神仏分離により荒子観音境内に祀られていたものが神明社に纏められたものと思います。
しかし尾張誌に記されたどの社なのか写真から特定は出来なかった。
唯一はっきりしているのは、辨才天社は荒子観音寺境内北側に鎮座していることか。

唯一東を向いて祀られる社、扉が一部開けられ中の神札が見えていましたが、どうやっても文字までは読み取れなかった。

拝殿鬼には荒子観音山門の鬼と同じ五三桐の紋が入る。

荒子観音
山号・正式名 / 浄海山圓龍院観音寺 
宗派 / 天台宗
開基 / 泰澄
創建 / 天平元年(729) 
本尊 / 聖観世音

宮窓 神明社
創建 / 不明
祭神 / 天照皇大神 武甕槌命
氏子域 / 荒子荒子町、小城町、小塚町、細米町、的場町、若山町
境内社 / 不明社三社
例祭日 / 10月第二日曜日
所在地 / 名古屋市中川区荒子町宮窓134
参拝日 / 2024/02/14
公共交通機関アクセス / 地下鉄東山線高畑駅5番出口から​東方へ徒歩10分
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豊田市足助町飯盛「カタクリ群生地 開花状況」

3月07日
ここ数日の風雨もおさまり、一転して春の陽気となり
豊田市足助町香嵐渓にある飯盛山カタクリ群生地を訪れてきました。

普段は土筆が頭を出す光景を見かけるようになり、春がきたなぁと感じるようになりました。
車でひとっ走りした香嵐渓まで来てみると、紅葉の時期に賑わう待月橋には人影もなく、この辺りが春めくのはもう少し先のようです。
この時期は山里に一足早く春を告げるカタクリが咲き始める時期。
左手の飯盛山にはカタクリの群生があり、タイミングが良ければ淡い紫のカタクリが一面に咲く光景が見られます。

毎年やってくるものの、遅かったり、早かったりと、最盛期に訪れたことがない。
写真は群生地入口から飯盛山斜面の眺め。
遠目にカタクリの葉は見られますが、そこに紫の花は見られなかった。
今年も早かったようです。

群生地のカタクリ解説。

太子堂付近から斜面の眺め。
主役はまだカタクリの葉の緑。

日当たりのよい群生の中央でちらほら咲きだしているものの、望遠がなければ寄れない。
盛期と比較するとまだまだ、そんな印象でした。
じゃあ訪れるならいつだろう。
個人的な推測ですが少なくとも今週末ではなく、来週の土日であれば手元でも見られると思います。

ポツン〃と咲いているのでどうしても寄るしかない。
取り敢えず春の妖精を撮る事ができた。

訪れた時間帯が午後という事で、花弁はこれ以上反りかえれない感じです。

薄紫の春の妖精、まだ少ないけれど蕾も控えています。

寒かった冬の終わりを告げる小さな花ですが、冬枯れた山の斜面にこの色は一際映える。
カタクリがこうして薄紫の花を付けるまで7年程かかるといい、いち早く花を咲かせ、花期も短いことから春の妖精と呼ばれる由縁です。
花言葉は「初恋」「寂しさに耐える」という事らしい。
山肌にポツンと花を咲かせる姿は「寂しさに耐える」は的を得ている。
寒い冬をじっと耐えこうして鮮やかに花開く。
なんだか人にも言えることかもしれない。

散策路から太子堂方向の眺め。
来週になれば緑の斜面も紫の花がはっきり見えるようになるだろう。

花だけを目的にした場合、開花状況は駐車場から分からないので、1㌔程歩きますが下流の多目的駐車場が当日は無料でした。

駐車場は待月橋周辺、散策路前に有料駐車場があり、相場は500円が多く、300円から上は1000円の看板も見かけました。

撮影日 / 2024/03/07
飯盛山カタクリ群生地 / ​愛知県豊田市足助町飯盛

江南市天王町「津島社」

津島社は、八剱神社から10分少々東へ進み、​県道157号線を越えた左側の江南市天王町五反林に鎮座する神社。

天王町駒野から県道157号線を挟んだ天王町五反林の津島神社方向の眺め。
前方に見える一本の大きな樹が目標になります。

県道を越えると前方の樹は更に大きくなり、左手に玉垣が見えてきます。

上は明治の頃とほゞ現在の当地の比較で赤枠が鎮座地になります。
地図上から津島社の鳥居がはっきり示されるのは大正9年になってからです。

上は江戸時代に編纂された尾張志(1844)の付図から、今回巡ってきた周辺の村絵図を切り取ったもの。
一つ上の地図の集落と河川を比較すると中央辺りが鎮座地になると思われ、
尾張国地名考の寄木、小折、御供所等から天王、五反林、津島社のワードで探して見るも、上の村絵図に具体的に示せなかった。

西側から社地全景。
社地中央の一本の大きな楠が五反林 津島社のシンボルである。

社頭正面全景。
右に津島神社社号標(1915)、神明鳥居(1936)の先に石の番塀を構えている。
愛知県神社庁の津島社解説は以下。
祭神 素戔嗚命、氏子域 天王町駒野、天王町五反林、祭礼 10月第3日曜日。

尾張誌、尾張名所図会に目を通すが津島社の記述は見つけられなかった。

上、玉垣沿いに建てられていた「天王の森」の石碑。
明治政府による神仏分離以前は牛頭天王社と呼ばれた津島神社、敢えて「天王の森」の碑を建てたのは神仏分離以前の名を残したかったのだろうか。
下、境内左の手水鉢と奥の石碑は達筆過ぎで読めず。

境内の楠の巨木。
樹齢は不明ですが力強く張り出した根には自然の息吹が伝わってくる。
注連縄は張られていないが津島社の御神木として存在感がある。
根元に建てられた百度石は大正10年(1921)寄進のもの。

番塀、社殿の正面全景。
楠の根の影響からか、蕃塀の右側が持ち上げられているように見える。

社殿右側から眺める全景。
綺麗に手入れされた境内に四方吹き抜けの切妻拝殿、そこから渡廊を経て祭文殿・本殿と連なり、右側に境内社が祀られています。

拝殿前を守護する狛犬は2005年寄進のもの。

拝殿額。

拝殿から本殿方向の眺め。
由緒・祭神に繋がると思われる額が掛けられいたが読み取れず、創建・祭神は神社庁のものを引用するしかなさそうです。
祭文殿左にも境内社の姿がある。

右側の境内社は「金刀比羅社」

金刀比羅社の鬼には〇金、津島社祭文殿の鬼には津島社の名が入る。

左側見た社殿全景、境内社の奥にも堂の姿がある。

左の境内社は「保食神(うけもちのかみ)」、食物を司る神として稲荷神社にも祀られることがある。
後方の堂は「薬師堂」。
明治政府による神仏分離令の難から逃れたものか、神仏習合時の姿を留めている。

神社の由緒が定かではないので、村人から護られたものか、後に祀られたものか定かではありませんが、堂内中央には本尊の薬師如来像が安置されていました。
堂の前には長椅子が置かれ、陽射しを受けながら住民が集まり語らいの場になっているのかもしれない。

薬師堂から津島社本殿を眺める。
高い塀で囲われ、唯一見られたのがこの一枚、恐らく板宮造りの社かと思われます。

拝殿から社頭の眺め。
小型の蕃塀を補う様に楠の太い幹が本殿を外界から遮っている。

東から見た社地全景、一本の巨樹が聳えるこの光景が印象に残る神社です。
今回大口町の神社を歩いて巡ってきましたが、今回は津島神社で締めくくり、堀尾跡公園に戻る事にします。
今回堀尾跡公園を起点にして午前・午後と歩いたルートは以下。
午後 裁断橋から​東方向約3.2㌔​・午前 裁断橋から​​西方向約4.3㌔
結構距離はありますが、平坦な道ばかりなので苦になるものではありませんでした。

天王町 津島社
創建 / 不明
祭神 / 素戔嗚命
境内社 / 金刀比羅社、保食神
所在地 / 江南市天王町五反林72
北山 八剱神社から津島社 / 八剱神社から10分少々東へ進み、​県道157号線を越えた左​。
参拝日 / 2024/01/26
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江南市北山町『八剱神社』

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江南市北山町『八剱神社』

安良 八王子社から今回掲載する江南市北山町に鎮座する八劔神社へは、南西に1.4㌔歩約20分強の場所になります。

北山 八劔神社の社地全景。
名鉄の踏切渋滞を解消するために道路整備された布袋駅線の北側に面している。

上は明治24年の地図と右がほゞ現在の地図の比較。
当時の小折北山集落の西に鳥居が記されています。
現在の鎮座地周囲は住宅が広がり、社頭前の交差点付近には大型スーパーもあり利便性の高い地域。
ここまで来ると名鉄犬山線布袋駅へは5分もあれば辿り着ける。

社頭から境内を眺める。
住宅地にあって広い社地を持つ神社で、境内で一際目を引くのは二本の巨樹だろう。
建物の配置は鳥居をくぐり左側に手水舎、正面に境内社、右側に社殿が連なる。

鳥居をくぐった両脇で一対の狛犬が守護する。
耳垂れで愛嬌のある顔つきのこの狛犬明治40年(1907)に寄進されたもの。
円高、安価な人件を追い風に某大国から大量生産・輸入された狛犬にはない個性的なもの。

境内左の手水舎、手水鉢。
木造瓦葺で四つ脚の手水舎で、鉢は明治18年(1885)当時の先人達から寄贈されたもの。

参道右側の神馬像。
鞍には五七の桐紋が入る。

東側から見る社殿全景。
印象的な二本の巨樹の高さは優に社殿を凌ぎ伸び伸びと空に向かい聳えている。
手前の樹と奥の樹は種類が違う様に見え、手前の巨樹は木肌から楠だと思われます、トトロでも出てきそうな雰囲気がある見事な樹形です。
街中の楠は気の毒なほど枝打ちされますが、こちらは実に伸びやかに年輪を重ねている。
奥の樹は一位樫の御神木。

社頭の眺め。

石の神明鳥居は大正2年(1913)、左の「八剱神社」社号標は昭和43年(1968)に熱田神宮宮司の揮毫。

境内から拝殿・本殿方向と左の御神木。
御神木の周囲は茶色に染まっています、その正体は樫の実。
小さい頃、明治生まれの婆さんが樫の実を使って豆腐や菓子にして口にしたことがある。
今の様に美味しいものが潤沢に手に入る時代ではなく、贅沢と云えば砂糖まみれのコーラや人工着色量、人口甘味料で育った年代なので、口にしたことのある人はいると思う。
当時の人は身近な自然を食す豊富な知識を持っていたもので、子供ながらに大きな存在にみえたものだ。
時は過ぎ、今は伝承や知識もなくなり、毒性のある似たような外来種が幅を利かせ、迂闊に手は出せなくなった。話が脱線した戻ろう。

拝殿正面全景。
大棟には7本の鰹木、外削ぎの千木が付き、両脇に翼殿が連なる。
その前には一対の狛犬

東海地方ではスタンダードな容姿のもので子連れ毬持ちのもの。
年代未確認。

拝殿紋幕には大きな桐の紋が入る。
愛知県神社庁による八剱社の解説によれば、氏子域は江南市の北山町、布袋町、南山町で、祭神は日本武尊です。
祭礼は10月の第3日曜日に行われます。
境内には創建時期や由緒を記した案内がなく、調べてみると現在は八剱神社と称していますが、古くは火明命を祀る石作神社として始まり、延喜式の「尾張国・丹羽郡石作神社」と記された論社と見られる古社のようです。
天文19年の石作神社の棟札が残るとされ、1844年に編纂された尾張誌では石作神社として記されており、経緯は不明ですが、石作神社の境内社であった八剱社が社名として伝わるようになり、現在に至っているようです。
往時の挿絵でも・・・と、めくってみましたが残念、何かで見つけたらコッソリ入れる事にします。

拝殿左から幣殿・本殿の眺め、社殿全体傷みもなく綺麗な状態でした。

拝殿と切妻の幣殿が一体化し、本殿に接続しています。
本殿は5本の鰹木と外削ぎの千木が付いた神明造です。
翼殿から始まり、本殿の領域を囲むように高い塀が続いています。
昭和40年(1965)には、社殿が大きく東に移動したようで、写真右側の石畳を北に進むと「旧本殿跡」の石標が立てられていました。
大正2年(1913)に寄進された鳥居から見ると、社殿が右にずれているのはその名残かもしれません。
現在では、鳥居の正面には御神木の一位樫がそびえ立っています。

拝殿左の御神木と境内社

江南市指定文化財の御神木イチイカシ。
堂々たる幹を持ち、木肌からも重ねた樹齢を感じさせる。

樹齢は推定500年とされ、室町時代に芽生えたものが今も衰える事無く聳えている。
樹高は10㍍と表記されていますが、間近から眺めるとそんなものではなく、見上げる者を一位樫が包み込んでいるような気にさせる。
昭和54年の台風で被害を受けたようで、主幹は切断され屋根が架けられている。
古くは村人の空腹をしのぐ貴重な存在だった事だろう。
枝の下の地面は無数の樫の実で覆い尽くされ、周囲を歩いていると実は砕け乾いた音がする。

御神木左に三社祀られていますが、社名に繋がる寄進物がなく不明です。
写真は三社の境内社の右側のもの。

中央の社。

左の社。

境内東から八剱神社の杜と社殿の光景。

規模の大小にかかわらず、神社はやはり自然と一体化した郊外がいい。

八剱神社

創建 / 不明(天文19年の棟札)
祭神 / 日本武尊
境内社 / 不明社3社
八王子社から八剱神社 / ​​布袋駅方向に徒歩約20分程​​
所在地 / 江南市北山町西138
参拝日 / 2024/01/26

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上は八剱神社の東隣の道路脇に祀られた二つの社。

社名は不明ですが、蝋燭立てもあり新しい榊が供えられており、生活に密着した神さまが祀られているのだろう。

子供の頃、親戚の家へ向かう道すがら、こうした風景がありました。

しかし、道路が整備され、街並みが洗練されるにつれ、こうした風景は見なくなりました。

江南市安良町『安良 八王子社』

江南市安良町八王子「八王子社」
稲木神社から北方向にある保育園東に隣接する神社で、稲木神社から徒歩5分程の場所に鎮座します。

稲木神社から北へ少し歩いた先から見る「八王子社」の杜。
たわわに実るのはみかんだろうか。
枯らしてばかりの我家の果樹と比べ上手に育てるものだ、感心する。

上は明治時代の当地とほゞ現在の移り変わりと鎮座地。

柳街道沿いの安良集落の西側、寄木集落北側の田畑の中に鳥居の印が見え、大正時代に入ると安良集落から神社に向け参道が現れます。

社殿は南向きに配置され、参道は此の南側と東の二つあります。
こり南側には注連縄門と右手に「八王子社」社標(1909年寄進)、正面に社殿が連なります。
東側の参道には鳥居もあり、そちらが正参道の様にも見えます。

社地東側の参道口全景。
こちらが大正時代に作られた参道と思われます。
一対の常夜灯(1906年寄進)と左に社標(1925年)、石の明神鳥居を構えています。
社標の寄進年だけで見れば南側が古く、社殿配置からみると南が正参道だろうか。
取り敢えずこちらから境内に進んでみる。

社頭右側の一つ物の解説。
尾張名所図会に力長の若宮八幡社祭礼として記され、八王子社鎮座地の安良からは、神功皇后を模した人形(おでこ様)を馬に乗せ、取り囲むようにして若宮八幡社、八王子社にねり歩き奉納するものという。
江南市指定文化財で、おでこ様は永享元年(1747)に制作されたものという。

尾張名所図会後編巻6丹羽郡より力長若宮八幡社挿絵から一つ物奉納の様子を抜粋。
若宮八幡社境内でおでこ様を乗せて拝殿に向かう当時の様子が描かれていた。
他にも飾り付けられ待機する馬の様子が見える。

八王子社の由緒等記されているか尾張志含め目を通すが、おでこ様以外に神社の記述は見当たらなかった。
境内でも由緒を目にしなかったので詳細は良く分かりません。
云えるのは挿絵が描かれた当時、恒例行事として祭礼が行われていた事になり、江戸時代には確実に八王子社は鎮座していたようだ。

鳥居の額は八王子社。

鳥居をくぐると手水舎に向けて真っすぐに参道が伸びる。
右側は遊具が整備された公園となっており、北側には参拝駐車可能な余地もあります。

稲荷社。
参道右側の杜の中に東を向いて鎮座する。

稲荷社付近の楠の御神木。
樹々が生い茂る杜ではなく、境内のほゞ中央の4本の巨樹が杜を形作っている。
なので、風の通りも良くて居心地のいい明るい森です。

公園から社殿の眺め。
拝殿、祭文殿、本殿と連なり、本殿右に境内社の姿がある。
公園から境内社に向かってみます。

公園北側から見る本殿と境内社と二つの石。

境内社の右に祀られるのはどちらも山神でした。

山神の左の三社相殿の境内社
左は伊勢神宮、右は津島神社、熊野本宮が祀られています。
公園からの流れでいきなり本殿脇まで来てしまったので、南参道から境内を回ることに。

南参道から拝殿の眺め。

左側の手水舎と龍口。
この龍は髭や角が控え目だなぁと思えば、角にはリボンか?
どことなく表情も優しく見えてくる。

拝殿から社殿と公園方向の眺め、境内では早咲きの桜の花が咲き始めていた。

拝殿正面全景。
一対の常夜灯の先に拝殿を守護する一対の狛犬の姿。
拝殿の鬼には八王子の社名が入る。
そこからして祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳命天津彦根命、熊野樟日命、活津彦根命、天穂日命湍津姫命市杵島姫命田心姫命で、須佐之男命の五男三女神を祀る。
拝殿は入母屋瓦葺の妻入りで、梁間、桁行ともに三間で四方は格子戸が入る

拝殿前の狛犬

拝殿の妻壁には人目を引き付ける意匠は少ないようです。
現在の拝殿は平成に入り修繕の手が入れられている様でした。

拝殿から祭文殿の眺め、両脇の翼殿から築地塀が本殿域を囲う。

本殿域全景。

拝殿から本殿方向を眺める。

大棟瓦には八王子社。

祭文殿は明治39年(1906)に寄進された小振りな狛犬が守護する。

「八王子」の額は明治21年(1888)のもの。

格子戸から渡殿、流造の本殿の眺め、両脇に小さな狛犬の姿がある。

蚕影(こかげ)神社。
境内左側に祀られており、蚕が作る繭から作られる絹、その蚕を司る養蚕の神を祀る神社。
ひと昔前にはどこでも蚕の餌となる桑畑が見られたもので、古い農家の屋根裏には蚕が育てられていたものです。
若い頃中山道の宿に泊った時、屋根裏の幼虫が桑の葉を食べる時のガサ〃、ムシャ〃。
あの音は今も記憶に残っている。
クワガタやカブトが飼育ケースの中で一晩中ゼリーを食べるため徘徊する音にも通じるか。

本殿域左の境内社、こちらには左から春日大社金刀比羅宮豊受大神宮秋葉神社の四社が祀られています。
扉が微妙に開けられていたが、ちゃんと社名は表記されています。

拝殿から南参道の眺め。
創建時期は定かにならなかったが歴史は江戸時代、ひょっとすると安土桃山時代まで遡る神社なのかもしれない。

安良 八王子社
創建 / 不明
祭神 / 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命天津彦根命、熊野樟日命、活津彦根命、天穂日命湍津姫命市杵島姫命田心姫命で、須佐之男
境内社 / 津島神社、熊野本宮、蚕影神社、春日大社金刀比羅宮豊受大神宮秋葉神社
所在地 / 江南市安良町八王子138​
稲木神社から八王子社 / ​北へ徒歩5分程
参拝日 / 2024/01/26
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堀尾跡公園駐車場から今回の目的地稲木神社は、県道176号線を西へ徒歩15分程で到着します。

上は県道沿いに建てられた「郷社 稲木神社」社号標。
県道から別れ、北に続くこの道を2.3分進んだ左に社頭があります。

江南市寄木町稲木 稲木神社社地全景。

稲木神社は江南市の中心部を流れる青木川左岸の農地と住宅が点在する場所に鎮座し、周辺には他にも神社が点在します。
公共交通機関で訪れるなら、名鉄犬山線「布袋」駅から北東に徒歩30分の距離にあります。

以前名古屋市天白区八事天道に鎮座する天道山高照寺、五社宮を訪れましたが、それらはここ稲木神社がはじまりと云う事から訪れる事にしました。

東向きに社頭を構え、西側の寄木会館を含めた広い社地全周が玉垣で囲まれています。

社地西側は田畑から姿を変え住居が集まっていますが、東側には今も田畑が広がっています。

社頭から境内の眺め。

社頭右に「式内 稲木神社」の社号標、石灯籠があり、その先に石の神明鳥居と太鼓橋があり、その先は蕃塀、社殿と続き、右側に境内社、左に参集殿社務所、手水舎が主な建物で、境内社後方には稲木会館がある。

稲木神社の創建時期は不明ですが、一説によると古代氏族の稲木別が、祖神の大中津日子命を祀り創建したのが起こりとされます。
寛保元年(1741)、天道の宮、お天道さんとも称された天道宮は末社の五社(日宮・月宮・星宮・神明社・八坂社)とともに、現在の名古屋市天白区八事天道に移され、高照寺の禅尼が社祀を司っていましたが、明治元年(1868)7月に末社とともに再び現在地に復興されたもの。

常夜灯寄進年は明治43年(1910)

社頭両脇には西を向いて二社が祀られています。

社頭向かって左側のこちらの社は稲荷社、祭神は宇迦之御魂命。
創建時は不明。
その右手に注連縄が架けられた石が安置されていますが、恐らく山神さまかもしれないが、正面に文字が刻まれておらず正体不明。

社頭向かって右側のこちらの社は秋葉社、祭神は火産霊神

創建時は不明。

鳥居から社殿の眺め。

鳥居をくぐるとすぐに太鼓橋があり、その先に石造の番塀がある。

太鼓橋から蕃塀、拝殿の眺め。

綺麗な曲線を描く石造の橋で、要石を支える桁の側面に寄進年が刻まれていたが元号は良く見えなかった。

境内左の由緒碑と手水舎。

内容は以下。

稲木神社(通称お天道さん)
祭神は天照大神、大中津日子命(垂仁天皇の皇子)
社格は旧郷社で江南市で最も由緒正しい神社であり、此地は和名抄(931~938編纂)に丹羽郡稲木「伊奈木」と記されており、古き当郡の地名であることから、延喜式神名帳には丹羽郡稲木神社と記され、古言に天道の宮と記された、今より約一千数百年前の大古時代の古社であることが明らかである。
古来より皇室の御尊敬が深く、中世に至っては尾張藩の信仰が深かった。
尚、当社は丹羽郡稲木の庄五十三村の総社であった。
明治三年(1867)九月に犬山藩廰に於て、式内稲木神社に確定された。
明治四十四年(1911)十二月に幣帛供進指定社。
大正十二年(1923)二月に郷社に列せられた名社である。

と書かれているが八事天道に移転、再び戻ったことは記されていない。

年代は不明ですが、鉢の前面に天道山の山号が刻まれ、神仏習合時の名残が残る。

境内左の参籠所。

東向きに建てられたこの建物の用途は良く分からない。

参集殿だろうか。

稲木神社社殿全景、右に境内社が纏められています。
社殿は左の拝殿から渡廊、幣殿と繋がり、祭文殿を経て本殿に繋がるもので社殿全周を玉垣で囲われています。

拝殿は四方吹き抜けの木造瓦葺で桁行・梁間共に三間の切妻造妻入りのもの。
手前で一対の狛犬が守護する。
左の燈明台は明治後期に寄進されたもの。

昭和9年(1934)寄進の狛犬

骨太で肉付きの良い狛犬の体には紋(呼称不明)が刻まれている。

稲木の名が入れられた鬼瓦。

妻壁と懸魚。
何れも奇をてらったものではなくシンプルなデザイン。

拝殿額は天道宮。
鈴を鳴らして参拝するが、周囲が静かなこともあり鈴の良くなること。

拝殿から幣殿・祭文殿・本殿方向の眺め、この渡廊の両脇でも狛犬が守護する。
祭神は稲木別の祖神とされる大中津日子命。

拝殿左の祓戸大神
社名から、瀬織津比咩、速開津比咩、気吹戸主、速佐須良比咩の祓戸四神が祀られていると思われます。

南側から幣殿から続く祭文殿と本殿の眺め。

本殿後方から拝殿方向の社殿。
本殿は装飾は控えた銅葺屋根の一間社流造。

拝殿右から渡廊。

左右に安置される狛犬(年代不詳)。

同祭文殿と本殿、脇障子には彫飾りが施されていたが、これ以上寄れず詳細は不明。

拝殿右の境内社
この一画には6社が纏められています。

入口右のこの社は白山社、祭神は白山比咩命。

境内左の二社。
手前から豊受大神を祀る神明社、左の内削ぎの置き千木と3本の鰹木が載る社は八坂社、祭神は須佐之男命。

境内正面の三社。

右が月宮社、祭神は月夜見命。

中央の社が日宮社で天照大御神を祀る。

左が五百筒磐村命を祀る星宮社。

拝殿から社頭の眺め。
政治腐敗した今の国政で不満渦巻く現実の世界を遮るように蕃塀が聳えている。
恥ずべき現在の状況はとても見せられたものじゃない。
八事高照寺を訪れ、縁あってはじまりの地稲木神社を訪れましたが、長い歴史を持つ神社も時の政府方針に翻弄された姿なんだろう。
取り敢えず一番の目的だった稲木神社の参拝を終える。

社頭から少し北に向かった先から東方向の眺め。
森があればそこには神社がある。
視界の広いこのあたりではどこで引き返すか引き際が難しくなる。


稲木神社
創建 / 不明
祭神 / 大中津日子命
境内社 / 稲荷社、秋葉社祓戸大神、白山社、神明社、八坂社、月宮社、日宮社、星宮社
所在地 / ​江南市寄木町稲木96
稲荷社から稲木神社 / 県道176号線を​直進3分程の社号標を右折、社頭まで徒歩3分​。
参拝日 / 2024/01/26
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春の訪れ

3月1日
陽射しも戻り、風も収まったこの日
瀬戸市矢田川上流の赤津川へ散策に出かけてきました
下は赤津川沿いの田圃のあぜ道で見かけた土筆

普段街中で暮らしていると
季節の移り変わりを感じる自然が少なくなった
少し外に出ると季節の移り変わりを知らせる、こうした光景が見られる

 

思っていた以上に自然の歩みは早いようです
若いつくしを一つまみ、春の訪れを味わう

 

来週はいよいよ名古屋ウィメンズマラソン2024が開催されます
参加ランナーの方々は当日の天候が気になるところでしょう
ボランティアとして支える側も、せめて晴れてくれと祈るばかりだ