『川越熊野神社』(川越市連雀町)

川越市連雀町鎮座「川越熊野神社
前回まで掲載した川越時の鐘・薬師神社から、歩道が混み合う県道12号線を避け、東に向かい一本先で右折し南下、大正ロマン通りを横切り県道15号線方向に歩く事約8分の所に今回の「川越熊野神社」は鎮座します。
県道12号線を南下するより幾分人波は減り歩きやすい印象がありました。

熊野神社社頭。
両脇を店舗と民家に挟まれた僅かな場所に忽然と社頭が現れます。
社頭の右に熊野神社の社標と石造靖国鳥居を構え、石畳の参道がその先の拝殿まで続きます。
面白いのは参道左の「足踏み健康ロード」だ、参道に玉石が埋め込まれており足つぼを刺激してくれるらしい、罰ゲームじゃないが誰もやらんだろうと思いきや靴を脱ぎすてチャレンジする人がいるのには正直驚いた。
足踏み健康ロードのゴールはニノ鳥居、かみさんから「やってみゃあー」と煽られるが、そこは断じて断る、間違いなく瞬殺なのは見えている。

鳥居の額は…読めない。
恐らく熊野神社だろうが、下の神社くらいは読めるが上の「くまの」の文字が読めない。
ひょっとして「熊埜」?と刻んであるのか。

社標右手の境内マップ。
両サイドに建物が迫る参道からニノ鳥居を過ぎると、境内は左右に広がり意外に広い社地を持っている。
東向きの社殿を中心に北側に境内社、南側に社務所、神楽殿が配置されています。

ゴールの先の境内。
目の前に茅の輪のような「八咫烏鈴の輪くぐり」がある。
要領は茅の輪くぐりと同じ、違うとすれば輪の上に鈴が吊るされている。
春詣と秋詣での期間に行われるようで、ここをくぐって罪穢れを祓ってから拝殿で参拝するのが作法。

ニノ鳥居右の手水舎と加祐稲荷神社の運試しの輪投げ。
いまになって気が付くが、ニノ鳥居(石造明神鳥居)を一枚も撮っていなかったようです。

境内右の加祐稲荷神社から参拝。

由緒
通称「かすけさま」「おいなりさま」生命の元になる食物(稲)の実りを守り、人々の願いの実りを助けて下さる福の神。
御祭神 倉稲魂命
由緒
新編武蔵風土紀稿及び武藏三芳野名勝図会に当社の名は記されているが、御由緒は不詳。
口碑によれば蓮馨寺開祖以前からあり、この神を帰信したところ、種々の災厄から免れたことから神が祐を加えて下さるということで「加祐」という名前を社号に冠し崇め来た。
その社号が古旗に書かれているのが残っていたと言われる。
そのことから室町時代永禄年間(1558~1570)には既に存在していたと推測できる。
明治2年蓮馨寺境内より遷座熊野神社の御末社となった。
御祭礼日 
例祭 3月第二日曜日
縁日 毎月第二日曜日

覆殿全景。

写真の石の明神鳥居の先は、左に銭洗い弁天厳島神社、右に白蛇神社の二社が祀られている。

鳥居脇の銭洗い弁天厳島神社由緒。
通称「べんてんさま」「銭洗い弁天」芸能、福智、延寿、除災、特勝、財運の神。
平成28年6月新たに安芸の宮島より弁財天像をお祀りする。
御祭神 市杵島姫命
由緒
武蔵三芳野名勝図会(享和元年1801)によれば、その昔は蓮馨寺の南側林中にあったが、当時、秋葉神社の西側移したと記されている。
由緒は不詳であるが口碑によれば蓮馨寺開祖以前より寶池(熊野神社裏より蓮馨寺境内にかけてあり)に鎮座していた当社を崇敬し、池名「寶池」を寺号とし、寶池院としたと言う。
明治2年蓮馨寺境内より遷座熊野神社の御末社となった。
御祭礼日 
例祭 6月第三日曜日
縁日 毎月第三日曜日

左が銭洗い弁天厳島神社
こちらを参拝した後、虎の子をざるに入れ御神水で洗い清める作法。
これでどれだけ使っても、明日になれば「内閣官房機密費」のように減る事はない。

銭洗い弁天厳島神社由緒。

右の石の社が白蛇神社本殿。
願いを込め二つの白蛇様の部位をなでるとその部位に応じた御利益を得られる。

周辺は蜷局をまいた白蛇の子が数えきれないほどいる。
蛇は…苦手だ。

秋葉神社覆殿全景。

秋葉神社由緒(通称は省略)
御祭神 火之迦具土
御由緒 
新編武蔵風土記稿によれば、第十代川越藩主秋元喬房氏により、享保8年(1723)年に建立。
秋元氏が蓮馨寺住僧東誉円悦なる者に議り、当社安置の地を熊の神社に卜して丘を築き勧請させた。
昭和32年まではその小丘が残っていた。
例祭日 例祭11月第三日曜日
縁日 毎月第四日曜日

中には白虎に乗った秋葉大権現の像があります、人が集まり集落ができると火伏の神が必ず祀られていきます。
川越は寛永15年(1638)、明治26年(1893)の川越大火と幾度も大火を経験し、趣ある蔵造りの町並みはこうした過去の学びの結果。

空き家が増え今後も減る事のない現在、一軒家だった敷地は小間切れにされ、壁の修理をどうするのか疑いたくなる建売住宅が犇めぎ合う。
そうした利益優先「運命共同住宅」を得意とするメーカーは、もれなく秋葉さんの祠を標準で付けるくらいしてみたらどうだろう。

大鷲神社と左にある石碑には「山さくら咲けば白雲散れば雪 花見てくらす春ぞすくなき」と記され、「もとのもくあみ」の語源となった落栗庵元杢網(1724 〜1811)の歌碑が建てられています。

大鷲神社由緒
通称 12月3日の酉の市は「おとりさま」と呼ばれ、戦時中は武運長久の神として、現在は家内安全、商売繁盛の守護神として信仰されている。
御祭神 天之鳥船命
御由緒 大正11年南埼玉郡鷲宮神社の分霊を奉斎したと伝わる。
初め熊野神社に合祀されたが、後に流れ造りの社殿を建立し、遷座祭を執行して末社とした。
川越地区とその付近住民の繁栄を願い、毎年12月3日に「酉の市」を開催し、大神の福と呼ばれる「稲穂付きの熊手」や「百万両小判」を授かろうと近郷近在より善男善女が集まり、年毎に益々盛大になっている。
例祭日 例祭12月3日
縁日 毎月第一日曜日

今年も間もなく熊手の時期になろうとしている。

熊野神社拝殿正面全景。
八咫烏の紋が入った提灯が連なり拝殿に導いてくれる。
その先に一対の狛犬が守護する。

明治37年(1904)に寄進された狛犬

川越熊野神社由緒
天正18年(1590)蓮馨寺二世然誉文応僧正が紀州熊野より勧請。
・正徳3年(1713)蓮馨寺十六世然誉了鑑僧正の時、社殿を改築。
・御祭神 熊野大神 (伊弉諾命、伊弉册命、事解之男命速玉之男命)
・ご利益 開運・縁結び・厄除け
八咫烏
熊野大神に仕える三本足の烏、夜明けを呼び太陽を招き、明るい世界に導く霊鳥
・熊野で迷う神武天皇を大和の檀原まで導いた
JFAのシンボルとして描かれている。

拝殿は瓦葺入母屋造り。

拝殿左からの眺め。
手前に可愛い金と黒の八咫烏が置かれている。
…これ、チョコのキャラに見えるのは自分だけか。

神明造の本殿。千木は外削ぎ鰹木の数は見ていなかった。

境内東側の神楽殿社務所
金と黒の八咫烏がここにも。

強力に導いてくれそうなジャンボ八咫烏
あのキャラクターの名前がスッと出てこない、キョロちゃんか!

八咫烏由緒。
大きな導きを与えてくれそうな。

境内西の結びの庭。
熊野本宮から榊とナギが移植され、一歩中に入ると霧のようにミストシャワーが注がれていた。

中にはふたつの八咫烏レリーフが安置されており、霧に包まれ道に迷う人に導きを授けてくれる。
これで川越熊野神社の主な神社は参拝して廻ったはず。

結びの庭の左側にここ連雀町の「道灌の山車庫」があり、訪れた日は運よくシャッターが開けられ遠巻きに見る事が出来た。

山車の一番上に太田道灌の人形があるのだが、残念ながら暗くて見えない。
川越氷川祭では川越に受け継がれている29台の山車が勢揃いするという、有形民俗文化財や歴史文化伝承山車に指定されており、この道灌の山車は歴史文化伝承山車に指定されているとか。
建造は昭和27年(1952)と比較的新しく、黒漆や金色の飾り金具は光り輝いていた。
川越まつりを前に準備していたのだろうか、祭り当日はすごい人波が川越に押し寄せるのだろうなぁ。

川越熊野神社
創建 / 天正18年(1590)紀州熊野から勧請
祭神 / 熊野大神 (伊弉諾命、伊弉册命、事解之男命速玉之男命)
境内社 / 加祐稲荷神社、白蛇神社、銭洗い弁天厳島神社秋葉神社大鷲神社
所在地 / 埼玉県川越市連雀町17-1
参拝日 / 2023/09/25
時の鐘・薬師神社から川越熊野神社徒歩移動 / ​南へ600㍍約8分
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