上のマップでは入口が分かり難いかもしれませんが、宝物館の右手から多宝塔に続く石段が描かれています、黄色実線を通って向かいました。
大聖院本坊は厳島神社から白糸川上流に向け5分程の距離にありますが、弥山本堂、大日堂、霊火堂、三鬼堂など、関連する堂宇は宮島最高峰弥山(標高535㍍)の頂にまで及ぶ大きな伽藍を持っています。
それらの堂宇を巡るには、白糸川の対岸から続く登山道を1時間30分程かけて登るか、ロープウェイで頂を目指す事になります。
上は現在の大聖院本坊の境内マップ。
大聖院は正式名称を多喜山(滝山)大聖院水精寺と号し、寺伝によれば空海が唐より帰朝後、宮島に渡り弥山で修行し大同元年(806)に開かれた寺で、一時期は多くの塔頭寺院を有し、明治政府による神仏分離令以前まで厳島神社の別当寺を務め、弥山を中心とした神仏習合の聖地宮島の中心的存在が大聖院と言って過言ではない。
長い歴史を誇る大聖院は幾度も自然災害や火災に見舞われ、明治以降だけでも以下のように被災しています。
明治20年(1887)火災で大部分の堂宇を焼失。
明治21年(1888)火災で弥山の諸堂を焼失。
平成3年(1991)台風19号で弥山、本坊共に被災。
平成17年(2005)火災で霊火堂を焼失。
消えずの火は火災直後に蝋燭にともされ持ち出して難を逃れ、再建された霊火堂で今も護り継がれているという。
現在見られる大聖院の伽藍の大部分は明治20年(1887)以降から昭和34年(1959)にかけて再建されたもの。
下は江戸時代後期に安芸藩によって作られた芸州厳島図会に描かれている大聖院挿絵。
右が仁王門、中央を御成門と見て行くと、現在の伽藍と違い随分とすっきりとしたものに見える。
あせび歩道から訪れると挿絵にある御成門の石畳辺りに出ます。
仁王門全景。
昭和14年(1939)の再建で、左右の間に安置された仁王像と組物や彫物など見ごたえのある門。
仁王像。
仁王門入口付近の由緒と手水鉢。
仁王門の梁には躍動感のある龍の彫飾りが施され、蟇股の彫物や斗組もなかなか見応えがあります。
門をくぐるとそこから御成門まで石段が一直線に伸びている。
この石段、訛った体の自分にはとても応える、足早に戻りたい気持ちとは裏腹に体がついてこない。
御成門まで続く石段を分ける様に設置されているのは手摺ではなく摩尼車、その数は優に500巻はあっただろうか。
仁王門をくぐった左に建つ下大師堂、芸州厳島図会が描かれた後に建てられたものだろう。
この石段途中には左側に鐘楼堂もある。
鐘楼堂。
鐘楼堂右奥に小さな石の壺が置かれており、石段途中のこの場所から願をかけた願い玉を投げ、見事に壺に入れば願いは叶うらしい、かなりの難度で壺周辺には空しく的を逸れた願い玉が散乱しています。
自分もかみさんもこうした類で的に入った例がなく、その確率たるやオラがドラゴンズの勝率を下回り、
いつしか「願いは自分で叶えるもの」として近寄らなくなった。
5百羅漢園。
これも当時にはないもので、石段左から霊宝館まで苔むした石段が続き、その両脇に大小様々な石像が安置されています。
石段を上り詰め境内から御成門を振り返る。
大正3年(1914)に再建された入母屋銅葺屋根の門で前後に唐破風が配されている。
ここから眺める瀬戸内は見晴らしが良くて気持ちがいい、海辺からここまで結構な高さを登った事になる。
観音堂。
観音堂正面。
ここにも力強い龍の姿があります。
併せて安芸四国霊場の2番札所、中国観音14番札所、山陽花の寺二十四ヶ寺の1番札所にもなっているようです。
見事な曲線を描く虹梁、木鼻や肘木にも手の込んだ意匠が施され、垂木の連なりに幾何学的な美しさを感じる。
上
芸州厳島図会の和歌御会之図を再現した奉納額。
下
当日は堂内で宮島福よせ雛と銘打って現役を卒業したひな人形が展示され堂内に彩りを添えていた。
上
観音堂左に挿絵に描かれている小さな小池があり、そこには祈り鶴が建てられ、その後方には当時なかった二つの堂が建っています。
右手が星供曼荼羅堂。
左の社は参拝するも社名もアップも撮り忘れ今は分からない。
小池を背にして祭られ佇む社は、雰囲気的には○○なんだろうがここは不明社としておこう。
下
施無畏堂。
にこやかに微笑む金色の極楽観音が印象に残る。
勅願堂(本堂)。
大聖院の本堂で鳥羽天皇(1103~1156)勅願道場。
右手の堂が釈迦涅槃堂で後方に見えているのが大師堂。
八角万福堂。
広い境内ですが、勅使堂周辺は堂や石像が特に集中し、太子堂に向かう人の流れが滞る場所かもしれない。
極楽観音を過ぎると右に烏天狗の石像が安置されており、そこから上に向かう石段があります。
摩尼車を回しながら摩尼殿に向かう。
摩尼殿全景。
ここでお参りすればいい。
宝形屋根の二層の堂で、前方に唐屋根の長い向拝が付く。
唐破風向拝から堂内方向。
建立時期は分かりませんが、大きく突き出た軒を支える斗供の巧みさ、向拝の木鼻、破風に施された彫物も見事なもの。内側にも獏の掛鼻が施されています。
摩尼殿の額。
張り出した軒を支える組物や蟇股の装飾が良く見え、堂内は外陣と弥山三鬼大権現を祀る内陣に分かれています。
摩尼殿は挿絵には描かれておらず、江戸時代以降の建立と見られます。
薬師堂。
愛染堂。
愛欲にまつわる煩悩から人々を救い、悟りの方向に導く愛染明王を祀り、欲情の浄化、災害除去、縁結びの御利益がある。ここは特に念入りにお願いしておく。
相輪が施された阿弥陀堂。
内部に阿弥陀三尊を祀られています。
大師堂。
この大師堂の堂のまわりには西国三十三観音や一願大師、稚児大師などが安置され、大師堂の下に遍照窟と呼ばれる人口の窟があり、内部には四国八十八ケ所霊場の本尊が安置されており、各霊場の本尊前はお砂場となっており、ひと回りする事で四国を遍路したのと同じ功徳が得られるとされています。
上
大師堂後方の五鈷杵。
下
手前が一願大師。
秘鍵大師とも呼ばれ、願い事をひとつだけ念じることによって、叶えられる。
後方の絵馬が吊るされた祠が稚児大師。
上
大師堂の右の庭園に祀られていた祠。
中に石仏らしき像が二つ安置されていたが内容は不明。
下
馬酔木
観音堂の所で「山陽花の寺二十四ヶ寺」と記載しましたが、山口・岡山・広島の3県に其々1~8寺の札所を設け、計24ヶ寺の札所を花の開花時期に合わせめぐる花巡礼で2010年に開創されたもの。
広島県の1番札所が大聖院で、この寺の花は馬酔木とモミジ、訪れた時には庭園各所で馬酔木の花が見頃を迎えていました。
「大聖院(だいしょういん)」
山号 / 多喜山
院号 / 大聖院
寺号 / 水静寺
開基 / 空海(寺伝)
創建 / 大同元年(806寺伝)
所在地 /
参拝日 / 2023/03/03
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