前回掲載「紫金山慈眼寺」の其の2
柏井 稲荷神社は慈眼寺境内西側に鎮座します。
県道508号線の北側に面した慈眼寺。
その特徴のある山門の西側に赤い大きな鳥居が並んでいます。
社頭西側からの眺め。
県道から見えるのは真新しい赤い鳥居と社号標で境内は鬱蒼とした杜に包まれ、見通しが効かない。
慈眼寺参拝者駐車場から柏井稲荷神社社殿の眺め。
杜の中に妻入りの社殿が建つ。
社殿右側は壁面がなく拝所になっています。
社頭正面からの眺め。
鳥居右に社標「柏井稲荷神社」、綺麗な赤い鳥居の扁額は「柏井稲荷社」。
鳥居前には狛狐が守護しています、その先に赤い社殿が僅かに見えます。
歩道際で参道を守護する狛狐。
悲壮感のない健康的な容姿をしています。
さて参拝と思いきや、歩道から参道へは狛狐とフェンスがガードして直接入れません。
慈眼寺山門から左に回り込んで鳥居をくぐる事になります。
慈眼寺境内から柏井稲荷神社の眺め。
ここから鳥居をくぐり拝所に向かいます。
この時期こうした杜はどうしても蚊は避けられない、虫除けは必需品。
社殿全景。
こちら側は鮮やかな赤で塗られています。
拝所に掲げられていた写真。
左は1994年(平成6)、いちょう並木通り発展会から鳥居を奉納した際の写真。
社殿を包む杜は今とは随分様子が違うようだ。
右は伏見稲荷。
参拝を終え拝所から本殿域を眺める。
幾つもの狛狐が安置され、右の柱に何か書かれた板があるがここからでは読み取れなかった。
詳細は分からなそうだ。
拝所に解説が掲げられいた、そこには以下の様に書かれています。
柏井稲荷神社
「 天保7年(1837年)仲春吉辰に慈眼寺鎮守として伏見稲荷より勧請し寺宇に奉安。
大正13年(1924)3月31日に大々祀式に昇格する事を授与。
翌年1月3日に昇格祭を行うと同時に現在の社殿に安置。
後幾星露り間種々の霊験があり、近村は言うに及ばず遠方より多数参拝者あり。
終戦と共に再び復興し、社殿の修復・景観整備をし平成6年(1994)初午祭に全国稲荷社の総本宮の伏見稲荷大社と同型の鳥居をいちょう並木通り発展会より奉建。
柏井稲荷は福徳の霊験あらたかで衣食住の大祖神として五穀豊穣・商売繁盛・家内円満は申すまでもなく
人々の生活が満ちたりて幸福であるようにお導き下さる。
慈眼寺境内 柏井稲荷社 」
伏見稲荷から勧請され、かれこれ2世紀この地に幸を授け続け、今も厚く崇敬されているようだ。
ピカピカの鳥居もその表れだね。
地誌から何か探れないものか目を通してみるも記述は見つけられなかった。
因みに1938年(昭和13)頃の当地とほぼ現在の移り変わりを載せておこう。
青いマーカーが慈眼寺でオレンジの線は下街道。
随分強烈な速さで景色は様変わりしてきたものです、これからも町の移り変わりを見続けていく事だろう。
2021/8/16
柏井 稲荷神社
創建 / 天保7年(1837年)
祭神 / 稲荷大神
所在地 / 春日井市鳥居松町1
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