堀川に架かる中橋から西を見る。
アスファルトとコンクリートばかりの一帯に大きな楠木が聳える一画があります。
中橋の屋根神さまから淺間神社は目と鼻の先。
この杜の主が淺間神社。
淺間神社は四間道の南の玄関口に東向きに社頭を構えて鎮座します。
グレー一色で変化のない地面、こうした遊び心は歩いていても楽しみがある。
社頭左に社号標、二つの解説板、石の神明鳥居(大正12寄進)を構え、縦に長い社地に作られた石畳の参道の奥にニノ鳥居を構えています。
社頭の解説板。
上
「淺間(せんげん)神社由緒記
当神社の創建は江戸時代の「尾張誌」に正保四年(1647)にこの地移せりと記す。
御祭神
本殿祭神 木花開耶媛命、 五穀豊穣、町内安全、子孫繁栄
境内社
富士光稲荷社 祭神 宇迦之御魂之大神 日常生活守護
恵比寿社 祭神 恵比寿様 商売繁盛
天満宮社 祭神 管原道真公 学問成就
秋葉社 祭神 迦具土之命 鎮火・防火
津島社 祭神 建速須佐之男命 除災招福 」
下(一部省略)
「浅間神社
境内に樹齢300年を超す楠木や欅が7本あり、市の保存樹に指定。
毎年10月1日、2日に大祭が行われる。」
上は社頭右にあった「四間道町並み保存地区」解説板。
中橋の袂で見かけた「龍神」と称する不明社、これを見ていて発見があった。
町並みイラストの中で、中橋の袂の社は町並み保存地区5「屋根神」と記されていた。
Gマップのモヤ〃したものが少しスッキリした。
反面あの朽かた、河村さん、クラウドファンディングを呼びかけるなり知恵を絞ればなんとかなるのでは?
また脱線した、淺間神社に戻ろう。
鳥居をくぐり境内を進むと二対の狛犬ある。
手前の色白で薄笑いを浮かべる狛犬は小さいながら角と宝珠の付いたもの。
参道左、イチョウの樹の下に手水舎、手水鉢。
大正11年(1922)寄進の毬と子を持つ狛犬、こちらは風格を感じる。
ニノ鳥居前から社殿の眺め。
参道右に社務所、神楽殿と続き、正面の拝殿と左右の境内社が主な伽藍。
拝殿内から本殿方向を眺める。
本殿前の神鏡が鈍く輝き、五七の桐が神紋のようだ。
創建は地史に目を通すも定かにはならない、由緒記の「正保四年(1647)にこの地移せり」は場所が記されていない、尾張誌に正保四年、廣井村の河原からこの地に移されたまでは分かった、後はそれ以前の絵図から探すだけなんだが…見つけきれていません。
拝殿右の境内社。
上
浅間八大龍王神、黒っぽい岩が御神体のようだ。
下
手前の二つの社は手前が恵比寿社、天満宮の相殿、後方が秋葉社。
正面奥が津島社。
拝殿左の冨士光稲荷。
本殿右の太い幹は御神木イチョウ、今頃は黄色に色付いてきた事だろう。
上
欅の木の下から拝殿を見上げる。
下
神明造の本殿の上はイチョウが覆う。
千木は内削ぎ、鰹木も施されているが数は不明。
入母屋銅板葺の神楽殿、社務所とは渡廊で繋がっている。
境内で見かける寄進物の多くは大正末期のものが多く、この時期に修復を受けていると思われます。
社頭を横切り四間道を目指す観光客は多いが浅間神社に参拝に訪れる方は少ないようだ。
名古屋城築城は1610年、清州越しが整ったのは1613年とされる。
淺間神社が廣井村の河原からこの地に移されたのが1647年、それ以前の沿革が知りたいものだ。
上は尾張名所図会の中橋裏の四間道の挿絵。
左上に五条橋が描かれ、右手が中橋となる、交差点の角に塀に囲まれた淺間神社が描かれている。
堀川沿いに立ち並ぶ蔵の姿は今も当時の面影が残る。
淺間神社
創建 / 不明
祭神 / 木花開耶媛命
境内社 / 富士光稲荷社、恵比寿社、天満宮社、秋葉社、津島社
所在地 / 名古屋市西区那古野1-1-29-3
公共交通機関アクセス / 地下鉄桜通線「国際センター」駅から徒歩5分
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