尾張旭市井田「八幡神社」から徒歩で東に10分程に鎮座する「山ノ神社・八幡神社・天道神社」
地図によれば山ノ神神社とあったが、ここでは社標の「山ノ神社・八幡神社・天道神社」として記載します。
「山ノ神社・八幡神社・天道神社」社頭は南側の通りに面し、社頭の前は小学校。
住宅地の一画に玉垣で囲われた社地がある、社地の周囲は楠木や松、杉などが聳え杜を形造っています。
社頭右側に「あがたぎの森」解説板。
「ここ瀬戸川には「あがたぎの森」と呼ばれるこんもりとした小さな森があった。
昔〃「あがたぬし」という人がこの森に降りてきて、村の先祖になったという。
村人は、森の木を大事にしていたが、時にそっと伐採する者がいた。
すると伐採した人の顔にはできものがいっぱいできてしまったと云う。
「これは、あがたぬし様のお叱り、早く謝りにいかなくては」
村人は急ぎ御神酒を捧げお参りをしてできものを治してもらったと云う。
村の子におできが出来ると「あがたぎの森」にお参りするとすぐに治ったと云い、村人は感謝し以前にもまして森を大切にした」
現在でもできものの神様として地元では知られていると云い、ここで云う森は向かいにある小学校の南(下川原公園の北西付近)にあったとされる。
1977年(昭和52)、土地区画整理事業に伴い、森にあった「あがたぎ」を「縣ノ神」として石碑にし、ここ「山の神神社」移し祀った。
上の左は1891年頃の当地で右がほぼ現在。
地図だけ見れば「あがたぎの森」は見つけられなかった。
「あがた」は縣とも書けもする、縣大神?
できものを治す能力があるのだからそれとは違うようで、あがたぎの正体は分からない。
できものに御利益が得られる神社で個人的に知る神社として尾張旭市渋川町3の「直會(なおらい)神社」が思い浮かぶ、祭神は神直日神と大直日神を祀り、腫物、吹出物などに霊験あらたかな神社だ。
あがたぎの森からこの地に降りたったとされる村の先祖「あがたぬし」の正体は気になるところ。
社頭の右外れに写真の石碑が建てられている。
1977年(昭和52)森にあった「あがたぎ」を「縣ノ神」として祭祀したもの。
ここ数年、休火山状態のできものがある、ここはしっかりお願いしておこう。
ここから更に右は山の神公園となっていて子供達の憩いの場になっている。
社頭に戻り、鳥居から境内を眺めをる。
右の社標には「山ノ神社・八幡神社・天道神社」と刻まれている。
当初この森が「あがたぎの森」として護られ、創建された神社かと早合点したが、この杜は神社の社叢という事です。
境内全景。
左が手水舎、その奥に境内社、拝殿、神庫、社務所の伽藍。
この神社の由緒・創建について地史、村絵図などに目を通してみたが確かなものはには出逢えなかった。
そんな中で尾張旭市と澁川神社HPで山ノ神社について以下の様に紹介されていた。
尾張旭市HP
「明徳年中(1390~1394年)に、城主だった浅井氏が崇敬したという言い伝えがありますが、創建年代はよくわかっていません。
三郷地区には、「あがたぬし」の伝説が残っています。
また、「あがたぎ」と呼ばれ、できものの神様として知られていた場所が、今の三郷小学校の南東100㍍のあたりにありました。」
祭神には言及されていませんが、浅井氏が崇敬したと伝わる事から、八幡神社を祀ったのが始まりかと思われます。
澁川神社HP
拝殿はコンクリート造りで手前で狛犬が守護している。
鎮座地は江戸時代は瀬戸川村で、隣接した井田村、狩宿村あり、1878年(明治11)に三村が合併し「三郷村」として成立、合併を経て現在の尾張旭市瀬戸川町になる。
古来より村の移り変わりを見守ってきた古社だ。
現在の社殿はいつ頃手が掛けられたのか定かではないけれど、寄進物に昭和の元号が多いのでそのあたりに再建されたものか。
拝殿前の狛犬(年代未確認)も新しいようだ。
筋骨隆々とした姿の狛犬です。
祭神は大山祇命、他の一社については本殿域に本殿を持つものか、合祀されているのか分からなかった。
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