瑞穂区丸根町「北條八幡社」
東部丘陵地帯の南西端といっても過言ではないかもしれない。
弥冨通りから南と西に緩やかに傾斜が続き、南は天白川、西は山崎川に続く。
神社は弥冨通の南の緩やかな傾斜地の小高い丘に鎮座します。
一方通行も多く車の往来はさほどではない。
現在のこの辺りは閑静な住宅街が広がる静かな街並み。
天白川方向の眺望が利くこの辺りは、戦国時代は戦略的拠点でもあり、近隣には複数の城が築かれました。「北條八幡社」は正にその城の一つ「中根南城」に鎮座する神社。
南と付けば他もあるのでは?、中根城は現在の県道221号線の弥冨通を挟んで、北に中根北城(瑞穂区日向町4)と南に中の城(瑞穂区丸根町1)、そしてここ南城の三つの城があり、現在は遺構などは残っていない。
この「中根南城跡」の現在は浄土宗鎮西派の北條山観音寺があり、八幡社はその境内の南西角の小高い場所に鎮座しています。
北條八幡社の参道口は小高い丘の西側の通り沿いにある幼稚園の車庫が目印。
そこまでくれば写真のような案内板が導いてくれるはず。
因みに観音寺へはこの丘の南側の山門からになりますが、この参道を進むと観音寺に繋がっています。
緩やかな上りの参道を上がりきれば視界が広がり、観音寺境内が見えてきます。
今回は八幡社なのでさらっと流します。
左に見える六角形の建物が観音堂。
参道の先に山門と右手に進むと本堂の様です。
むくり屋根の観音堂本堂。
目的地の北條八幡社は参道を上がりきった左、杜に包まれた小高い丘の頂に鎮座します。
北條八幡社社頭全景。
右に社標があり、少し上った丘の頂を整地し社殿が建つ。
拝殿は瓦葺の切妻で四方吹き抜けのもの。
建立年代は不明ですが、素木造りで飾りを廃した落ち着いた佇まいのもの。
八幡社の鎮座する「中根城」の城主は逸話の多い織田信照(1546~1610年)の居城とされ、城の鎮守として祀られたとすると長い歴史を持つ神社。
廃城時期は定かではないけれど、城址に建つ観音寺の開基が慶長10年(1605)とされる。
北城、中城ともに遺構はなく、ここ中根南城はこの高みが唯一それを感じさせるくらい。
軒下には素木の札に「北條八幡」と記されている。
拝殿から本殿の眺め。
左には注連縄が張られた大きな切株が目に入る。
樹齢400年を超す黒松の切株で、在城当時をしのばせるもので、名古屋市指定文化財にもなっていたという、昭和33年枯死によりそれも解除された。
本殿は切妻瓦葺の覆屋の中に祀られている。
本殿全景。
観音寺でお世話をされているのだろうか、こまめに榊がお供えされている。
覆屋横から拝殿方向を眺める、こうして見ると南側は随分見下ろす事ができ、天白川や更にその先も良く見通せたはずだ。
田畑や森から閑静な住宅地に変貌した現在、その環境の中に残る貴重な杜かもしれない。
枯死した黒松に代わり、今は大きな樹が聳えている、この木肌からみると楠かと思いますが、住宅街の高みに空を覆う様に枝を張り、嘗ての中根城はここにありと云わんばかりだ。
2021/09/13
北條八幡社
創建 / 不明
祭神 / 北条八幡大神
所在地 / 名古屋市瑞穂区丸根町2-43
中根南城
元はこの地を収めていた中根氏の居城
築城時期は定かではないが1561年(永禄4)~1590年(天正18)頃と云われる
廃城時期も定かではない。
公共交通機関アクセス / 地下鉄名城線「新瑞」から南東へ徒歩20分程