川越市小仙波町の浄楽院 光西寺から北側の道路を隔てた先に鎮座する「中院」
正式名は星野山 無量寿寺 中院と号し阿弥陀如来を本尊とする天台宗の寺院。
光西寺を過ぎると、最初に現れるのが竹垣の参道奥に建つこの鐘楼門。
入母屋瓦葺の屋根を持つ二層の門で、四本の柱が支える二層部分は回縁が付き高欄で囲まれています。
参道脇に桜が植えられ、花の時期になると趣のある門も艶やかな印象になるだろう。
門直下から梵鐘を見上げる。
現在の鐘楼門の建立時期は良く分からなかったが、梵鐘は元禄三年(1609)鋳造のもので、戦時中の供出を免れ大晦日には梯子で二階に上がり撞くことができると聞きます。
小江戸川越に鳴り響く鐘の音はどのような音色なんだろう。
門をくぐった左の六地蔵、この後方に島崎藤村の義母、太陽寺一族、釈迦堂大先達の墓がある。
参道の先の建物は本尊の釈迦牟尼如来を祀る釈迦堂、昭和61年(1986)に比叡山延暦寺西塔の釈迦堂を模して再建されたもの。
鐘楼門から少し北に風格が漂う中院山門が建つ。
天長七年(830)、慈覚大師円仁により創立された中院の歴史を感じさせる四脚の山門。
門の左に「天台宗別格本山」、右に「元関東八箇壇林」の木札が掛けられている。
門から望む参道の先に中院本堂の姿がある。
「中院
中院は、かつて星野山無量寿寺仏地院と称し、天長七年(830)に、慈覚大師によって創立された。
当初の中院は、喜多院の隣にある東照宮の地にあったが、寛永十年(1633) 東照宮建造の折に現在地に移されたものである。
墓石に「蓮月不染乃墓」と彫られており、この墓銘は藤村が書いたものである。」
元来星野山無量寿寺のなかに北院・中院南院の三院があり、それぞれ仏蔵院、仏地院、多聞院と称していたものである。
当初の中院は、現在の東照宮の地にあったが、寛永十年(1633)東照宮建造の折りに現在地に移されたものである。
喜多院に天海僧正が来住する以前は、むしろ中院の方が勢力をもっていたことは正安三年(1301)勅願所たるべき口宜の写しや、慶長以前の多数の古文書の所蔵によって知られる。
秋元侯の家老太陽寺一族の墓、島崎藤村の義母加藤みきの墓などがある。」
中院沿革(wikipediaより)
本堂。
赤門。
弁柄で塗られた瓦葺四脚門で左の柱に「天台宗中院」、右の柱に「特別保護建造物 此門四百年前建物取調書編入 明治十六年六月十九日 埼玉県」と記された木札が掛けられています。
赤門の傍らの掲示板の「皆んな元気で100歳迎えましょう」の言葉には自然に笑みがこぼれる。
下は蕾の自分が100まで生きるための十一則、やめられない事ばっかり。
そこまでして100を目指す事も無かろう。
赤門から眺める境内。
一般参拝客はこちらから境内に入る事になります。
どこの神社仏閣でも同じですがペットお断りの看板を目にします、それは「動物は穢れ」としてとらわれ、そうした理由から神社仏閣ではペットは抱っこしようが外で「待て」してもらうしかない。
たま〃だろうがそうした光景を目にすると、人化したお犬様に限らないが、ペットブーム以降「うちの子」がアレルゲンであることを自覚していない飼い主が増えている気がする。
入母屋瓦葺の本堂全景。
手入れされた庭園には四季折々の草花が植えられ、特に枝垂れ桜が多く桜の時期に訪れたいところ。
この時期は紅葉にも早く、苔の緑と彼岸花が印象に残りました。
喜多院にくらべ中院を訪れる参拝客は少ないようで、静かで落ち着いた佇まいの古刹でした。
星野山 無量寿寺 中院。
宗派 / 天台宗
創建 / (伝)天長7年(830)
開山 / (伝)円仁
開基 / 淳和天皇
本尊 / 阿弥陀如来
所在地 / 埼玉県川越市小仙波町5-15-1
光西寺から北へ / 徒歩1分程
参拝日 / 2023/09/25
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