川越氷川神社。
氷川神社表参道。
氷川神社への入口は写真の石鳥居を構えたここと、社頭から右に向かうと左に大鳥居を構えた広い参道、そして社地北側を流れる新河岸川沿いの脇参道の三か所があります。
宮下町日本武尊山車庫。
三叉路の手前にあり、川越氷川祭の山車行事で曳航される川越市登録歴史文化伝承山車「日本武尊の山車」を保管しています。
川越氷川祭は、慶安5年(1648)に時の城主だった松平信綱が、川越に町をあげた祭礼がない事から祭具を寄進し、江戸の天下祭り様式に則った神幸祭を奨めたこともあり、元禄11年(1698)初めて踊屋台が出たのをきっかけに300年を越えた現在に受け継がれ、川越の蔵造りの残る町並みを煌びやかな山車が曳行される。
こうした山車は川越には29台受け継がれているようで、有形民俗文化財や歴史文化伝承山車に指定されているようです。
2016年には「川越氷川祭の山車行事」として、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に登録されたそうだ。
普段はシャッターが下ろされ、見る事は出来なかったが、10月第3土・日にはその姿が見られる。
社頭右の風鈴。
7月から9月にかけて川越の夏の風物詩縁結び風鈴廻廊が行われますが、参拝時は既にその時期を過ぎており江戸風鈴が吊るされた廻廊は見られませんでした。
氷川神社社頭全景。
創建は古く、歴代の川越城主からも庇護を受け、川越城下の人々から崇敬されてきた神社で、縁結びや夫婦円満の御利益があるとして今も多くの参拝客で賑わう。
大鳥居は朱塗りの明神鳥居で、高さは15㍍の木製鳥居。
戌岩。
「その姿が鼻先を神前に向けた戌(犬)の形をしていることから名付けられた。
犬はお産が軽く多産であることから、古くから安産・子宝を象徴する動物とされます。
今日でも毎月戌の日には祈願に訪れる参拝客が多い。
祈願の作法はこの戌岩の鼻先を撫でるといい。」
想像力の乏しい自分は解説のように見えないことが多い。
この角度から見る岩は、穏やかな表情をし、垂れ耳で頬肉が垂れた大型犬の横顔と健康的な鼻が良く分かる。
二人の子育てを終え、この歳で子宝もないが、鼻先を撫でさせてもらった。
参拝に訪れた若いカップル、どちらかが撫でようもんなら、それは無言のアピールとして捉え、年貢を納める時期と悟った方がいいかもしれない。
戌岩の前の御神水。
鉢の底から絶え間なく地下水が湧き出し、苔とシダを育んでいる。
御神水は自由に汲み取って持ち帰り、煮沸し飲用してもいいらしい。
現在は一筋の細い流れですが、往古は御手洗川という小川が流れ、神社脇の上尾街道を通る人々の喉を潤してきたという。
そうした恵みをもたらす水源にはこうした水の神様が祀られます。
蛇口を捻れば飲適の水が出るのは当たり前、電気は自給できても命の水はやすやすとは賄えないだけに、当たり前に感謝する意識はもはやないのかもしれない。
祭神は弥都波能売神(ミヅハノメノカミ)。
境内全景。
右が拝殿でこの左手に二つの鳥居がある、奥は八坂神社。
境内左には授与所と舞殿が主な建物。
拝殿右は護国神社。
明治14年(1881)、川越出身の西南戦争以降の戦没英霊をお祀りするため創建された。
氷川神社拝殿。
入母屋平入の銅葺屋根で現在の拝殿は1874年(明治7)に改築されたもの。
当日は七五三の御祈祷に訪れた家族連れと大陸から訪れた観光客が多かった。
入母屋銅葺屋根の舞殿。
舞台の正面に一本の老松と左右の脇戸に松と鶴が鮮やかに描かれている。
舞殿左の覆屋は境内社の一つ柿本人麻呂神社。
本殿前の狛犬。
御祭神は柿本人麻呂。
直系の子孫、綾部氏が戦国時代に川越に移住してきたことからお祀りされるようになった。
歌道・学問の神様、安産・火防の神様として古から信仰を集めている。
柿本人麻呂を社名に冠する神社は初めてお目にかかるかもしれない。
拝殿左の八坂神社。
この社殿は寛永14年(1637)に江戸城二の丸の東照宮として建立されたが、後に空宮となった事を契機に明暦2年(1656)川越城内の三芳野神社の外宮として移築、明治5年(1872)に氷川神社境内に移築されたもの。
拝殿脇の社殿解説。
朱塗りの本殿は内部は見られませんが、外観には東照宮らしさが漂っています。
拝殿左に本殿を周回する参道があり、入口には無数の絵馬が吊るされた絵馬廻廊があります。
絵馬廻廊を抜けた本殿左側には境内社20社が纏められています。
上は三峯神社。
下は右から雷電神社、嶋姫神社、水神社、厳島神社、疱瘡神社、子ノ権現社。
玉垣で囲われた本殿域には一対の狛犬と銅製燈籠が見える。
本殿は入母屋銅葺屋根の平入で千鳥破風と唐破風向拝が付くもの。
天保13年(1843)に起工し嘉永2年(1849)に竣功したもの。
一見して視線を釘付けにする色彩や意匠は見られないが、当時の名工とされる嶋村源蔵による精密な彫刻が全周に施されておりそれは見事なもの。
以下はHPより。
全周は透塀に囲われ細部を見る事は難しいですが、虹梁、肘木をはじめ「強度大丈夫か?」と思いたくなる程彫りこまれている。
遮るものなく一間〃じっくりと眺めてみたいところですが、まだ次の予定もあり氷川神社を後にする。
帰りは正参道から手水舎の龍にご挨拶。
平日とはいえ多くの参拝客、縁結びを祈願しに訪れる女性の参拝客が多いのには驚いた。
ニノ鳥居扁額。
黒地の額に金で「川越総鎮守 氷川神社」とある。
ひと昔前に小渕さんが掲げた「平成」の元号を書かれた蜂城河東氏の揮毫によるもの。
正参道から訪れた際にはニノ鳥居を見上げて見ては如何だろう。
川越 氷川神社
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