京都市左京区『金地院・東照宮』

前回掲載した綾戸大明神から京都滞在最後の拝観地となる金地(こんち)院と東照宮へ。

綾戸小路沿いの金地院総門。
綾戸大明神から参拝客や車で混みあう綾戸小路を横切り、南へ徒歩2~3分もあれば訪れる事が出来る。

金地院伽藍配置。
金地院は巨刹南禅寺塔頭寺院のひとつで、応永年間(1394~1428)南禅寺68世住職の大業徳基は、室町幕府4代将軍・足利義持の帰依を得て、北山の鷹ヶ峰に創建したのが始まりとされる。

伽藍は庫裏、方丈、開山堂、東照宮が主な伽藍、方丈前の枯山水の庭園は鶴亀の庭と呼ばれ特別名勝庭園に指定されている。
庭園の弁天池中央の小島には鎮守堂が祀られている。

上は都名所図会(1780)に描かれた南禅寺の挿絵、当然ながら綾戸神社と金地院の姿が描かれている。
当初の金地院は後に荒廃が進み、慶長10年(1605)に南禅寺270世住職の以心崇伝(いしんすうでん)が自坊として、南禅寺境内のこの地に移し復興・再建しました。
以心崇伝(1569~1633)は、家康が築いた江戸幕府の政治の礎に関与した黒衣の宰相の一人で南禅寺の伽藍復興に尽力した名僧ともされる。

境内には金地院東照宮が鎮座しており、家康が残した「南禅寺金地院へ小堂を建立し、所司代はじめ武家の輩進拝せしむべし」の遺言に従い建立された。

金地院解説(一部抜粋)。
臨済宗南禅寺派に属す寺院。
応永年間(1400年頃)、大業徳基が北区鷹峯に開いたのが当寺の起こり。
江戸時代初め、以心崇伝がこの地に移し再興。
崇伝は徳川家康の政治・外交の顧問として活躍、寛永4年(1627)に当寺の大改築に着手、現在の寺観を整えた。
崇伝はまた僧録司となり宗教界全体の取り締まりに当たり、以後幕末まで当寺は僧録司の地位にあった。
方丈は伏見城の遺構とされ、入母屋杮葺きの書院造りの代表建築で内部は茶室八窓席は小堀遠州の設計。
鶴亀の庭と称される方丈庭園も小堀遠州の指揮で寛永9年(1632)に作庭されたもの。
境内の東照宮寛永5年(1628)の建築。」

総門をくぐった左に瓦葺四脚の大門。

大門の正面が庫裡。
優雅な勾配の切妻瓦葺で白壁に渋墨?の濃い茶のコントラストが落ち着いた佇まいを魅せている。
看板に従い左の拝観ルートへ。

綺麗に剪定された庭園の石畳を先に進むと唐門が見えてきます。

明智門。
名が示す様に、明智光秀が母の菩提のため、天正10年(1582)に大徳寺に寄進した門で、明治元年(1868)に金地院に移築されたもの。
明智門の先に弁天池が見えてきます。

明智門解説から抜粋。
明智光秀は母(お牧)の菩提を弔うため黄金千枚を寄進し柴野大徳寺に建立した桃山建築の唐門」
門から先は右回りに拝観して行きます。

方丈と弁天池。
手前の弁天池には睡蓮も浮かび、鳥居の先の石橋は小島に繋がり、そこに鎮守堂が祀られている。
後方の方丈は杮葺きの入母屋造でその前に鶴亀の庭が広がっています。

弁天池を左に進むと東照宮の参道に続く。
参道脇には瓦葺の手水舎と絶え間なく清水が注がれる手水鉢がある。

参道左には東照宮の楼門。

参道を右に進み石の明神鳥居をくぐった先が社殿になります。

南禅寺東照宮全景。
東照宮と云うと日光東照宮を筆頭に久能山東照宮上野東照宮の絢爛豪華な社殿を想像しますが、南禅寺東照宮は意外に落ち着いた外観のもの。

拝殿前から養生シートに覆われた中門の全景。
ここまでの庭園には苔が多く見られ、春から初夏にかけて苔の緑が綺麗だろう。

東照宮全景。
京都唯一の権現造りとも云われ、寛永5年(1628)に造営されたもので、家康の遺髪と念持仏が納められています。
葵の紋が入った黒瓦?を玉縁式で葺き上げた入母屋造りで、黒漆で塗られた全身黒ずくめの拝殿は、東方の久能山や日光を意識して建てられているようでもある。
黒ずくめの建物の所々に金色に輝く飾り金具が施され、上品な豪華さが漂うもの。
拝殿右の唐門は御成門と呼ばれるようで、門をくぐると開山堂へ繋がっています。

拝殿内の眺め。
扉の手前からの参拝になります。

拝殿右の東照宮解説。
「金地院崇伝が徳川家康の遺命により寛永5年に創建。
家康の遺髪と念持仏を奉戴する。
様式は本殿、石之間、拝殿からなる権現造。
拝殿天井の鳴龍は狩野探幽の筆。
欄間に掲げられた三十六歌仙の額は土佐光起の筆で、歌は青蓮院宮尊純法親王の筆跡。
下段に掲げてある額は画家黒田正夕氏が謹写したもの。」
解説の後方に小さな木片がある。

木片は天井の鳴龍の縮小図が描かれている。

しゃがみこんで天井を一枚。
ピントも甘く露出もあっていないが編集して見ると、眼光鋭い三本指の龍の顔とオリジナルの三十六歌仙の額が浮かび上がってきた。

唐破風を見上げる。
金色の破風飾りはじめいたる所に葵の紋。

拝殿斜景。
壁に間毎に彩色された丸い透彫りが飾られている、石之間、本殿は朱塗りで黒と朱の対比が面白い。

拝殿壁面の透彫りの一部。
草花や鳥が描かれていますが脱色、剥離は進んでいます。

拝殿左から本殿方向。

石乃間、本殿。
ここはいかにも東照宮らしい彩り溢れた細かな装飾が施されている。

開山堂。
二つの花頭窓を持つ開山堂、その内部は左右に十六羅漢像が祀られており、正面上部に後水尾天皇の勅額とその下に金地院崇伝の木像が安置されています。

方丈前庭の鶴亀蓬莱の庭。
左の建屋が東照宮、中央が開山堂、右手が方丈。
庭いっぱいに水面を見立てた白砂が敷き詰められ、左の築山と大きな岩で鶴と亀が向かい合う姿を表現していると云う。

鶴亀蓬莱の庭解説。

方丈。
鎌倉時代の仏師・快慶の手によるとされる本尊の地蔵菩薩が安置されており、狩野探幽、直信兄弟の筆とされる襖絵や長谷川等伯猿猴捉月図、山岡鉄舟が書いた「布金道場」の扁額など見所は多い。
帰りの新幹線の時間もあり、通常拝観料500円で済ませましたが、八窓席及び方丈の拝観は事前予約と別途700円が必要になります。

大門を出て右側に進むと東照宮楼門。

葵の紋が入る軒丸瓦と降り棟の怒りに満ちた形相の鬼。

楼門から境内参道の眺め。
楼門は境内、門前いずれからも近くで眺める事は出来ません。

左右の間の随神。
詳細は不明で随分と傷みが進んでいる様に見えます。

これで京都紅葉を巡る旅も終わり。
あと一つくらい参拝できそうでしたが、湯豆腐屋の人生最長の待ち時間含め京都はやっぱり混む。
夕暮れ迫る南禅寺を後に京都駅に向かう。

金地院
創建 / 応永年間(1394~1428)
開山 / 大業徳基
開基 / 足利義持
再興 / 以心崇伝(慶長10年当地に移築)


本尊 / 地蔵菩薩
東照宮

創建 / 寛永5年(1628)
祭神 / 東照大権現
境内社 / 弁天社


所在地 / 京都市左京区南禅寺福地町86-12
参拝日 / 2022/11/25
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綾戸大明神から徒歩 / ​南へ2分程
公共交通機関アクセス / 地下鉄東西線蹴上駅から​徒歩5分程