剣神社。
魚沼群津南にキャンプで訪れた際、津南の豪雪地帯に鎮座する神社に立ち寄れず、帰路に立ち寄った神社。
東頸城丘陵の西端、頸城平野の東端に位置し、ほくほく線「うらがわ駅」から徒歩10分程の新潟県上越市浦川原区横川に鎮座します。
生活道路から社殿の眺め。
傾斜の強い切妻屋根の拝殿と鞘殿が連なっています。
地元名古屋であまり馴染みのない形の常夜灯、寄進年は分からなかった。
剣神社鳥居から境内の眺め。
鳥居前の常夜灯は大正10年に寄進されたもので、石造の靖国鳥居は平成12年に寄進されたもの。
鳥居の額は剣神社とある。
参道左の手水鉢。
剣神社社頭全景。
当地の「浦川原村史」という地史の「神社」・「神社現況」から横川剣神社の創建・由緒は定かにはならなかった。
その中の「神仏分離」の項に以下の記述と共に昭和9年ごろ剣神社で行われた大祓式の白黒写真が添えられていた、記述は以下。
「明治4年からは、全国の神社が、官幣社、国幣社、府県社、新社、村社、無格社のいずれかに格付けされ、伊勢神宮を頂点と するピラミッド型の組織に編成され、一村一社を目指し小祠の統合も進められた。
その中の「神仏分離」の項に以下の記述と共に昭和9年ごろ剣神社で行われた大祓式の白黒写真が添えられていた、記述は以下。
「明治4年からは、全国の神社が、官幣社、国幣社、府県社、新社、村社、無格社のいずれかに格付けされ、伊勢神宮を頂点と するピラミッド型の組織に編成され、一村一社を目指し小祠の統合も進められた。
社殿左側の石祠がそれにあたるのかも知れないが、社名などは分からなかった。
拝殿に吊るされた鈴、拝殿の三方はガラス戸で拝殿内には外光が差し込み明るい印象を受けます。
拝殿中央には「剣神社」の拝殿額、拝殿内と幣殿にそれぞれ随神が安置されています。
内部の木札から以下の改修履歴が分かりました。
・大正10年(1921)本社殿修膳。
・平成10年(1998)には拝殿改修。
大正時代の木札が本社殿修膳とあるので、創建は明治・江戸時代にまで遡るかも知れません。
拝殿内の随神と大正15年に奉納された戦艦長門の写真、幣殿内の随神は写真に収める事は出来なかった。
内部の木札から以下の改修履歴が分かりました。
・大正10年(1921)本社殿修膳。
・平成10年(1998)には拝殿改修。
大正時代の木札が本社殿修膳とあるので、創建は明治・江戸時代にまで遡るかも知れません。
拝殿内の随神と大正15年に奉納された戦艦長門の写真、幣殿内の随神は写真に収める事は出来なかった。
雪がしんしんと降り積もっても支障のないように、拝殿から幣殿・鞘殿は一続きになっています。
幣殿のガラス越しに彩色された随神像の姿が見えます。
拝殿から鳥居方向の眺め。
過去に周辺のスキー場を訪れた際、一晩で車を掘りだした思い出があります。
標高は低いとはいえ、厳冬期のこの辺りどれくらいの積雪になるのだろう。
路面が薄っすら白くなる程度で大騒ぎになる地方に住む者には想像はつかない。
幣殿のガラス越しに彩色された随神像の姿が見えます。
拝殿から鳥居方向の眺め。
過去に周辺のスキー場を訪れた際、一晩で車を掘りだした思い出があります。
標高は低いとはいえ、厳冬期のこの辺りどれくらいの積雪になるのだろう。
路面が薄っすら白くなる程度で大騒ぎになる地方に住む者には想像はつかない。
剣神社
創建 / 不明
所在地 / 新潟県上越市浦川原区横川254
津南キャンプ場から剣神社 / 国道117号線津南駅入口左折、県道405号線で津南駅前を右折、県道49号線、国道353号線、国道253号線で直江津方向へ約1時間40分程
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