植田川の東丘陵地の高台、一社の貴舩神社同様住宅地に囲まれています
周囲を石垣で積まれ、その中の広大な杜に社は鎮座します
周囲を石垣で積まれ、その中の広大な杜に社は鎮座します
南側の道路際に接しており、石鳥居を構え貴舩社参道につながります
一社貴舩神社同様、こちらも道路からいきなりの石段
石段の右に社号標、左に由緒書き
石段の右に社号標、左に由緒書き
石鳥居の正面に重厚な木造拝殿、鳥居左が手水舎
緑豊かな杜が取り囲み、この雰囲気だけでもここは特別な場所である事を感じさせてくれます
緑豊かな杜が取り囲み、この雰囲気だけでもここは特別な場所である事を感じさせてくれます
鳥居をくぐると初めて全体が見て取れ、鳥居からは杜に包まれた3つの石段を登る事になります
鳥居左の手水舎、手水鉢、龍の姿は見かけませんが静水はいたって澄んでいました
二段目まで登ると、貴舩社の警護担当がはっきりしてきます
最上段の石段から見る拝殿全景
木造瓦葺の拝殿、コンクリート造りにはない温かみと落ち着いた印象を感じます
木造瓦葺の拝殿、コンクリート造りにはない温かみと落ち着いた印象を感じます
杜に包まれた境内の左から拝殿全景(上)
拝殿内から本殿の眺め、神紋は五三桐の様です(下)
拝殿内から本殿の眺め、神紋は五三桐の様です(下)
本殿前の狛犬
拝殿から幣殿、本殿の全景
覆屋の中に祀られる稲荷社、小さな赤い鳥居の前には小さな白いキツネたちが守りを固めています
貴舩社由緒
鳥居前と境内で見かけた由緒書き
「寛文貳年九月(320年前)五穀豊穣祈願の為、水の神を祭る。尓来氏神と称え奉り生活の心のよりどころとして信仰極めて深いものがある」
1662年の創建という事でしょうか
一社の貴舩神社同様、丘陵地のこの辺りの農民にとっては水事情の悪い土地柄
この周辺に伝わる白い矢伝説が生まれ、水の神を祀り崇める、その舞台がここで、矢白神社は貴舩社ではないかとも云われています
この白い鷹の羽で作られた矢の伝説については貴船コミュニティーでも紹介されています
武内宿禰となると寛文どころか、途方もない年月を刻んでいる事になります
因みに名古屋市名東区柴田勝家コース(詳細)では「江戸時代の初期に雨の神を祭ったのが神社の起源だといわれています」と紹介されていて由緒書きと整合してきます
何れにせよ、この貴舩社の佇まい、それを包み込む杜が醸し出す空間は何か特別なものを感じます
鳥居前と境内で見かけた由緒書き
「寛文貳年九月(320年前)五穀豊穣祈願の為、水の神を祭る。尓来氏神と称え奉り生活の心のよりどころとして信仰極めて深いものがある」
1662年の創建という事でしょうか
一社の貴舩神社同様、丘陵地のこの辺りの農民にとっては水事情の悪い土地柄
この周辺に伝わる白い矢伝説が生まれ、水の神を祀り崇める、その舞台がここで、矢白神社は貴舩社ではないかとも云われています
この白い鷹の羽で作られた矢の伝説については貴船コミュニティーでも紹介されています
武内宿禰となると寛文どころか、途方もない年月を刻んでいる事になります
因みに名古屋市名東区柴田勝家コース(詳細)では「江戸時代の初期に雨の神を祭ったのが神社の起源だといわれています」と紹介されていて由緒書きと整合してきます
何れにせよ、この貴舩社の佇まい、それを包み込む杜が醸し出す空間は何か特別なものを感じます
境内の「鷹羽検藤流棒手、市指定無形民俗文化財記念碑」
棒の手とは農民の自衛手段の一種、尾張や西三河地方に古来から伝わる武術
ここ貴船社の秋の大祭では、この地域で保存されている猪高町鷹羽検藤流棒の手が境内で披露されるそうです
その様子を貴船コミュニティー「棒の手」で紹介していますが迫力のあるもので、静かな佇まいの境内ですがこの時ばかりは賑わう様です
棒の手とは農民の自衛手段の一種、尾張や西三河地方に古来から伝わる武術
ここ貴船社の秋の大祭では、この地域で保存されている猪高町鷹羽検藤流棒の手が境内で披露されるそうです
その様子を貴船コミュニティー「棒の手」で紹介していますが迫力のあるもので、静かな佇まいの境内ですがこの時ばかりは賑わう様です
住宅地に残る豊かな杜の中の社殿
末社から西に繋がる参道脇に古い祠でしょうか
古い祠からさらに下ると西から参道入り口に繋がります
表参道の石鳥居に比べると控柱を持つ立派な鳥居です
高台の杜に包まれた、白い矢の伝説の伝わる貴舩神社です
住所 / 名古屋市名東区貴船2丁目1901番
アクセス / 市営地下鉄東山瀬「上社」下車徒歩約20分
表参道の石鳥居に比べると控柱を持つ立派な鳥居です
高台の杜に包まれた、白い矢の伝説の伝わる貴舩神社です
住所 / 名古屋市名東区貴船2丁目1901番
アクセス / 市営地下鉄東山瀬「上社」下車徒歩約20分