名古屋市西区上名古屋2「和徳稲荷社」
東隣に宗像神社と社地を共にし、この辺りでは桜の名所として知られる稲荷社。
地下鉄鶴舞線の浄心から東に位置しアクセスは容易な場所。
桜の時期に訪れた経験はないけれど、ライトアップされた桜と朱の稲荷鳥居の味のある写真が撮れるスポットのようだ。
覚えておきたいと思うがカメラマンが一杯いると思うと引いてしまう。
上は弁天通りの浄心東から北に一本入った先の宗像神社社頭全景。
和徳稲荷社は赤い幟が立ち並ぶ社地西側に鎮座します。
宗像神社で纏めれば良かったが写真も増えてしまい二回に分け掲載する事にします。
和徳稲荷社社頭。
桜の神社と云うだけあって境内の杜は桜が目に付く。
右に和徳稲荷社の社標が立ち、朱の鳥居の前に稲荷の代名詞狛狐が守護する。
境内は実に多くの奉納幟と鳥居が立ち並び相当なご利益がありそうだ。
鳥居をくぐると参道は一旦二手に別れ、奥にあるニノ鳥居で再び合流する。
出入口を分けたとは思えないが、参道中央に聳える桜の古木がこうさせたのかもしれない。
一ノ鳥居の額。
桜が満開ともなれば華やかな光景が広がるのだろう。
来年の桜の時期に訪れて見たいところ。
鳥居右側の社標。
寄進年は昭和14年3月とあった。
後方の宗像神社の常夜灯など安政7年(1860)の元号が見られたが、和徳稲荷社ではそこまで古い元号は見られなかった。
宗像神社は初代尾張藩主徳川義直(1601年~1650年)により名古屋城内に勧請した三社のひとつ、御深井弁天とも呼ばれ後にこの地に遷座した。
ここ和徳稲荷社が宗像神社と共に時を刻んできたものか、創建等の詳細とは出会えなかった。
一ノ鳥居前の狛狐(寄進年未確認)
参道を二手に分ける奉納鳥居。
どごぞの稲荷を思い浮かべる趣がある。
一ノ鳥居のシックな額に対し、こちらは朱一色。
拝所手前の手水鉢。
境内ではこの鉢が一番年季を感じさせるものかもしれない。
ニノ鳥居から拝所、本殿方向の眺め。
拝所中央に大きな提灯が吊られている。
朱と白で塗り分けられた拝所から本殿方向の眺め。
拝所に置かれている重軽石、宝珠を模ったものか?
この種の形状なら持つことに躊躇いはない、作法は御存知の通り。
願いは「家族全員が健やかに暮らせ、この国が平穏であるように」……?
若干軽く感じたが、それは重さに慣れというのかナ。
僅かな賽銭ながら、どこぞの利権にまみれた輩と違い、かみさまは金額で忖度はしない。
拝所に掲げられていた社殿改築の履歴。
昭和60年(1985)、改築。
平成6年(1994)、大改修。
平成16年(2004)、稲荷鳥居改修。
多くの寄進者に支えられ和徳稲荷は成り立っている。
本殿域全景。
ここにも狛狐。
社頭のものと比べ黒ずんだ風貌は年季を感じさせる。(年代未確認)
本殿は銅板葺の流造、棟には外削ぎの乗せ千木と二本の鰹木が施されている。
由緒は不明ですが、訪れた者へ公平に御利益を与えてくれる和徳稲荷。
和徳稲荷社
創建 / 不明
祭神 / 倉稲魂命(名古屋市史より)
所在地 / 名古屋市西区上名古屋2-7
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公共交通機関アクセス / 地下鉄鶴舞線「浄心」駅降車、北東に徒歩5分程
参拝日 / 2022/08/26