『上野天満宮』 名古屋市千種区

名古屋市千種区赤坂町『上野天満宮
市営基幹バス2系統を利用し「谷口」下車、谷口交差点を右に曲がり南東方向へ5分程の場所に鎮座する。
合格祈願にご利益があり、受験生には知られた神社。

f:id:owari-nagoya55:20200306163805j:plain 交差点を南北に続く道は県道30号線から一本東に入るとそこは天満緑道。
緑道には写真のように水道施設のパーツが飾られ、歩きながら水道事業の歴史を知ることができます。
緑道を南に進みます。

f:id:owari-nagoya55:20200306163837j:plain 緑道に入ってすぐに、左の道路の先に「天満公園」が見えてきます。
この公園の南側が上野天満宮になります。

f:id:owari-nagoya55:20200306163904j:plain 緑道から車道に出ると、左側に見えている建物は上野天満宮社務所
この道を南に交差点まで歩きます。

f:id:owari-nagoya55:20200306163931j:plain 交差点を左に曲がると社頭に至ります。
角に建つ立派な建物は近年造られた「清明殿」。

f:id:owari-nagoya55:20200306164000j:plain 清明殿の斜景。

f:id:owari-nagoya55:20200306164034j:plain 「上野天満宮」社頭前景。
名古屋三大天神(山田天満宮、桜天神社、上野天満宮)の一つに数えられ、三社を巡る事を「名古屋三大天神参り」という。
通りから眺める境内は左右に社号標、ニノ鳥居まで構え、蕃塀の先に赤い拝殿も見通せます。
初詣や受験シーズンには賑わう境内ですがシーズンオフは静寂に包まれています。

f:id:owari-nagoya55:20200306164105j:plain 社頭から右方向の境内。
正面が参拝駐車場入口で右側の玉垣沿いと駐車場奥に梅が植えられ、この時期に訪れると見ごろを迎えた梅の花と甘い香りが出迎えてくれます。

f:id:owari-nagoya55:20200306164149j:plain 社頭左の略記。
『御祭神 菅原道真公、合殿 木花咲耶姫命伊弉冉命
由緒 建立年月日不明なれども寛政16年以前以前に鎮座、昭和37年浅間社(現別宮)を合祀
例祭 10月24日例祭前日祭・境内末社祭、25日例大祭、別宮神事祭
祈年祭 2月25日、夏祭 7月25日、夏祭 7月25日、新嘗祭 11月25日、月次祭 毎月25日』

‣・・・・読み辛い

f:id:owari-nagoya55:20200306164229j:plain一ノ鳥居から参道の眺め。
左の社号標は「四級社 上野天満宮」とある。
四級ですか?、参拝する者に社格は意味があるのか、いつも思う。
正面の紅梅が彩りを添え、いかにも天満宮を象徴している。

f:id:owari-nagoya55:20200306164300j:plain 一ノ鳥居をくぐった左の手水舎。
手水鉢にはトレードマークの梅の紋が彫られています。
左に見える小さな龍口のある鉢は最近できた水占いの水盤。

f:id:owari-nagoya55:20200306164341j:plainハイシーズンには待ちが出る手水も今は閑散としています。
龍口から注がれる清水も幾分勢いがないか?

f:id:owari-nagoya55:20200306164419j:plain水占いの水盤
2017年に清明殿が造営された際に新たに登場したもので、五芒星の彫られた水盤に水占いくじを浮かべ、浮き出た文字で運勢を占うもの。金色に輝く眼光鋭い龍がそれを見届けています。
五芒星と云えば陰陽学者の安倍晴明(920~1005)へと繋がっていき、菅原道真を祀る上野天満宮とは縁がないように思えます。

この上野天満宮花山天皇に仕え、都を追われた安倍晴明の一族が、ここから西の千種区清明山に移り住んだとされます。
京を追われた自らの境遇と道真を照らし、道真を慕いその神霊を手厚く奉るために清明の一族により建てられたのが始まりです。

f:id:owari-nagoya55:20200306164504j:plain 天満宮と云えば撫で牛です。
その理由は諸説あり、道真の遺言で「自分の遺骸は人に曳かせずに牛車に載せ、その牛の行くところに葬るように」とあり、その牛は安楽寺四堂の傍らで動かなくなり、そこを墓所として埋葬しました。
現在の太宰府天満宮です。
もう一つの説では道真没後、神格化され天満自在天神と呼称した事から名前に由来し、大自在天が八本の腕と三つの眼を持つ白い牛に乗っていたと云われ、そのため天神様に牛を設置する説など、牛は道真につきものなのです。

f:id:owari-nagoya55:20200306164536j:plain 撫で牛を過ぎると、一対の狛犬が守護する拝殿も間近です。

f:id:owari-nagoya55:20200306164608j:plain 滑らかな曲線を描く向拝の唐破風は優雅で重厚な印象を受けます。
拝殿に掲げられた扁額は過去の名古屋市長(杉戸清)による揮毫。

創建は不明ですが、平安時代中期とされています。
祭神は菅原道真、合殿 木花咲耶姫命伊弉冉命

道真は平安中期の実在の人物で、政治家でもあり学者でもあった彼は、勤勉家として知られ、梅を愛でたと云われます。天満宮が学問の神として崇敬され、境内で見かける梅の紋はそうした事からきています。

当初の天満宮矢田川の氾濫により被害を受け、江戸時代に現在地に遷座したとされます。
現在の伽藍からその歴史を感じる建造物は見受けられません。

空襲被害について調べましたが、記述や写真を見つける事は出来ませんでした。
由緒に「昭和37年浅間社(現別宮)を合祀」とあるので、その時期に再建されたものでないかと思います。

f:id:owari-nagoya55:20200306164641j:plain 境内東から社殿全景。
右手に小さな梅林があり、赤い社殿に彩りを添えています。
飾り金具にも当然ながら梅の紋が施されています。

f:id:owari-nagoya55:20200306164712j:plain 本殿後方の天満公園からの社殿の眺め。
本殿の全容を窺うことは出来ませんが、拝殿と幣殿、流れ造りの本殿が一体になっている様にも見えます。明るく、風の通りがいい杜から5本の鰹木と外研ぎの千木は良く見通せます。

f:id:owari-nagoya55:20200306164747j:plain 社務所から清明殿方向の眺め。
社務所が開く前の時間帯のため参拝者もなく、静かな境内に玉砂利を踏みしめる音だけが境内に響きます。

f:id:owari-nagoya55:20200306164822j:plain2017年に造営された清明殿を守護する狛犬

境内で見かける色とりどりの無数の小さな人形は、底の部分におみくじが入れられた「天神みくじ」で愛称は道真君で知られています。
本来は持ち帰って飾るものですが、「良くぞそこに置いた」と感心するような場所にも置かれています。

f:id:owari-nagoya55:20200306165023j:plain 神前結婚式としても利用される清明殿。
新しく建てられただけに外観はガラスを多用した近代的な外観。

旧鍋谷上野村一帯に鎮座した社を合殿一宇として祀ったもので、永弘院の西隣に鎮座してはずの八坂社はこちらに遷座していました。
五芒星と云えば千種区清明山にある清明神社が最初に浮かびますが、清明はこちらでも祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200306165058j:plain 上は清明殿から拝殿の眺め。
蕃塀の先に梅の下で伏せる撫で牛、高みから見下ろす狛犬、拝殿が一望でき、ハイシーズンには望めない眺めかもしれません。

初詣などはこの参道に人波ができ、出店も出るほど賑わいます。
受験を控え、万事を尽くした後の結果を待つ不安な気持ちを静めるために訪れるのもいいでしょうね。
2020/2/27

名古屋三大天神 『上野天満宮
創建 / 不明 (平安時代中期)
祭神 /  菅原道真公、合殿 木花咲耶姫命伊弉冉命
清明殿合祀社 / 清明社、八坂社、白山社、秋葉社、御嶽社、琴比羅社、猿田彦社、稲荷社

住所 / 名古屋市千種区赤坂町4-89
公共交通機関アクセス / 市営 基幹バス2系統「谷口」下車、南東へ400メートル