『御日塚神社』愛知県犬山市追分

犬山市追分「御日塚(おひづか)神社」

f:id:owari-nagoya55:20210319014311j:plain名鉄小牧線「楽田」駅。
踏切には大縣神社の社号標が建っていて、ここから東は大縣神社への参道です。

f:id:owari-nagoya55:20210319014329j:plainここから東に進む道路は県道大縣神社線と呼ばれ、この地方では結構知られた大縣神社に続きます。
今回は稲置街道沿いを歩くのが目的なので参拝に訪れませんが、機会を見て訪れたい神社のひとつ。
さて踏切を超えて稲置街道に向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20210319014343j:plain駅から西に出て細い路地を進んで行きます。
ここが既に稲置街道。
江戸時代、名古屋城下と犬山城下を結んだ脇街道で犬山街道とも呼ばれています。
名古屋城東大手門から中山道鵜沼宿を終点とする街道で、稲置の由来は当時街道沿いにあった村の名称から付いたと云われています。
この辺りの住所に追分と付くように、上の写真で正面の教会のところから道路は分岐し、右が上街道 (木曽街道)、左が稲置街道に分かれます。
なので目的地へは左の稲置街道に進んで行きます。
街道を歩く目的で訪れる方に出会うこともなく、距離感を意識する必要はありません。

f:id:owari-nagoya55:20210319014403j:plain追分から歩いて5分もかからなかったと思います、街道沿いの住宅地の外れに神社が現れます。
ここが「御日塚神社」街道沿いに神明鳥居と社標があり社地は玉垣で囲われています。
大きな杜がないので境内の社殿はよく見通すことができます。

f:id:owari-nagoya55:20210319014428j:plain街道から社殿側面の全景。
境内は綺麗に手入れが行き届きとてもすっきりした印象。
瓦葺の四方吹き抜けの拝殿と同じく瓦葺の覆殿というシンプルなもの。
いかにも追分の氏神様という佇まい。

f:id:owari-nagoya55:20210319014446j:plain境内全景。
大きな杜がないので、それが開放的で風の通りのいい明るい神社の印象を受けます。

f:id:owari-nagoya55:20210319014505j:plain鳥居から境内に入った左に手水鉢。
当然清水は張られていない、随分と年期を重ねているようですが、この鉢から始まって鳥居など奉納年を見忘れました。

f:id:owari-nagoya55:20210319014527j:plain拝殿正面全景。
外観は飾りを廃した質実剛健ともいえるシンプルなもの。

f:id:owari-nagoya55:20210319014545j:plain拝殿から本殿の眺め。
覆殿の内に祀られた本殿まで見ていないので造りは分かりません。
それでは参拝させてもらいます、僅かな賽銭大きな祈願。

御日塚神社の創建は1598年(慶長3)と見た目以上に古くから鎮座しているようです。
祭神は食物や家畜の神とされる保食神(うけもち神)を祀る。
ここまでは分かったけれど、創建以来ずっとここで鎮座していたのかそれは定かにはなりません。
稲置街道沿いで、街道筋の面影をとどめた周囲の状況から突拍子もない所から遷座してきたとは思えない。
人や荷役の馬が行き交う街道の分岐、楽田追分という事を考えると、昔からここに鎮座し集落を見守ってきたのでは、そう思いたい。

f:id:owari-nagoya55:20210319014604j:plain少し西に出れば県道27号線 南に下がれば県道177号線があり行き交う車も多い。
東には名鉄小牧線が整備されてはいるけれど、神社周辺は至って静かで長閑な環境です。
角の取れた丸い石を高く積み上げ、その上に覆殿が建てられている、近年補修の手が入っているようです。

f:id:owari-nagoya55:20210319014621j:plain御日塚の意味までは分からないし根拠はないけれど、塚と付くとなんとなく古墳の香りが漂う。
現況は塚をイメージする痕跡は見当たりません。

稲置街道と上街道に分かれる追分に鎮座する御日塚神社、小さな神社ですが綺麗に手入れされ訪れて気持ちのいい神社でした。

『御日塚神社』
創建 /   1598年(慶長3)
祭神 / 保食神(うけもち神)
住所 / 愛知県犬山市追分61
公共機関アクセス / 名鉄小牧線「楽田」駅降車、徒歩で北に15分程
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