「題目塔」名古屋市中村区塩池町 

土江神社が鎮座する塩池公園から南東の2分程行った塩池町2丁目の三叉路の角に髭題目塔を見かける。

上は大正時代とほぼ現在の日比津界隈地図、2022年周辺の社寺を訪れた際に訪問地を記したもの。
以前、日比津界隈で「南無妙法蓮華経」と刻んだ石塔を幾つか見かけたが、日比津から東に離れたここ塩池町にも建てられていたので取り上げる事にします。

髭題目塔としましたが、形や大きさも様々で、墓石じゃない?と思わせるものもあれば、自然石のものもあり、呼称も色々あるようで題目塔、題目碑、題目石など色々あるようです。

それらに共通するのは正面に「南無妙法蓮華経」と刻まれており、その文字が特徴のある書体で、「法」の字以外の文字の筆端は髭のように延びる独特の文字で、その形態から髭題目とも呼ばれるそうだ。

古い街並みや街道を歩いているとこうした石塔を目にしたことがあると思いますが、題目塔を街角に建立した目的は未だ自分自身良く分かっていない。
認識が違うかもしれないが「法華経の経典を読誦した信者が記念に建てた」或いは「法華経を読誦するために題目塔を建てた」と認識している。
それまでこうした題目塔に興味は示さなかったが、随分古い元号の髭題目もあり、写真に収めそのうち一つに纏めようと思います。

特徴のある書体は光明点書法と呼ばれるようで、筆端が髭のように延びるのは、仏の慈悲が人々に分け隔てなく、平等に届く様を表しているという。
右は東向きの正面と北側の側面。
光明点書法で刻まれた「南無妙法蓮華経」と「南無日蓮大菩薩
左は正面と南側の側面「自佗倶安同歸常寂」
裏側には天保2年(1831)造立元号と「日比津卯池口妙緩同修者和南」と刻まれていた。

現在は塩池町ですが、明治31年頃のこの辺りは東栄村北東の外れで題目塔にある「日比津」はしっくりこないが、「卯池口」とある事から日比津を中心とした東(卯)と見ればそうでもないか。
事実、天保15年(1844)に編纂された尾張志から日比津村を見ると「枝村三処ありて新屋敷山村池口といふ」とありと記され「池口」が現れる。
日比津村で法華経を信仰し、講に類する組織が各方面にあり、こうした題目塔が建てられているようなので、散見されても違和感はないのかも。
日比津町に鎮座する日蓮宗定徳寺の南にも題目塔(文化9年)があったが、どこを方位の中心と捉えて広がっているのだろう。

前回、日比津町を歩いた際に「全部で何基あるのか分からないが、この町を全て踏破すれば全体数が見えてくるだろう」と書いたが、土江神社のすぐ東の塩池町で再び思い出す事になるとは。

髭題目塔
建立 / 天保2年(1831)

所在地 / 名古屋市中村区塩池町2
土江神社から塩池町の髭題目塔 / ​南東へ徒歩2分程
訪問日 / 2023/12/08
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