比賣神社・新薬師寺 (奈良県奈良市高畑町)

奈良市高畑町鎮座「新薬師寺
十輪院から徒歩20分ほど東の御蓋山南西の麓に鎮座する新薬師寺へ。

写真は新薬師寺東門(重要文化財)。
鎌倉時代初期に建てられたという四脚門。
当初は2本の本柱の棟門だったとされ、後に四脚門へ改築されたと云う。
左右の本柱に冠木を載せ、その上に板蟇股を挟み切妻屋根の棟木を支える構造で、左右は築地塀と繋がっています。

この道を北に向かうと不空院を経て春日大社も近いがこの道筋は観光客もなく静かな町並みが続きます。

薬師寺南門の右に朱の鳥居を構えた比賣神社。

比賣神社全景。
薬師寺南門を挟んだ左の鏡神社の境外摂社で、小高く盛られた社地の上に築かれた小さな神社。

社頭右の由緒。
祭神は十市皇女、市寸嶋姫命をお祀りする。
祭神の十市皇女は母の額田王、父は大海人皇子(後の天武天皇)の子として生まれ、額田はその後に大海人の天智天皇に召され、十市は天智の子大友皇子(後の弘文天皇)に嫁ぎ、その後起こる父大海人と夫の大友皇子の内乱(壬申の乱)で、夫は敗れ自害するも十市は生き残り、父の元に引き取られ6年後(678)にこの世を去った。
神社の建つ場所は比賣塚と呼ばれ、十市皇女が埋葬されたと伝わる場所で、時代に翻弄された十市皇女の御霊を鎮めるため有志の尽力で昭和56年(1983)に建てられた神社。

本殿は唐破風の付く春日造りで内削ぎの置千木が施されたもの。
参拝はここからとなります。

比賣神社本殿左になかむつまじく肩を寄せう十市皇女大友皇子の石像があります。

神像石(かむかたいし)
大友皇子十市皇女から淡海三船(721~785)までの4代と其々の妃の御姿石が祀られています。

比賣神社
創建 / 昭和56年(1983)
祭神 / 十市皇女、市寸嶋姫命

比賣神社の西側正面の本社にあたり、神仏分離以前は新薬師寺の鎮守社だった南都 鏡神社。
まずは新薬師寺を拝観した後に参拝する事にします。

薬師寺南門(重要文化財)。
薬師寺の表門にあたり、鎌倉時代後期に建立された切妻瓦葺の四脚門。

南門正面から境内の眺め。
一見すると閉じられているようですが、拝観受付は本堂なので扉を開けて境内に進みます。
周辺には鹿が出没する様で扉は必ず閉めて下さいとのこと。

境内右の眺め。
鐘楼とその左に朱の鳥居と小池があり、その先に社の姿ある。

入母屋瓦葺の袴腰の鐘楼(鎌倉時代建立)で、中の梵鐘(重要文化財)は天平時代のもので、日本霊異記の道上法師鬼退治で知られる釣梵。

龍王社。
小さな小池を挟んだ先の東門脇に鎮座する神社で、雨を司る善女龍王をお祀りする。
今も昔も豊かな実りに雨は必要不可欠、利水も整っていなかった時代、干ばつには無力で神に祈願することとなる。
京の都の東寺と西寺を開いた真言宗の僧、空海と守敏は朝廷から干ばつから救うために雨乞いの祈願を命じられたという、守敏が祈願しても降らなかった雨は、空海が祈願すると善女龍王が現れ雨をもたらしたという。
守敏は空海の祈願を封じるために龍神を封じたとされる、唯一それを免れた善女龍王は、空海の祈雨に応え雨を持たらしたと云う。

鳥居の先には細い石橋が架かっていますが、通行禁止のため渡れません、参拝は橋の手前からとなります。

境内左の眺め。
中央の入母屋瓦葺の四方一間の堂は鎌倉時代建造の地蔵堂(重要文化財)。
その左にも小さな境内社が見られます。

堂内には十一面観音菩薩立像(鎌倉時代)、薬師如来立像(平安時代)と地蔵菩薩立像(南北朝時代)が安置されているそうです。
格子戸先の堂内は薄暗く、正面に薬師如来らしき姿は見えるものの明暗調整も精一杯、左右の像容は分からなかった。

南門へ続く築地塀の脇に鎮座する境内社の稲荷社。
塀沿いの石仏群はかなり古く、永禄と刻まれた阿弥陀名号石もある。

築地塀越しにかつての鎮守社南都 鏡神社の本殿が迫る。
境内は神仏習合時の名残を残している。

南門の正面に建つ本堂。
桁行7間、梁間5間の入母屋瓦葺で、白壁と木のコントラストが綺麗な安定感のある建物。
この建物は元から本堂ではなく、修法を行うための堂として使われていたという。
薬師寺の伽藍で奈良時代に創建され今に残る唯一の建造物。

中央の石灯籠は室町時代のもの。


薬師寺は、聖武天皇の病気平癒を祈願し天平19年(747)に創建されました。
奈良の大仏の造立の途中で体調を崩し、天皇の病気を治す法要が各地で行われ、これをきっかけに光明皇后によってこの地に新薬師寺が造営され、751年には新薬師寺天皇のために続命法要が行われ、奈良の大仏が無事完成しました。
当初の新薬師寺は、約440㍍四方の寺地に金堂や東西両塔など七堂伽藍が建ち並ぶ大寺院でした。
宝亀11年(780)に落雷、天徳4年(960)の台風で、多くの堂宇が焼失・倒壊してしまったが、13世紀頃までに現在の伽藍が復興されます。
この本堂だけは、自然災害の被害を免れ、天平時代の創建当初の姿を留め国宝に指定されています。

西の京にある絢爛豪華な薬師寺と比較すると、同じ薬師と名は付くもののシンプルな伽藍の新薬師寺(華厳宗)は対照的な印象がある。
薬師寺(法相宗)は天武天皇が皇后の病気平癒のために発願したのが始まりで、飛鳥時代(592~710)に造営が始まったもので、本尊は薬師如来ですが宗派は其々違います。
また平城薬師寺天武天皇が皇后の病気平癒を祈って文武天皇2年(698)に建立されたものと云われますが現在遺構のみ。

薬師寺を訪れる最大の目的は、この本堂内に安置されている薬師如来坐像十二神将立像に尽きる。
奈良時代に造られたこれらの仏像は全て国宝で、それらを目の当たりに眺めることができる。
今回奈良を訪れるにあたって、唯一リクエストとしたもの。

まずはこちらで賽銭投入参拝。

本堂(国宝)左から全景。
妻側の間が本堂への入口でこちらで拝観料を支払います。
南門入口からここまでは無人なので、鹿が入らないように「扉を閉めてね」というのも頷ける。

ここから左の門をくぐって香薬師堂、庫裏に向かいます。

門から香薬師堂を眺める。

門をくぐると目の前に池があり、紅葉の美しい庭園が広がります。
石橋を渡った正面が香薬師堂。

香薬師堂から新薬師寺境内方向の眺め。

香薬師堂。
堂には「香薬師如来」と書かれた額が掛けられている。
この堂には7世紀から8世紀に造られたとされる香薬師像のレプリカが安置されています。
この像は過去に3度の盗難に遭い、昭和13年の盗難以降実物は今も戻ってはいない。
安置するレプリカはその前の盗難時に型が取られそれをもとに作られたものという。

この他にも堂内には2躰の地蔵菩薩像が安置されているとされます。
通常は公開されていませんが、興福寺別院の勝願院に安置され、こちらに移された景清地蔵(鎌倉時代)と呼ばれる木造の地蔵尊1躰と、その像の体内から見つかったおたま地蔵と呼ばれる木造の地蔵菩薩立像裸型像(鎌倉時代)の2躰も安置されています。
おたま地蔵は安産や健康にご利益があるとされ親しまれていると云う。

香薬師堂右手の庫裏。

庫裏の正面の門を出ると新薬師寺本堂入口へ。

本堂裏側の石仏は風化により像容は良く分からないが十一面観音だろうか。

右手の手水鉢(寄進年不明)。

さあ、国宝の薬師如来坐像十二神将立像を見に行こう。
天井が張られていない堂内は、梁や柱が露出し以外に広々とした空間で、間接照明に照らされた像が浮き立って見える。

堂内は撮影禁止
堂内中央に円形の土壇が築かれ、壇上に薬師如来坐像を中心にして十二神将が取り囲んでいます。
(写真左は栞から引用した薬師如来坐像十二神将)
薬師如来坐像は、左手にすべての病を治す霊薬の入った薬壺を持ち、病を治す仏として信仰され、新薬師寺の本尊。
奈良時代から平安時代にかけて制作されたもので、像高は191㌢で頭から胴体は樹齢1000年以上とも云われる一本のカヤの木から彫り出されたものという。
光背は、大きな葉を翻らせ花を咲かせながら上に伸びる意匠で作成され、光背の六躯の小仏は本尊と併せて聖武天皇の病気平癒を祈願し当時祀られていた七躯の仏「七仏薬師」を表していると云う。

薬師如来は、修行時代に人々を救いたいという思いから十二の誓いを立て、十二の誓願それぞれを神格化したのが「十二神将」とされます。
一躯で7千の眷属を持つとされ、十二神合計7万4千の眷属を持つ大将で、薬師如来の眷属として十二の方角を守っています。
これらの十二神将奈良時代に制作された塑像で、最古にして最大の十二神将像で、塑像彫刻の傑作とされ国宝に指定されています。
また、十二の方位を守護する事から干支の守護神でもあり、各像の前には干支の表示と香台が置かれ、自分の干支を守護する像の前で拝めるようになっています。
撮影は厳禁ですが、単眼鏡などの持ち込みは許されているので、向背の装飾などはそれらがあるといい。
全てを拝観すると結構な時間を要しますが、これを見に訪れただけにじっくり拝観させて頂きました。

現在の本堂は桁行7間、梁間5間の修法を行うための堂でしたが、元々の仏殿だった金堂は桁行9間の大きなもので、堂内に善名称吉祥王如来、宝月智厳光音自在王如来、金色宝光妙行成就如来、無憂最勝吉祥如来、法海雷音如来、法海勝慧遊戯神通如来薬師瑠璃光如来の七仏薬師像、七躰の如来像其々に脇侍の菩薩像が二躰ずつ、更に十二神将像が祀られていたそうです。
それらの仏像は平安時代の暴風で倒壊し現存しませんが、新薬師寺から少し西の奈良写真博物館付近に金堂の遺構が発見されています。

その解説によると当時の金堂は大仏殿をも凌ぐ大きさだったと云われ、東西に塔が聳え、壇院、薬師悔過所、政所院、温室、造仏所、寺園など有する大伽藍を誇っていたのが窺われます。
現在の本堂は当時の金堂の右にあたり、境内の東限にあたると云う。

往時の面影はないかもしれませんが、閑静な佇まいの今の新薬師寺に自分は魅かれる。
また、訪れて見たいと思う。

目の前に見える南都 鏡神社を合わせて掲載するつもりでいましたが、いささか長くなりすぎたので次回掲載する事にします。

日輪山 新薬師寺
開基 / 光明皇后

宗派 / 華厳宗
創建 / 天平19年(743)
本尊 / 薬師如来

所在地 / ​奈良県奈良市高畑町1352​
参拝日 / 2023/11/30
雨寳山十輪院より新薬師寺 / ​東へ徒歩20分程
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