​小牧市多気中町『多気 十二柱神社』

小牧市多気中町の多気十二柱神社。
前回まで掲載した多気神社から徒歩で南西に5分程の県道165線多気交差点の東角に鎮座します。

この神社のシンボルは写真左の大きな椎木が挙げられます。

この樹は樹齢約300年以上とも推定され、高さ約15㍍、幹周り約5㍍を越えると思われ、一つの幹のように見えますが、根元から少し上から二つに分かれ、其々が大きく枝を張り、ひとつの落下傘ような見事な樹形をしており、そうした姿から「夫婦シイ」と呼ばれるようで、縁結びや夫婦円満のご利益があるとも云われる。

大正14年(1925)に寄進された石造神明鳥居の右に大きな社標が立ち、鳥居から続く参道の先に木造の蕃塀と拝殿の屋根が見える。

椎木の解説は以下。
多気十二柱神社のシイノキ一樹
平成11年(1999)4月23日指定
シイノキは暖地の天然林を構成する樹種で、古い社寺叢に保護温存されている。
このシイノキは樹高約15㍍、胸高5.1㍍を測り、根元から2㍍程の高さで幹が二つに分かれている。
都内屈指の巨木で、樹齢は約300年以上と推定され、風格を備え、樹冠を落下傘状に美しく広げて雄姿を誇っている。
天然記念物として、また、ふるさとの緑のシンボルとして、末永く親しまれ、生き続けるように保護したい。」とある。

参道から蕃塀と社殿の眺め。

十二柱神社由緒
当神社は十二の祭神を祀ったことから十二神社(村社)として命名された。
1.創建年 宝永二年(1705)三月二日
 天皇 東山天皇中御門天皇 将軍 徳川綱吉、家宣の時代に春日井郡大気村
 杜人・加藤与太丈利政の立ち合いのもと奉遷、十二所権現建立社頭康栄祈所として定まり、時代の変遷
 を経て来た中を、代々の氏子達が神社を守り抜き、大正十四年(1925)十月に祭文殿・拝殿の新築ととも
 に石材造築され、現在に至る。
 拝殿北側には天神社(菅原道真)が祀られており、祭礼が十月二十二日と定められている。
2.祀ってある十二の祭神
・伊弉那岐命(男性の神)

・伊弉那美命(女性の神)
・天照皇大神命(天皇皇室の神・日本民族の総氏神)
・忽穂耳命(天照皇大神命の弟:威力のある稲穂の神・日本神話の中心的な神)
・瓊々岐命(平和を司る神)
火々出見命(山の幸の神)
・鵜草葺不合命(記紀神様に登場する神)
・火具津智士(火の神)
・金山姫命 ((鉱山の神:鋳物・刃物の神:金運厄除けの神)
埴山姫命(土の神)
罔象女神(水の女神)
・旬々能知命(木の神)

諸々罪・穢れ・災難・家内安全・繁栄・健康祈願等々を願い、先祖より「畏敬の念を持ち」鎮守の杜として、代々引き継がれ現在に至る。
社叢内のシイの木(推定樹齢300年以上)は1999年4月23日小牧市天然記念物に指定。
神社創建年前よりここに根付いており、歴史の証人として神社同様、かけがえの無い宝物として手厚く護られている。
西暦2014年、後世に語り継いで行く為に、此処に掲げたものである。 氏子一同」

この木造番塀は控柱を備えた三間のもので、各間の下半分は腰板が張られ、上は連子窓が入れられたもの。
祭文殿・拝殿は大正十四年(1925)の新築、その後に手が入れられているのか築100年とは思えない状態で維持されている。
拝殿右、写真の左奥に境内社が祀られています。

社殿全景。
拝殿は切妻瓦葺の吹き抜け拝殿で、全体的に奇をてらった意匠はあまり施されていない。

境内社
西春日井郡誌に目を通すも天神社以外の記載はなく、三社のどれが天神社(菅原道真)で、他の二社がなになのか詳細は不明。

本殿域を取り囲む透かし塀は祭文殿と一体となり、手前に一対の狛犬が守護している。

祭文殿前を守護する狛犬(寄進年未確認)、吽形の足元に子を伴っている。

本殿は神明造のようで、4本の鰹木が見えるが千木までは確認できなかった。
この一つの社に十二柱が祀られています。

拝殿から社頭の眺め、穏やかになれない俗世を蕃塀が遮ってくれている。

蕃塀から社頭の眺め。
陽光に満ち溢れ一見明るく輝いているが、増税メガネや長年与党として胡坐をかき、先を見据えた対策も取れなかった結果が招いた日没間際の俗世が見えて来た。

多気 十二柱神社
創建 / 宝永二年(1705)
祭神 / 伊弉那岐命、伊弉那美命、天照皇大神命、忽穂耳命、瓊々岐命、火々出見命、鵜草葺不合命、火具津智士、金山姫命、埴山姫命罔象女神、旬々能知命
境内社 / 天神社、他
所在地 / ​小牧市多気中町232
参拝日 / 2023/10/10
多気神社から多気十二柱神社 / ​徒歩5分程

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