前回掲載した国道41号線沿いに鎮座する多気東町の坂庭神社、社地横の歩道橋から国道41号線の西側に向かう、この辺りは多気中町となります。
41号線を越え南下し県道166号線を横切り更に南下、5分前後で住居はまばらとなり、名古屋高速の高架と田畑が目立つようになります。
田圃は黄金色に染まり、一部収穫も始まっています。
そんな田圃の片隅に「神明社跡地」と刻まれた石標が立っていました。
側面には「大正2年(1913)5月5日 坂鹿神社合祀」とも刻まれていました。
過去の地図でこの神明社と合祀先の坂鹿神社を調べて見ましたが、鳥居の印は見つからず、地図にも示されておらず、もう少し調べる必要がある。
今回の目的地はこの石標ではなく、ここから少し南西に鎮座する多気神社。
石標から西方向を眺めると、こんもりとした杜が見えています。
あの杜を目指して進めば多気神社の社頭に至ります。
神明社跡地から南西に5分前後で社頭に到着。
社頭左手に由緒書きと「式内 多気神社」の社号標があり、郊外の神社らしい長い参道に石造の神明鳥居が建てられています。
南北に長い社地で、参道の奥に蕃塀の姿もあるようです。
由緒
創立年は不詳であるが、延長五年(927)にまとめられた古代律令制における神祇官が作成した官社の一覧表である「延喜式神名帳」に記載された全国2861社のひとつであった。
また、「尾張徇行記』によれば、承応三年(1654)再建あり。
創立年は不詳であるが、延長五年(927)にまとめられた古代律令制における神祇官が作成した官社の一覧表である「延喜式神名帳」に記載された全国2861社のひとつであった。
また、「尾張徇行記』によれば、承応三年(1654)再建あり。
「尾張誌」には、大氣村にありて今は熊野と申す社伝に祭神伊弉那美命(いざなみのみこと)也といへり。 延喜神名式に春日部郡多氣ノ神社と記し、尾張国神名帳に従三位多氣天神と見えたるは此社なり。
多氣は諸国に多き地名なれど 伊勢の群名を始め みな多氣といひて「オオケ」と呼べる例聞こえず いかがとおぼつかなけれど しばらく古説により記する。
多氣は諸国に多き地名なれど 伊勢の群名を始め みな多氣といひて「オオケ」と呼べる例聞こえず いかがとおぼつかなけれど しばらく古説により記する。
明治五年(1872)村社、明治四〇年神饌幣帛料供進神社に指定となる。
大正二年(1913)三月一七日許可を受け同所字高畑457番地の神明社を同年四月二七日合祀した。
大正二年(1913)三月一七日許可を受け同所字高畑457番地の神明社を同年四月二七日合祀した。
境内は1812.42坪あり、樫・椎等大木多く繁茂し荘厳な神城を有する。
古くから氏子により、諸々の罪穢れを祓い清め災厄を避け家内安全繁栄、交通安全、健康長寿等を感謝とともに願う数々の神事が営まれ現在に至る。
古くから氏子により、諸々の罪穢れを祓い清め災厄を避け家内安全繁栄、交通安全、健康長寿等を感謝とともに願う数々の神事が営まれ現在に至る。
末社
事解雄社 事解雄命
事解雄社 事解雄命
速玉雄社 速玉雄命
天神社 菅原道真公
祭事
施設等
入口80㍍ほどの所に石造連子窓型蕃塀がありその奥に篝火台がある。
蕃塀を進むと左に手水舎、さらに奥に灯籠一対、狛犬一対、吹き抜けの拝殿、幣殿・本殿と続く」
往古には熊野、多氣ノ神社、多氣天神とも称された多氣神社。
上は明治24年頃の当地、石標と多気神社の位置を赤で示してあります。
かつてこの辺りは西春日井郡の五条村、小木村、尾張村、多気村で、明治39年にそれらが合併し、北里村となったようで、由緒にある大正の頃の「同所字高畑457から神明社合祀」が現在のどこにあたるのかよく分からない・・・あの神明社跡地の石標がそれなのかな?。
地図から見られる鳥居の印は多気神社と南西に鎮座する多気十二柱神社くらいか。
参道を進み、蕃塀前から社殿の眺め。
由緒の施設配置が書かれており、分かり易くてありがたい。
境内社や参道左側に纏められていました。
この一角には旧日本海軍から下付を受けた30㌢はあろう砲弾と境内社三社が纏められています。
右から白山神社、山神、不明社。
石の蕃塀。
中央に多気神社の社名が入る。
手水舎、手水鉢に清水は張られていなかった。
手水舎後方の一角に枯れた池があり、中央に不明社。
本来この堀の中は水が張られるものと思います。
拝殿前の狛犬は毬持ちと子乗せ?のもの(寄進年未確認)
切妻妻入りの四方吹き抜け拝殿で意匠を廃したシンプルな木造で平成29年(2017)屋根改修工事が施されたようです。
拝殿から幣殿方向の眺め。
綺麗な曲線を描いて高く積みあげた石垣の上に幣殿、本殿が建てられている。
幣殿前の狛犬は大正時代の寄進。
幣殿から本殿の眺め、手前で一対の小さな狛犬が守護する。
本殿両脇の棟持ち柱が良く見える木造の神明造。
境内北側から社殿全景。
番塀から社頭の眺め。
街中の窮屈な社地を見ていると、開放感のある境内には豊かな緑や隣接して公園もあり、いい環境が残っている。
多気神社
創建 / 不明
往古には熊野、多氣ノ神社、多氣天神とも称された多氣神社。
上は明治24年頃の当地、石標と多気神社の位置を赤で示してあります。
かつてこの辺りは西春日井郡の五条村、小木村、尾張村、多気村で、明治39年にそれらが合併し、北里村となったようで、由緒にある大正の頃の「同所字高畑457から神明社合祀」が現在のどこにあたるのかよく分からない・・・あの神明社跡地の石標がそれなのかな?。
地図から見られる鳥居の印は多気神社と南西に鎮座する多気十二柱神社くらいか。
参道を進み、蕃塀前から社殿の眺め。
由緒の施設配置が書かれており、分かり易くてありがたい。
境内社や参道左側に纏められていました。
この一角には旧日本海軍から下付を受けた30㌢はあろう砲弾と境内社三社が纏められています。
右から白山神社、山神、不明社。
石の蕃塀。
中央に多気神社の社名が入る。
手水舎、手水鉢に清水は張られていなかった。
手水舎後方の一角に枯れた池があり、中央に不明社。
本来この堀の中は水が張られるものと思います。
拝殿前の狛犬は毬持ちと子乗せ?のもの(寄進年未確認)
切妻妻入りの四方吹き抜け拝殿で意匠を廃したシンプルな木造で平成29年(2017)屋根改修工事が施されたようです。
拝殿から幣殿方向の眺め。
綺麗な曲線を描いて高く積みあげた石垣の上に幣殿、本殿が建てられている。
幣殿前の狛犬は大正時代の寄進。
幣殿から本殿の眺め、手前で一対の小さな狛犬が守護する。
本殿両脇の棟持ち柱が良く見える木造の神明造。
境内北側から社殿全景。
番塀から社頭の眺め。
街中の窮屈な社地を見ていると、開放感のある境内には豊かな緑や隣接して公園もあり、いい環境が残っている。
多気神社
創建 / 不明
祭神 / 伊弉那岐命 伊弉那美命 天照皇大神
参拝日 / 2023/10/10
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