『徳川東照宮』群馬県太田市徳川町 

世良田東照宮からの引き続きとなる今回は、世良田東照宮から南東1.7㌔ほど先に鎮座する徳川東照宮となります。
世良田東照宮から、一面に広がる畑の中を歩いて向かいましたが、あまりの陽ざしの強さと暑さから駐車場に戻り車で移動する事にしました。

新田荘歴史資料館駐車場から徳川町東照宮までは車で5分程の移動時間、エアコンが効きだす前に現地に到着。
駐車場は永徳寺前の「縁切寺万徳寺遺跡駐車場」に駐車、そこから万徳寺の北隣りに鎮座する徳川東照宮社頭までは徒歩2分程。
鎮座地は利根川支流の早川左岸の万徳寺遺跡公園の北側に鎮座し、社頭右の小さな公園と隣接しています。

縁切寺万徳寺遺跡公園マップ。
徳川東照宮はマップ右上の方位マークあたりになります。

万徳寺本堂。
太田市の解説では以下のように書かれていた。
「徳川満徳寺は、江戸時代に鎌倉東慶寺と並んで女性を救済するという縁切りの特権を認められた尼寺です。
満徳寺由緒書等によれば、鎌倉時代、徳川氏の祖新田(世良田・徳川)義季を開基とし、義季の娘浄念比丘尼(じょうねんびくに)を開山として創建されたと伝えられる。
代々の住職は新田氏一族の子女が住持となりました。
新田氏の衰退と共に荒廃していったが、天正19年(1591)徳川家康より徳川郷内に朱印地100石を拝領、衰退していた寺を復興させました。
大阪夏の陣(1615)の後、2代将軍徳川秀忠の娘千姫が豊臣家と縁を切るために入寺(実際は待女が入寺)し、離婚後再婚した例にならい、縁切寺法の特権が幕府に容認されたと伝えられます。
明治5年(1872)廃寺となり、現在は縁切寺満徳寺遺跡公園として、本堂・門・庭園等を復元し、資料館を開設して一般公開をしている。」

現在は復元された一部の建物と往古の建造物の礎石が残り、史跡公園として整備され、園内には満徳寺資料館がある。

徳川東照宮全景。
社頭から見る社殿は神社と云うより寺の雰囲気が漂う。

徳川東照宮の鎮座地は、往古は新田義重の四男新田義季の館跡とされ、社地の東側に義季の父にあたる新田義重夫妻の墓がある。

社頭から境内の眺め。
左に徳川義季公館址の石標、右の社標には「??東照宮」と刻まれているように見えますが、自然劣化によるものなのか、意図的なものなのか、はたまた錯覚か文字?として識別できなかった。
参道から少し奥まった場所に石の明神鳥居(寄進年未確認)が建てられ、参道はその先の社殿に繋がっています。
 
社頭右の公園脇に家康が描かれた尾島かるたが掲げられていました。
「徳川氏発祥の地尾島町
江戸幕府将軍徳川氏の先祖は尾島町にはじまるといわれています。
新田義重の子の義季は世良田周辺地域を領地とし、世良田氏・徳川氏の祖となりました。
義季から八代目の親氏が各地を流浪したすえ、三河国松平郷(現愛知県豊田市松平町)の豪族の女婿になり、その九代目の家康が名字を松平から徳川にかえたということです。」とあります。

かつてのこの辺りは上野国新田郡得川郷と呼ばれ徳川家発祥の地とされ、徳川義孝の館があった場所。
この屋敷址は後に正田家が所有し、そこに建てられたのが徳川東照宮とされ、代々正田家により護られて来たようですが、後に明治政府の神社合祀令により東照宮の社地は正田家から徳川郷に移り、明治40年(1907)に郷内4社の末社が合祀されたようです。

鳥居扁額は「東照宮」、いつ頃のものだろうか随分と歴史を感じさせる。

常夜灯から拝殿の眺め。

燈籠の寄進年は文化8年(1811)とある。

拝殿左の手水舎。

大棟や鬼瓦には三つ葉葵の紋、軒丸瓦には三つ巴の紋が入ります。

現在の入母屋瓦葺の拝殿は、車を停めた向かいに鎮座する永徳寺の権現堂を大正3年(1924)に移築し拝殿としたものとされます。

徳川東照宮の創建については世良田東照宮のHPの中で「寛永21年(1644)世良田東照宮勧請にともない、十八代正田義長は邸内に私的な東照宮を建立。祭祀は正田家が執り行い、世良田東照宮と同様に4月17日と正月に限り庶民の参拝を許可しました。」とありました。
この事から徳川東照宮の創建は寛永21年(1644)と見てもいいかもしれません。

向拝を支える手挟みの彫飾り。

木鼻は牡丹、向拝の彫飾りは龍と蓑亀?、鷹が描かれている。

徳川郷の鎮守として崇められる徳川東照宮
葱畑を隔ててお互いに見える距離にありながら、世良田東照宮と徳川東照宮は随分と境遇は違うようです。

御朱印は世良田東照宮で頂けるようです。
 

徳川東照宮
創建 / 寛永21年(1644)
祭神 / 東照大権現
合祀 / 徳川郷内4社
所在地 / 群馬県太田市徳川町387-1
世良田東照宮からアクセス / ​徒歩20分​、​​車で5分
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