「中橋の袂で佇む屋根神さま」名古屋市西区那古野

中橋の袂で佇む屋根神さま (西区那古野1)

白山神社(中区丸の内1)から堀川沿いに5分程遡ると堀川に架かる中橋に出る。
 そこから中橋を渡り四間道方向に向かいます。

堀川は名古屋城下と熱田の海を結ぶ運河として、家康が1610年(慶長15)福島正則に命じ開削されたもの。
 当時は堀川七橋と呼ばれた五条橋、中橋、伝馬橋、納屋橋、日置橋、古渡橋、尾頭橋が架けられ、中橋はそのなかの一つ。
写真は堀川上流の五条橋方向の眺め。
 随分と水質は良くなり一見綺麗に見える堀川なんだけど、よく見れば相変わらずでもある。

中橋。
 上流に架かる五条橋と下流の伝馬橋の間に架かる事から中橋と付けられ、現在の中橋は1917年(大正6)に架けられたもので、堀川に現存する橋の中では最古の部類に入る。
現在は下流に桜橋(1937年)が架けられているので桜橋と五条橋の間に架かる中橋とでもいうのか。
 中橋の袂に朽ちた小さな覆い屋が立てられている。

Gマップで調べて見るとこの小さな社は「龍神」とある。
 赤い覆屋の下に赤い台座の上に祀られたこの社、社名札はなく龍神を思わせるものは何も見られなかった。
むしろ、地に降ろされた屋根神さまの印象が強い、右手の解説にこの社について何も記されていない。

美濃路見取絵図(1806)の堀川と中橋。
 左が名古屋城で当時の絵図には中橋の辺りにそれらしき姿は見つけられず、地史など目を通すも社について記したものに出会えず龍神様の実感はない。

中橋上流の五条橋の袂にも見るからに屋根神さまが祀られています。
 この付近の四間道は軒下に社を祀る屋根神さまが見られる町。
この小さな社も、以前は近隣の屋根に祀られ、中橋の袂に移されたもののような気がしてならない。
 ここでは「中橋の袂で佇む屋根神さま」としておこう。

 不明社全景。

社の上を覆う朽ちた覆屋の下には茅葺の神明造の社が収められている。
 内削ぎの千木と鰹木も付くが台座を含め全体に傷みが進んでいる。
名古屋の観光名所四間道と妙に綺麗な看板のイメージに対し、横を流れる堀川と朽ちた不明社の姿は今一つ。

 円安を追い風に好業績を続け内部留保に精を出す企業の中から、一社でも地元に手を差し伸べれば一瞬で見違えるのだがねぇ。

中橋の袂に佇む屋根神さまを側面から眺める。
 思いがあって建てられた社、倒壊しそうな外観は背中を支える者が現れるのを待っているようでもある。

「中橋の袂で佇む屋根神さま」
社名・創建・祭神 / 不明
所在地 / 名古屋市西区那古野1-37
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白山神社から徒歩ルート / 堀川沿いに北上、中橋を渡り右側、​所要時間5分程