紀伊國一之宮と大和國の一之宮巡り、紀三井寺の秘仏特別御開帳

コロナ禍で見合わせ続けて来た紀伊國と大和國の一之宮巡り、紀三井寺秘仏特別御開帳が6/28までという事もあり、自粛解除の流れに乗り6/26.27の二日間で巡ってきました。

車検を終えずっと出番を待っていたおやじの旧車、名古屋から6時に高速に乗り、快調に走っている。
変速ショックやエンジンの乱れも随分と改善され、これなら道中不安を覚える事はないだろう。

高速の交通量も随分と戻ってきたようで交通量は多い、やはりバスの姿は皆無、法定速度+10km/hの定速走行。

f:id:owari-nagoya55:20200628230307j:plain7:25 朝食のため亀山PAでひと休み。
かみさんのお目当てだった「littlemermaid」の「とろ~り半熟卵のカレーパン」を買い求め・・・・・?、「ない!」
出来上がりまで10分程とのこと、道中を気にしている彼女だが、表情に「カレーパン食べたい」と書いてある。
急ぐこともない、出来上がりを待つことにした。
間もなく出来立ての「とろ~り半熟卵のカレーパン」が、外はカリカリ食感で生地はふんわり、中にはカレーと半熟卵の入ったものだ。
出来立ての温かいカレーパンは待っただけの事はあった。これでコーディネーターの目的の一つはクリア。

さあ、朝御飯も食べた、目的地の和歌山へ向かおう。

f:id:owari-nagoya55:20200628230338j:plain 最初の目的地「日前神宮」と「國懸神宮」へは10:30到着

創建二千六百餘年を溯り、鳥居から先は杜が取り囲み、玉砂利の敷かれた参道が杜の奥に続きます。
参道は突き当り、二つに分かれ右に「國懸神宮」、左に「紀伊國一之宮日前神宮」へ続きます。
同じ境内に二社の大社が座し、日前宮とも呼ばれます。

木漏れ日のさす境内に照らされる社殿は厳粛な雰囲気が漂い、参道沿いには多くの摂社がある。

日本書紀』に関りがあり、日前宮には天照大神が岩戸隠れした際、石凝姥命八咫鏡に先立って鋳造した鏡が祀られているとの記述が残り、日前神宮日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体とし日前大神を奉祀、國懸神宮日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として國懸大神をお祀りしている。

コロナ禍の影響だろう、参拝客は少なく、静かで厳粛な空気感が漂う居心地のいい神社の印象を受けました。

紀伊國一之宮 日前神宮
祭神 / 日前大神(ひのくまのおおかみ)
相殿 / 思兼命(おもいかねのみこと)、石凝姥命(いしこりどめのみこと)
御神体 / 日像鏡

國懸神宮
祭神 / 國懸大神(くにかかすのおおかみ)
相殿 / 玉祖命(たまのやのみこと)、明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)、鈿女命(うづめのみこと)
御神体 / 日矛鏡

創建 / 神武天皇2年(紀元前659年)
住所 / 和歌山市秋月365

f:id:owari-nagoya55:20200628230413j:plain日前宮から車で下道を走る事約20分程、もう一つの紀伊國一之宮「伊太祁曾神社」に到着。
このあたりは和歌山県の南東にあたり、周囲を山で囲まれた所謂盆地で山東盆地と呼ばれる緑が残る田園地帯。

伊太祁曾神社はその西の丘陵地に鎮座します。
祭神は、五十猛命(いたけるのみこと)で 『日本書紀』には、我が国に樹木を植えて廻り、緑豊な国土を形成した神様であると記されているそうですが、まさしく緑豊かな周辺環境の中に神社は鎮座しています。
古くから人が住んでいたのでしょう、神社の向かいには古墳も残ります。

旧称は山東宮と呼ばれた紀伊國一之宮。
社伝によれば古くは先程の日前宮の地に祀られていたそうだが、垂仁天皇16年に日前神・国懸神を同所で祀ることになり、その地を明け渡したとされ、その際、現在の鎮座地近くの「亥の杜」に遷座和銅6年(713年)に現在地に遷座したとされる。

一ノ鳥居から緩やかに上る参道、左手の小高い森は「伊太祁曾古墳」でニノ鳥居はその右に建つ。
鳥居からは赤い橋の先に境内が広がり、城壁の様に積まれた石垣の上に拝殿が建ち、石段を上ると本殿と脇殿が鎮座する。

本殿は五十猛命(いたけるのみこと)、脇殿左が大屋都比賣命(おおやつひめのみこと)、脇殿右が都麻津比賣命(つまつひめのみこと)と五十猛命の妹神が祀られています。
何れも檜皮葺流造で外削ぎの千木に3本の鰹木が施されています。

左手には蛭子神社、霊石のおさる石が安置されています、この石を撫でれば首から上の病に霊験あらたかされるそうです。
左脇拝殿の左に気生神社、五十猛命の荒御霊祀った摂社がある。

その他に本殿の裏斜面には「いのちの水」が湧く「御井社」、祇園神社や磐座などが祀られています。
緑豊かな水田地帯、小高い山に鎮座する伊太祁曾神社は、日常の雑念から解き放ってくれる、静かで落ち着いた佇まいの神社でした。

紀伊國一之宮「伊太祁曾神社
祭神 / 五十猛命(いたけるのみこと)
左脇殿 / 大屋都比賣命(おおやつひめのみこと)
右脇殿 /  都麻津比賣命(つまつひめのみこと)

創建 / 和銅6年(713年)
住所 / 和歌山県和歌山市伊太祈曽

ぼちぼちお腹も空いて来た、お昼は伊太祁曽神社から車で20分ほど西和歌山市塩屋6丁目へ移動。
和歌山ラーメンを食べに行くそうな。

f:id:owari-nagoya55:20200628230447j:plain 丸三中華そば外観は小さな食堂の印象。
とんこつの香りが漂う店内へ。
テーブルにはなぜだか海苔巻きと早すし、茹で卵が置かれています。
「ラーメンが届く間これを食べていてくれ」的な感じで無論お代がかかります。
「中華そば」をオーダーし、どれどれ早すし頂くか。
開けて見れば鯖寿司だね、個人的にはもう少し酢を利かせてほしいところですが鯖大好き人間にとってはたまらない。
ペロッと二つたいらげる、ラーメンライスみたいなもんか。
こうしたシステムはこの辺りでは当たり前の食文化のようです。
すぐにやってきた「中華そば」、見た目は醤油ラーメンというより豚骨みそラーメン。

具はメンマ、ネギ、チャーシュー、蒲鉾で、 スープはとんこつ強めの醤油系。 これがおやじにジャストフィット。
過去のイメージは醤油辛い印象でしたが、それは一変しました。
油の旨味が口に広がり、濃厚な味わいで麺ともよく絡みとてもおいしい。
和歌山ラーメンうまい、くせになるかも。
我が家評価☆4つ

丸三中華そば
住所 / 和歌山県和歌山市塩屋6
定休日 / 日曜・祭日

お腹も満たされ次の目的地「紀三井寺」へは車で10分程です。

f:id:owari-nagoya55:20200628230522j:plain 秘仏特別御開帳が6/28までという事もあり、このタイミングを逃せば二度とお目にかかる事はないだろう。
(特別御開帳は50年に一度)

紀ノ川河口平野の南部にある名草山麓門前町から赤い楼門を目指す。
こちらには赤いシリーズとしてこの他に1,500年前後に建立された多宝塔、鐘楼などがあり、何れも国の指定文化財に指定されています。
楼門からは231段の石段を上る事になります、この坂は結縁坂とも呼ばれ、一緒になりたいパートナーと上ると願いが叶うとされます。

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 特別拝観料1,000円をお支払いし本堂内陣の逗子の横から、収蔵庫に続く廊下を進みます。

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 収蔵庫の内部正面に五体の仏像が公開されていました。
正確に言えば一番右の十一面観世音菩薩立像は京都に只今出張中で五体。
左から上の写真順に並んでいます。

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 中央が今回の目玉となる二体。
左が本尊の十一面観世音菩薩、右が千手観世音菩薩

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 左が梵天立像、右が京都へ出張中の十一面観世音菩薩立像。

ここは櫻の寺かも知れません、境内には多数の桜の木を見かけます。
28日までの御開帳ですが訪れる方は少なかった。

紀三井寺
山号は紀三井山、院号は護国院、寺号は金剛宝寺
創建は770年(宝亀元年)とされ、西国三十三所第2番札所である。
本尊は今回御開帳された十一面観世音菩薩。
住所 / 和歌山県和歌山市紀三井寺1201

さて231段を上り下りし駐車場に戻る、予定の時間に対し余裕があるとかでここから西に10分程の「紀州東照宮」に参拝することとしました。

f:id:owari-nagoya55:20200628230723j:plain 「紀州東照宮」一の鳥居から参道の眺め。
石段の予感がする、予感は現実のものとなり、楼門の前には一直線に続く急な108段が待ち構えていた。
石段の左には緩い石段と書かれているが、こうした道は遠回り以外の何物でもない、直登あるのみ。
急な石段で有名な紀三井寺和歌浦天満宮紀州東照宮の3ヵ所、合計389段を「和歌の浦急峻三社寺巡り」といい一日で回るらしい。
すぐ左には残る和歌浦天満宮が鎮座するだけに、チャレンジしてもいいかとも思ったが結構足腰に来る。
無理は禁物、天満宮は見送ろう。
108段を登り切ると楼門の先に拝殿が視界に入る。
所謂東照宮です。権現造の社殿は豪華絢爛そのもので「関西の日光」ともいわれるそうです。
祭神は徳川家康紀州藩初代藩主の徳川頼宜。
創建は1621年(元和7)とされる。
紀州東照宮さすがでございます。

この道中、我が家の天気予想では雨を想定していましたが、雲はこの辺りを避けるように過ぎていきます。
陽射しは強くこんなはずではなかった、予定外の108段、汗びっしょりです。
これで初日の計画は全て達成、後は紀ノ川沿いに国道24号線を遡り、今宵の宿となる道の駅紀の川万葉の里を目指すだけですが、ひとっ風呂浴びないとやってられない、かみさんが道すがらのスーパー銭湯を検索してくれたのでそこで汗を流す。

f:id:owari-nagoya55:20200628230751j:plainスーパー銭湯「極楽温泉幸の湯」
比較的新しく、湯舟も種類が豊富おやじは寝湯と電気風呂がお気に入り、汗を流すどころかしっかり居眠り。
心地よい眠りから目覚めるとかれこれ1時間、これはかみさんお怒りだろう。慌てて着替え待合室へ。
15分程待たしてしまったようだ。
ここでビールをひっかけご飯もいいけれど、道の駅周辺にファミレスがあるらしい、ビールはそこまで我慢。

f:id:owari-nagoya55:20200628230816j:plain 国道24号線沿いの道の駅紀の川万葉の里へは6時30頃到着。
周囲は自然豊かで一歩出れば紀の川が流れその先の山並みの遥か先が高野山
道の駅ではツバメが子育て真っ最中、そこかしこに巣が掛けられ、駐車場を飛び回っている。
のどかな光景だ、トイレも綺麗でかみさんにとっては嬉しい。
大きな木の下に車を停め、晩御飯(ビール)を食べにファミレスへ。
こんなに暑い日とは、まずはさておき冷たいビールで今日一日お疲れの乾杯。
ご飯もそこそこにビールで涼を取り車に戻り二次会へ、ところがここは民放がかろうじて一局入るが電波の通りが良くないようだ。夜中に雨が降りそうな気配が漂う、二次会はそこそこに眠りにつく。

f:id:owari-nagoya55:20200628230848j:plain 翌朝の光景、空はどんより。
結局夜も雨は降らなかった、今日は降るだろう。
二日目の目的地は「風猛山 粉河寺」、ここから紀ノ川沿いに15分ほど下流あたります。
途中、地元に24時間営業のスーパーで朝御飯と地元の酒を買い求め粉河寺へ向かう。

f:id:owari-nagoya55:20200628230923j:plain 西国33所巡りの第三番札所
開創は770年(宝亀元年)と云われ、鎌倉時代には七堂伽藍、五百五十ヶ坊、東西南北4キロ余の境内地と寺領四万余石を誇っていた、1585年(天正13)豊臣秀吉の兵乱に遭遇し、堂塔伽藍と多くの寺宝を焼失した。
後に、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって、江戸時代中期から後期にかけて現存の諸堂が形作られた。
個人的な見所は金剛力士を祀る赤い大門、四天王を祀る中門、西国33所巡りの寺では最大で複雑な屋根構造を持つ本堂ではないだろうか。
更に本堂左の石段の先に粉河産土神社、本堂の手前には巨岩を組んで作られた枯山水の庭園「粉河寺庭園」などがあり、見所が多い寺で境内は剪定も行き届き、とても居心地のいい寺の印象です。
桜の時期にまた訪れてみたい、その頃は華やかな一面を魅せてくれるのではないでしょうか。
「風猛山 粉河寺」
創建 / 770年(宝亀元年)
山号 / 風猛山
本尊 / 千手千眼観音菩薩
西国33所巡り / 第三番札所
住所 / 和歌山県紀の川市粉河2787

さて和歌山県とはここでお別れ。
今回最後の目的地は、ここから京奈和自動車道と国道24号を経由し、奈良県桜井市に鎮座する「大和国一之宮 大神神社」に向かいます。
ざっくりと1時間半程の移動時間となります。

f:id:owari-nagoya55:20200628230951j:plain 大神神社三輪山御神体として直接拝するため、所謂本殿は存在しません。
三輪山には上から奥津磐座、中津磐座、辺津磐座と3つの磐座があり、この拝殿から三輪山を仰ぎ見る古来の形態を留め、現在の拝殿が建てられる以前は拝殿奥の明神鳥居を繋げたような変わった形態の三つ鳥居とそこに続く玉垣があっただけだという。
主祭神大物主大神配祀神大己貴神少彦名神 を祀る。
現在では三輪山の麓から山嶺にかけて多くの神社が祀られ、三輪明神として親しまれています。

おやじ大好きの造り酒屋、その軒先で見かける杉玉は、大神神社で毎年11月に行われる酒祭で、拝殿に吊るされたことが始まりでそれが各地に広まったという。

今回訪れた寺社の中では訪れる参拝客は圧倒的に多い。
こんな時期なので閑散としているのかと思っていたが、社頭の大鳥居から駐車場待ちの車が列をなす程。
ニノ鳥居でも人波が途切れるのを待っていたがその機会は訪れなかった。
これでも参拝客は少ないのだろうが、こんな時だからこそ多くの人が訪れているのかもしれない。
車を駐車するのであれば歩きが増えますが入口の大鳥居付近が入るも出るも便利でお勧めかも。

大和國一之宮 大神神社
創建 / 不明
主祭神 / 大物主大神
配祀神 / 大己貴神少彦名神
住所 /  奈良県桜井市三輪1422

f:id:owari-nagoya55:20200628231021j:plain写真上は久延彦神社から見た大鳥居。三輪の町に大神神社の巨大な鳥居が存在を主張しています。

参拝の後は遅い昼ご飯、もちろん三輪そうめんという事になります。
写真は三輪そうめん山本の「冷やしそうめん」
ソーシャルディスタンスの関係から一時間待つことになりました。
二日目も雨は降らず暑い一日、冷たくて喉越しのいいそうめんが恋しくなる時期です。
写真は大盛、税込み1,280円

三輪そうめん山本
住所 / 奈良県桜井市箸中880

コロナ禍が納まる兆しは全くないものの、形上の制限解除になり一気に以前に戻った錯覚を覚えますが、上手に付き合っていくしかありません。
人波が少ない所を選んで出かけるのも必要なのかもしれませんね。

春日井市上条町3丁目 「延命地蔵」

春日井市上条町3丁目
延命地蔵
上条町3の不明社から上条城址に向かう途中の道すがらで見かけた地蔵堂

f:id:owari-nagoya55:20200625202111j:plain狭い交差点の角、民家の敷地の一画を間借りするように建てられた地蔵堂、その奥には案内板らしきものも見える。

f:id:owari-nagoya55:20200625202133j:plain場所が場所だけにどうなんだろう、もしや過去の事故の慰霊なのか、せっかくなので寄り道する事にしました。
堂の中には白い石像とお花が供えられています。

f:id:owari-nagoya55:20200625202155j:plain縁起には以下の様に書かれていました。
延命地蔵様を建立することになった由縁は、当時比較的若年層の不幸が町内で続き、あるところへ伺いを立てた所「その昔、池に身を投げた娘の霊がこの地域にある」という事を知りました。
そこで町内会の皆さんと相談した結果、これらに纏わる先人達の霊を慰め、また、若くしてこの世を去った御霊を供養し、合わせてこの地域の人々の延命を祈念するため寄付を募り、昭和57年9月23日に建立されました。
上三町内会では年に一度の良き日に、近隣町内の方や多くの子供達も一緒に延命地蔵様の前で大祭を開催し、町内の安全と厄除けり祈願をしています。
平成17年9月23日 上三町内会」

f:id:owari-nagoya55:20200625202217j:plain「その昔、池がこの地域にある」という事なので、少し遡って見ると、上条町内には昭和の初期まで2つの池があったようです。(地図左の丸部分)
現在は埋め立てられ、宅地化され痕跡すらありませんが、調べて見ると庄内川が氾濫した際に出来たとされ、庄内川、内津川の伏流水が湧き出し、池底は非常に深かったそうです。
由緒に記された池とはこの二つ池のどちらかを指しているのかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20200625202240j:plain地蔵堂の中には前掛けが掛けられた、白い延命地蔵が一体祀られていました。
表情はとても穏やかで、小さな像ですがこの地域に住む方々の延命の願いを一身に担っている
普段はひっそりと佇む地蔵さま、年に一度の良き日がいつなのか分かりませんがきっと賑やかなのかもしれません。

新しい地蔵さまですが、地域には必要不可欠な存在の様です。

上条町3の「延命地蔵
建立 / 1982年(昭和57)
住所 / ​春日井市上条町3丁目
アクセス / 春日井市上条町3の不明社から南に5分程
関連記事 / ​上条町3不明社

津島社

春日井市上条町4
上条城址から西に1分程歩くと細い道の交差点があります。
その交差点の角に切妻瓦葺屋根の四方が吹き抜けの覆屋があります。

f:id:owari-nagoya55:20200624174524j:plain 道路前方の左側に一本だけポツンと聳える樹が見えますが、そこが上条城址なので本当に目と鼻の先。
この右手には上条城の城主だった林氏の立派な蔵があります。

交差点の北角に佇む覆屋、よく見ると中に神棚が見えます。

f:id:owari-nagoya55:20200624174544j:plain 交差点の南側から覆屋を正面から見る。
土足で入っていいものなのか悩む、覆屋と呼ぶには立派なものです。

f:id:owari-nagoya55:20200624174603j:plain 中には板宮造りの二つの社が祀られています。
どちらも注連縄も新しく、扉は開け放たれています。

f:id:owari-nagoya55:20200624174621j:plain 左手の社には石の御神体が祀られているようで、右手の社には真新しい神札が見て取れます。
覆屋の中に入り間近に見ればいいのだろうが、やはり入るには気がひける。
覆屋の前から参拝させて頂くこととした。

f:id:owari-nagoya55:20200624174641j:plain 社の中をコンパクトカメラで目いっぱい引いて見た。
ここまでが精いっぱい、右の社は津島神社(天王社かもしれない)。
左の花崗岩御神体には漢字二文字が刻まれているようです。
色々調整をしては見たが、下の漢字は王と読めるけれど上が分からない。
猿の様にも見えなくもない、猿王…猿王社?、龍でもあるまい。

上条町を厄疫から免れるためにここに祀られたものと思われますが、いつ頃の創建なのか含めこちらの詳細は分かりませんでした。
注連縄や神札などが新しいことから町内で崇敬され、ここを中心に人とのつながりが出来ていると思います。

「津島社」
創建 / 不明
祭神 /   不明
住所 /  ​春日井市上条町4
上条城址からのアクセス /  ​​徒歩で西に1分
関連記事 /  上条城址

「上条城址」春日井市上条町

今回も春日井市

JR春日井駅から直行すると10分ほど、春日井市上条町3の不明社経由で西に歩く事15分程で上条城跡に着くのではないでしょうか。

f:id:owari-nagoya55:20200623104957j:plain 目標となるのは1本の木が聳えるこの石碑、というか右側の駐車場かもしれません。
東西に長い駐車場の西角に建つ石碑が上条城跡。

f:id:owari-nagoya55:20200623105019j:plainどこかに遺構はないのか?
右は整地された駐車場で痕跡らしきものは見当たりません。

f:id:owari-nagoya55:20200623105040j:plain 城址を示す石標があるのかと思えば、自分が見た限りそれらしい石標は見当たらない。
石碑正面にそれらしい事が彫られているのでは?と近づいて見るも、この碑には「林金兵衛君碑」とあり、その下に細かい文字が碑の全面に彫られている。

林金兵衛(1825年(文政8)~1881年( 明治14))を調べて見ると、初代東春日井郡長で今井兼平から数えて林家の28代目にあたり、上条城(じょうじょうじょう)主の小坂氏の子孫に当たる方だそうです。
上条城は小坂光善が1218年(建保6)に築城し、後に近江国へ移り住んでいたが、林重之の代に上条城に戻り、名字を「小坂」から「林」へ改姓したそうです。
上条城は1586年(天正14)に秀吉により廃城となるも、小牧・長久手の戦いで秀吉は自ら兵を率いて竜泉寺の帰路、林重登の屋敷で少しの期間滞在したという。
秀吉はこの時の礼として重登を春日井郡57ヶ村の総代庄屋に指名、重登から林金兵衛の代まで大庄屋として明治に至るまで勤めた。
城であり林家の屋敷でもあったようです。
この碑にはこうした事が刻まれていると思われます。

f:id:owari-nagoya55:20200623105102j:plain 遺構としては駐車場が嘗ての本丸で「人呼びの丘」と呼ばれる天守跡(左のこんもり部分)やその東側に石垣や西側には土塁の痕跡が残る。
こうして見ると遺構というより造成工事中の趣です。

f:id:owari-nagoya55:20200623105120j:plain 駐車場から北側を見ると今もこうして石垣が残っています。
北側には回り込んでいないのでよく分かりませんが、本丸跡の駐車場は時代の流れとはいえ、石碑や遺構をここまで留めているのだから、当時を忍ばせる想像図や解説が掲げられていると訪れる方は多くなると思う。
文化財に指定されていない事もあり予算が付かないのだろう、これが現実なのかも知れない。
訪れる方もなく静まり返った上条城跡、折角の遺産がもったいない気がします。
2020/6/13

上条城址
築城 / 1218年(建保6)
築城主 / 小坂光善
主な城主 / 小坂光善、林重之、林盛重、小坂雄吉
廃城 / 1586年(天正14)
関連記事 / 春日井市上条町3不明社
公共交通機関アクセス / JR中央線「春日井」駅下車、​南口から南へ徒歩約10分
上条町3の不明社からアクセス / ​社から南西に徒歩10分

春日井市上条町3 不明社

春日井市上条町3

f:id:owari-nagoya55:20200621201555j:plain JR春日井 南口から徒歩で10分もかからない、大きな工場の南の通りを東に進む。
右側に公園が現れその先で道は二手に分かれます、目的地は三叉路の角。

写真は振り返った道筋の絵なので公園は左になっています。

f:id:owari-nagoya55:20200621201610j:plain 小さな側溝沿いの角に聳える2本のシュロが目印。

シュロ、弘法大師が持ち帰り寺院に植えたともいわれるけれど、以前我が家の庭で一人生えし最初は南国情緒が漂い、真っすぐに伸びる事もあり、気持ちもいいんじゃないのと放置。
気が付けば剪定に手を焼くこんな高さまで育ってしまい往生した事がある。
それと同じだ。皮はタワシ代わりにもなり重宝していたが成長の早さには驚いたものだ。
この社の鎮守の杜はこのシュロなのかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20200621201623j:plain 二本のシュロの先に民家に溶け込む様に小さな切妻の覆屋が見えると思います。
ここが今回の目的地になります。
今回もこの社の情報は皆無、なので不明社として記載します。

f:id:owari-nagoya55:20200621201643j:plain 社の正面全景、周囲はアルミの柵で囲われ、小さな境内の覆い屋の下に板宮造りの社が祀られています。
扉は開け放たれているので地域のものだと思います。

f:id:owari-nagoya55:20200621201658j:plain 社の前に供えされた榊は新しいもの、小まめにこちらを訪れ手入れをされているようです。
この町内の氏神様なのでしょう、何か分からないねのか、調べて見ましたがやはり詳細は掴めませんでした、社の扉は閉ざされ、神札から判別することもできませんでした。

下は左が1938年の社地で右が現在、どちらにもそれらしいものは記されていません。
とすれば現在の区割りが整った頃と想定すると、意外に最近の事なのかも知れない。
社名は分からないけれど、参拝に訪れて感じたのは、何らかの意図をもってここに社が必要とされ祀られ、それが現在もこうして面倒を見てくれる方がいて受け継がれている事。
通りすがりのおやじに意図を明確にする必要はなく、ここに住まう方が知っていれば十分なのかもしれません。

f:id:owari-nagoya55:20200621201541j:plain 社の事は分からなかったけれど、左のJRの駅名に新たな気付きを見付けました。
「JR鳥居松駅」の表記、春日井駅春日井駅だろうとずっと思っていた。

1900年(明治33)に名古屋駅多治見駅間が開業したけれど、当初は勝川駅高蔵寺駅間には駅がなかったそうです。
その後、鳥居松村の有力者を中心として駅の開設運動が起こり、1927年(昭和2)「鳥居松駅」が誕生したそうです。
1943年(昭和18)に鳥居松村含めた4町村の合併により春日井市が誕生し、3年後の1946年(昭和21) に春日井駅に名を変えたという、春日井駅は鳥居松駅だった、このことがここに訪れて得られた収穫。
2020/6/13

不明社
創建 / 不明
祭神 / 不明
住所 / ​春日井市上条町3
公共交通機関アクセス / JR中央線「春日井」駅下車、​南口から東へ徒歩5分程

小さな社は軒下から降ろされた「屋根神様」

東区筒井1丁目
名古屋城の東に位置し、古くは武家屋敷、寺社も集まり、以降町人の町として賑わいを見せ、近くには尾張徳川家と所縁のある建中寺もあり、新旧の趣が混在する地域
建中寺公園の東にある小学校方向に歩いて1分程、細い三叉路に小さな社があります。

f:id:owari-nagoya55:20200620142403j:plainこの筒井町は南に筒井町商店街が東西に続きますが、嘗て賑わいを見せた通りも今は人より車の往来の方が目に付き寂れた印象が漂います。

小学校の西側に位置し、三叉路の角に社が鎮座します。
以前は古びた覆屋と社だったけれど、近年建て替えられた様子。

f:id:owari-nagoya55:20200620142425j:plain 写真の先は建中寺公園になり、背後は小学校の裏門で周囲は住宅街。
静かで落ち着いた環境、その角地に僅かな社地を確保してもらい社が佇んでいます。

f:id:owari-nagoya55:20200620142446j:plain 東を向いて祀られる社は5本の鰹木と内剥ぎの千木が施された神明造。
以前は檜皮葺きの流造だったようです。

f:id:owari-nagoya55:20200620142506j:plainこの社、以前は軒下に祀られていた屋根神さまだという。
屋根神様には秋葉神社、熱田社、津島神社の三社が祀られることが多いけれど、こちらは秋葉神社津島神社とこの地の氏神「高牟神社」が祀られている。

人通りも少なく、雨に打たれる姿はどことなく寂れた感じが漂いますが、毎年6月の最終土日に行われる「筒井町・出来町天王祭」ともなれば様相は一変します。
小学校の北側に筒井町の山車「神皇車」が保管され、すぐ東の黒門町には「湯取車」もあり、何れも市の有形民俗文化財に指定されるものです。
天王祭ではそれらが曳き回され、この時ばかりは多くの見物客で賑わいます。
今年はCOVID-19の影響で開催されるかは微妙なところ、確認が必要です。

f:id:owari-nagoya55:20200620142534j:plain 社側面の眺め、覆屋の下に祀られる社は結構窮屈に収められています。
社の棟柱と覆い屋の梁は絶妙に加工されています。
地域の方々にこうして新しくしてもらい、親しまれているのを見ると窮屈に見えようが大きなお世話。

建て替えに伴い軒下から姿を消していく一方の屋根神様ですが、こうして残されている姿を見て、形容に困るけれど、ある種の優しさ?繋がり?みたいなものが伝わってくる。
我が町からとうに消え去ったものがここにはある。
2020/06/19

東区筒井1の小さな社
創建 / 不明
祭神 / 秋葉神社 津島神社 高牟神社
住所 / 名古屋市東区筒井1-13
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄桜通線「車道」1番出口から北へ徒歩10分程
関連記事 / ​建中寺​ 高牟神社

『伊勝八幡宮・井福神社』名古屋市昭和区

昭和区伊勝町
その昔、津田房勝(尾張藩士・1629~1701)の著した正事記に、この地の事が記されています。
ここを訪れた空海がここで水を求めたそうな、それを村人が拒んだために村中の井戸が涸れてしまった伝説があるようです。
そのことから「井湯の里」と呼ばれ、「井渇の里」となり現在の「伊勝」となったともいわれる。

f:id:owari-nagoya55:20200618173359j:plain 周辺は史跡散策路となっており、伊勝八幡宮への曲がり角に写真の様に周辺の見所が案内されています。

f:id:owari-nagoya55:20200618173643j:plain 案内板から北側に曲がるとすぐ右側に「伊勝八幡宮」社号標と玉垣で囲われた境内が現れます。
南北に細長く南入りの境内の様です。
境内は御覧の様に玉砂利が敷き詰められ、静かな住宅地の中に踏みしめる玉砂利の音が聞こえてくる、そんな厳粛な空間が漂います。

f:id:owari-nagoya55:20200618173725j:plain 道路際に掲げられた由緒書き、伊副神社由緒とあります。あれ?伊勝八幡宮のはずだが・・・・・
よく見れば右側に伊副神社の社号標がありました。
伊副神社由緒書き
御祭神 龗神、罔象女神
延喜式神名帳に記載されているが鎮座年代は不詳、伊勝八幡宮所蔵の棟札に「伊福神社天明3年癸卯年春伊勝村神主」と記されている。
江戸時代の絵図等の記録を調べると伊勝八幡宮正面(現在の前山町3)に伊副池があり、小山に社祀られていた。
尾張地名考」に「伊勝は井河津の約なり」と記されている、副は「寄り添い助ける分ける」の意がある。
伊副大神は生きとし生けるもの全てに最も大切な清らかな水と多くの恵みをもたらす神として崇められる。伊勢神宮62回式年遷宮の年に世の恒久平和と国や此里の安全弥栄を祈り再建。
とある。
天明3年は1783年、伽藍が新しいので歴史は浅いのかと思いきや、その当時から既にこの地に鎮座していたということです。

f:id:owari-nagoya55:20200618173754j:plain 井福神社境内
木の神明鳥居と石畳の先に流造の本殿、綺麗な狛犬見える。

境内左に控柱のある手水舎。

f:id:owari-nagoya55:20200618173834j:plain62回式年遷宮の年に再建とあるだけに、本殿を含め全てが新しく、境内手入れの良さもあり、参拝に訪れても気持ちがいい。

伊副神社
創建 /  不明
祭神 /   龗神、罔象女神

f:id:owari-nagoya55:20200618173903j:plain 伊副神社の右が伊勝八幡宮
並行するように石畳の参道が続く、鳥居はニノ鳥居まであるように見えます。
その先に石段があり、拝殿が見えます。

f:id:owari-nagoya55:20200618173926j:plain 一ノ鳥居の額を写真に収め、PCで見て初めて気が付いた事ですが、八幡の「八」が鳩の様に見えます。
後で調べたところではこちらの神社は別名「鳩八幡」と呼ばれることもあるようで、そのためか八が鳩のデザインになっているのでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20200618174140j:plainニノ鳥居の手前に四脚の手水舎、手水鉢があります、遠目に龍の存在が分らず、そばに来て口を隠すように清水を注ぐ龍の存在に気づく。こうして見れば角はしっかりはみ出ています。

f:id:owari-nagoya55:20200618173952j:plainニノ鳥居の右に玉垣が切れた部分があるので、そちらに向かいます。
その中は「忠魂碑」が安置され、その後ろに「義勇奉行」と記された石碑、その左に「村社八幡社」の旧社号標が建っています。

1979年(昭和54)に伊勝八幡社へ改称した際にこちらに移設したのでしょう、その後現在の伊勝八幡宮に社名変更されたようです。

f:id:owari-nagoya55:20200618174222j:plainニノ鳥居から拝殿の眺め。
石段の右の巨木、樹齢1000年を超えるといわれるご神木のアベマキ、大きさのみならず、伊勝八幡宮の歴史を物語るものです。

f:id:owari-nagoya55:20200618174247j:plain

 石段を上がりきると台座に橘紋の刻まれた狛犬、なかなか体形の整った姿をしています。

f:id:owari-nagoya55:20200618174313j:plainご神木のアベマキの右に一対の狛犬と二つの建物。
左が寳物殿で右が覆殿、その間に小さな覆屋があり熱田社が単独で祀られています。
覆殿を守護する狛犬、ここでに狛犬を3対見てきた事になります。
こちらの面々、若干肉付きがいいものの、凛々しいスタイルをしています。

f:id:owari-nagoya55:20200618174342j:plain 覆殿の三社
左から富士浅間社、山神社、埴山姫社。この三社は流造。

下の写真は単独の覆屋に祀られた熱田社。こちらは神明造。
何れも建て替えられ、台座も社も綺麗な状態です。

f:id:owari-nagoya55:20200618174407j:plain 覆殿のある境内の西側から見た唐破風向拝の曲線が美しい拝殿から本殿の眺め。
今一つ本殿の全容は掴めません。

f:id:owari-nagoya55:20200618174434j:plain 拝殿前にも一対の狛犬が見えます。
彼らで4対目。

f:id:owari-nagoya55:20200618174503j:plain 拝殿を守護する狛犬、大きく目を見開きこちらを見据え、撫で牛もこちらを見ているようです。
これまで見てきた狛犬の中では一番愛嬌のある顔つき。
参拝させていただきます。
拝殿前に撮影禁止の張り紙がありこれ以上は控えさせていただきます。

伊勝八幡宮に伝わるものに1985年(昭和60)に愛知県の文化財に指定された陶製の狛犬があります。
「山犬型・古瀬戸鉄釉狛犬」と呼ばれ、その台座には「応永廿五戊戎歳(1418)十二月朔日熊野願主浄通」の墨書銘があるそうです。
そのことからもそれ以前には伊勝八幡宮は鎮座していたと思われます。

瀬戸窯で狛犬を製造し伊勝神社に奉納されたもので、全身は黒色で狼を思わせる威厳のある顔と鋭い目をもつといいます。
昭和初期頃までご神体前の帳の鎮子として置かれていたため保存状態も良好らしく、伝世されている狛犬の中でも第一級の基本資料とされ、伊勝型として分類されるようです。
実物は​名古屋市博物館のHPに掲載され、そちらで見ることができるようです。
熊野大社の狼に繋がる狛犬は、この神社にあって一番個性的で威厳のようなオーラを放っています。

この狛犬について尾張志(天保15年尾張藩の総力を結集し取り纏められた)にも記されていて、伊勝村に應神天皇を祀る神社があり、神社には陶器の狛犬あり、うらの銘に「應永廿五戊戌歳十二月朔日熊野願主浄蓮」と記されています。
その中で「1441年(嘉吉元年)當社を御器所村に移し祀った」とあり、この通りだとすると元々の神社は
御器所村に移され、その跡地に現在の伊勝八幡宮が建った事になります。
御器所と聞くと御器所八幡社が思い浮かぶけれど、移された神社がそれなのかは不明。

f:id:owari-nagoya55:20200618174531j:plain 拝殿左の伊勝天神。
絵馬かけには多くの願いが寄せられています。

f:id:owari-nagoya55:20200618174555j:plain 伊勝天神側から見た伊勝八幡宮本殿、やはり伽藍の全容を見ることはできません。

f:id:owari-nagoya55:20200618174621j:plain 伊勝天神の西にも鳥居と手水舎があります。
この鳥居から5分ほど西方面に行くと遺構は残っていませんが伊勝城があります。
1573~1592年(天正年間)に佐久間盛政の居城とされ、のちに廃城となり現在は住宅地なっています。
散策路になっているだけに周辺には寄り道したくなる所は多い。

f:id:owari-nagoya55:20200618174642j:plain 手水鉢は普通に見かけるものですが、後方の岩にご注目、岩のてっぺんに何かがいます。
それは亀、鉢に亀は分かるけれど、なぜここなのか知りたいところです。
岩に彫られた溝のようなもの、文字に見えなくもない。
亀が注いだ清水はこの溝を経て鉢に導かれる?もう少しよく見ておけば良かった。

f:id:owari-nagoya55:20200618174707j:plain 北参道と言っていいのかな?
雨に打たれた石畳と周囲の光景は厳粛な雰囲気を漂わせています。

f:id:owari-nagoya55:20200618174727j:plain 境内の社務所、中央の石畳の左が御神木のアベマキ、なんとも見事な枝ぶりです。
生憎の雨模様ですが緑は鮮やかさを増します、こうしたしっとりした雰囲気もいいものです。
手入れも行き届き、伊勝町の氏神さまとして親しまれているのが伝わってくる。
とても居心地の良い神社、そんな印象を受けました。
2020/06/12

伊勝八幡宮
創建 / 創建年代不詳
主祭神 / 品陀和気命(応神天皇)
相殿神 / 天王社(武速素盞之鳴命)、白山社(菊理姫命)
脇殿 / 熊野社(五十猛命)、天神社(菅原道真)
境内社 / 富士浅間社、山神社、埴山姫社、熱田社
住所 / 名古屋市昭和区伊勝町2-99
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄鶴舞線「川名」下車、北に20分程

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