名古屋市名東区一社3丁目 貴舩神社
地下鉄、R302号線、名古屋I.Cを間近に控え交通網が集約されている地域
周囲はマンション、一戸建て住宅が連なるベットタウン
地下鉄一社で下車、東山線を南に超えた10分程の高台に貴舩神社は鎮座します
地下鉄、R302号線、名古屋I.Cを間近に控え交通網が集約されている地域
周囲はマンション、一戸建て住宅が連なるベットタウン
地下鉄一社で下車、東山線を南に超えた10分程の高台に貴舩神社は鎮座します

道路際からいきなり石段、石鳥居の奥に拝殿屋根が見えます



水は澄んでいました、手水鉢に繋がる左の管を追いかけてみれば、石垣へと消えていく
注がれる静水は湧水なのかな、随分冷たくなった手水で清め、石段を登ります
注がれる静水は湧水なのかな、随分冷たくなった手水で清め、石段を登ります

朝陽を受け鳥居前で警護する面々です

鳥居から境内の眺め
境内は二段になっていて、この段には石灯籠、石碑が集約され、左に進むと広い境内につながります
境内は二段になっていて、この段には石灯籠、石碑が集約され、左に進むと広い境内につながります

土地の生い立ちを伝える開墾記念碑
新田開発により、嘗て広く農耕が営まれ、水利は主に溜池に依存し多くの溜池がありました
周辺の「牧野ヶ池」などはその名残、そうした土地柄故、水の神が祀られる事になります
当時の田園風景も1950年(昭和30)名古屋市と編入以降、東名高速建設、宅地開発が行われ変貌
田園風景の面影を見る事は出来なくなりました
この碑は地域一帯の開発に携わった西一社土地区画整理事業の完了記念碑
貴船と表記される事がありますが貴舩の様です
この貴舩神社の水の神は高龗神、罔象女神、龗神の誰なのか?定かではありません
植田川の少し東の丘陵地の貴船町にある貴船社は罔象女神と表記されています
こちらも罔象女神なのか、それとも京都貴船神社の高龗神なのか由緒書きが欲しいところです
新田開発により、嘗て広く農耕が営まれ、水利は主に溜池に依存し多くの溜池がありました
周辺の「牧野ヶ池」などはその名残、そうした土地柄故、水の神が祀られる事になります
当時の田園風景も1950年(昭和30)名古屋市と編入以降、東名高速建設、宅地開発が行われ変貌
田園風景の面影を見る事は出来なくなりました
この碑は地域一帯の開発に携わった西一社土地区画整理事業の完了記念碑
貴船と表記される事がありますが貴舩の様です
この貴舩神社の水の神は高龗神、罔象女神、龗神の誰なのか?定かではありません
植田川の少し東の丘陵地の貴船町にある貴船社は罔象女神と表記されています
こちらも罔象女神なのか、それとも京都貴船神社の高龗神なのか由緒書きが欲しいところです

拝殿のある上段の境内には石の蕃塀
下に狛犬、上に龍が彫られています
下に狛犬、上に龍が彫られています

蕃堀左の手水舎、手水鉢
龍の表情がなかなかのもの

拝殿前の面々・・・・・鳥居前の方々の配置良く見るとア!吽??


拝殿全景
建て替えが行われたのか定かではありませんが、コンクリート造りで比較的新しい綺麗な外観
建て替えが行われたのか定かではありませんが、コンクリート造りで比較的新しい綺麗な外観

拝殿の扁額には龍が施されています
先に書いたように、農耕に必要な水の多くを溜池に依存していた事から、降雨は重要
この辺りには古くから言い伝えが残ります
「旱魃に悩まされていた当地を武内宿禰が通りかかります、困窮した村人に宿禰は白鷺の羽で作られた白い矢を御祭神として祀りなさい」と言って白い矢を渡します
村人は祠を作りそこに白い矢を祀り祈ります、やがてそこから清水が湧き出で枯れた田畑を潤した」
それ以降この祠は「矢白神社」と呼び、やがて地名も「やしろ」と呼ぶようになったと・・・・・
その祠が現在の貴船の貴舩社とされています
やしろ村は上やしろと下やしろに分かれ、すぐ隣に一色村が隣接、やがて一色村と下社村は一つとなり
現在の一社(いっしゃ)となります
余談ですが神社で出会う古老の話はとても楽しい
「昔はヨオ、夜道を歩いていると狐が道を柁化けてヨオ、いつまでたっても家に帰れなんでえらい目に遭ってヨオ」なんて話も信用します・・・・・(飲み過ぎたね)
虚言でもない、受け狙いでもない素直な言葉は聞いて楽しい
話しを戻し、拝殿内の本殿前には金と銀に輝くスペシャルな警護担当が守りを固めているようで
先に書いたように、農耕に必要な水の多くを溜池に依存していた事から、降雨は重要
この辺りには古くから言い伝えが残ります
「旱魃に悩まされていた当地を武内宿禰が通りかかります、困窮した村人に宿禰は白鷺の羽で作られた白い矢を御祭神として祀りなさい」と言って白い矢を渡します
村人は祠を作りそこに白い矢を祀り祈ります、やがてそこから清水が湧き出で枯れた田畑を潤した」
それ以降この祠は「矢白神社」と呼び、やがて地名も「やしろ」と呼ぶようになったと・・・・・
その祠が現在の貴船の貴舩社とされています
やしろ村は上やしろと下やしろに分かれ、すぐ隣に一色村が隣接、やがて一色村と下社村は一つとなり
現在の一社(いっしゃ)となります
余談ですが神社で出会う古老の話はとても楽しい
「昔はヨオ、夜道を歩いていると狐が道を柁化けてヨオ、いつまでたっても家に帰れなんでえらい目に遭ってヨオ」なんて話も信用します・・・・・(飲み過ぎたね)
虚言でもない、受け狙いでもない素直な言葉は聞いて楽しい
話しを戻し、拝殿内の本殿前には金と銀に輝くスペシャルな警護担当が守りを固めているようで

貴舩神社全景です
拝殿、幣殿、本殿とつながりコンクリート造りのもの
鰹木は4本で千木は外削ぎの様です
良く鰹木が奇数・偶数、外削ぎ(とんがり頭)・内削ぎで男神・女神か識別できるとも云われます
一概に言いきれないようです、吽?と同じですね
拝殿、幣殿、本殿とつながりコンクリート造りのもの
鰹木は4本で千木は外削ぎの様です
良く鰹木が奇数・偶数、外削ぎ(とんがり頭)・内削ぎで男神・女神か識別できるとも云われます
一概に言いきれないようです、吽?と同じですね

貴舩神社北側から東山通りを眺める、直ぐ下に神蔵寺の墓地が広がります



上段境内から南方向の眺め、見える物が田畑から住宅に変われど眺望のいい高台であることは
一目瞭然です
一目瞭然です