御母衣白山神社白山神社を後にして荘川方向に15分程南下します。
国道156号線尾神橋を渡り、湖岸を少し走る、やがて左手に大きな待避所が現れます。
御母衣電源神社は待避所から国道を挟んだ山の斜面に鎮座します。
待避所から眺める神社全景。
山の斜面の森を一部伐採、造成し社地が作られている。
国道沿いに鳥居はなく、奥まった場所に鎮座する神社は注意していないと見逃すかもしれない。
唯一の目印は「御母衣電源神社」の木製の社標だけかもしれない。
この待避所の東側のすぐ下は御母衣湖の湖面が迫っています。
上は昭和22年米軍が撮影した御母衣ダム建設前の当地の航空写真。
星印の左の沢が尾神郷川、御母衣電源神社の鎮座地は☆のあたりと思われます。
社名からして御母衣ダム建設に伴い創建された神社なのは間違いない。
御母衣ダムは昭和32年(1957)に着工され、昭和36年(1961)に運転開始した岩を積み上げたロックフィルダム。
このダムが発電した電気は関西圏へ送電され使用されています。
米軍の航空写真に湖底に沈む前の集落の姿が残っていた、関西の発展に寄与できたのも、遠く離れた場所で故郷を失う村々の協力なくして成立しなかっただろう。
ダムと云うとコンクリートをイメージするけれど、白川郷から庄川を遡ってくると、岩を積み上げた壁が立ち塞がるように聳えている、現代のピラミッドと云っても良いかもしれない。
この神社の由来は建設に伴う犠牲者を鎮めるためのものか、このダムと湖の鎮守として祀られたものかは定かではない。
社頭の右に社標が立ち、斜面に沿って石段が続き、鳥居と社殿に繋がる。
後に出てくる狛犬も同一寄進年、つまり運転開始後に建立されたものと思われます。
昭和に入って寄進されたものながら、立地もあってか体は赤茶け、苔生し始めている。
境内全景。
右の阿形の狛犬の先に石標が立てられていた。
角の取れた丸い石には水神と彫られていた。
同時期に祀られたものか、湖底に沈んだ村からここに移されたものか定かではない。
水神から境内の眺め。
周囲を取り囲む薄暗い森の中にあって、境内には陽光が良く届く。
伽藍は眼下の御母衣湖を向いて建てられ、狛犬達の見つめる先は湖底に沈んだ村を見つめている様に見えてくる。