「弁天公園」の弁天様は今どこに

名古屋市千種区赤坂町「弁天公園」

かつての田代村と鍋谷上野村が一つになった東山村で、茶屋ヶ坂の集落から南の東部丘陵地にあたります。
かつて赤土だらけの山野だったことから赤坂の地名がつけられたともいわれます。
千種区鍋屋上野町の一部が1943年に同区赤坂町と名を変え、山野だったこの地は閑静な住宅地に変貌していきます。

f:id:owari-nagoya55:20200123173011j:plain 現在の弁天公園。
公園の名の由来は当時このあたりにあった農業用の溜池弁天池から来ていて、宅地開発により池は埋められ、後の1944年に弁天池跡に作られたのがこの公園。

f:id:owari-nagoya55:20200123173036j:plainこの地に縁のある自分、物心ついた頃には既にここに池はなく、公園に整備されていた。
よく此処で遊んだ記憶があります。

f:id:owari-nagoya55:20200123173118j:plain 当時、この公園の北側の一角の小高い場所に小さな社があった事だけは覚えています。
変なものがあるな程度の頃です。
当時のイメージは上の写真のような感じ。

ばあさんに連れられ、ここにお参りに来るようになり、帰りに駄菓子を買ってもらえるお得感から、子供ながらにここは特別な場所という印象が芽生えた。

f:id:owari-nagoya55:20200123173147j:plain 純粋な頃のお子ちゃまも、今や煩悩まみれのおやじになった今、かつてのこの地を訪れると当時あった怪しい建物が無くなっていることに気づく。
ずっと「あれ」はどうなったのか?記憶が違っているのか?気になっていました。

f:id:owari-nagoya55:20200123173216j:plain 周囲の景色は当時とはかけ離れていますが、公園の北角のこんもりした一画は今も残っています。
そんなある日、ここの社と出会うことになりました。

f:id:owari-nagoya55:20200123173244j:plainここから西にある​永弘院​を訪れた際、境内で見かけた弁天様がそれでした。

f:id:owari-nagoya55:20200123173524j:plain 社の下で見かけた縁起の石板。
そこに書かれていたのは「約500年近く弁天池の水神として農民から崇められてきたが、宅地化により見守る池は公園となり、1981年(昭和56)にこちら移設」とあった。
子供の頃の記憶は間違いなかった、そして気になっていた社は廃社の道を辿ることなく、ここで出会えた事に懐かしいものを覚えました。

f:id:owari-nagoya55:20200123173601j:plain 弁天池の畔も今はなく、子供たちの遊び場となり、桜の時期には美しい場所です。
社があった小高い場所はテーブルとベンチが置かれ御覧の通り。
古くからここに住む者以外は想像できないことかもしれません。

ここの社は西の永弘院の境内へ引っ越して行きましたが、社は故郷の弁天池を向いて祀られています。
「弁天公園」
住所 /  ​名古屋市千種区赤坂町
公共交通機関アクセス /   市営地下鉄名城線茶屋ヶ坂」下車南に徒歩5分