歩き初め1 平安通から水分橋

息子達の帰省もあり、暮れから正月にかけては飲み食いばかり。
この間、初詣以外は家からほとんど出ない生活でした。
体重計を覗いてみると驚愕の結果だった、体が重いのも当然だ。
撮り溜めしていた写真は使い切り、今日から平常営業です。

蛇年の初歩きは余り混雑しない場所で足慣らし、という事で地下鉄名城線平安通駅から北に向かい、三階橋の袂に鎮座する黒体龍神を参拝し、名鉄小牧線味美駅までの8kmを歩いて来ました。
写真は平安通駅3番出口からの眺め、ここから左に進み矢田川庄内川を越え、県営名古屋空港方面に向かいます。

歩き始めて20分程で黒川樋門到着。
庄内川から矢田川の地下を流れ導かれた水は、堀川へ用水を導くために設けたもので、ここから黒川へ流れ込みます。
3連の樋門の中央に2つの石段があり、樋門の上屋は木造で復元されたもので、その下には門を上げ下げする巻上機があります。
樋門後方には三階橋ポンプ場があります。

樋門上部は木造の人道橋となっています。
石造の黒川樋門は、明治初期の黒川開削時に原型が出来、明治43年頃の改築時に今のような姿となった。その後、取り壊されるも、昭和55年に現在の姿に復元されました。

「天然プールの碑。
かつてこの地には明治9~10年の黒川開削の時に造られた池があり、ここより黒門・庄内用水・御用水・志賀、上飯田用水に分水していた。
いつの頃からか、この池は天然プールと呼ばれるようになり、たくさんの子供たちが水遊びに集まり、水泳や魚釣りなどの思い出を残していった。
百年にわたり人々に愛されてきたこの天然プールも昭和52年の三階橋ポンプ所建設により姿を消し、今は明治末期築造の石組樋門がわずかに昔を忍ばせている。
名古屋市 昭和58年8月」

樋門脇の地蔵堂
以前は現在地より下流の夫婦橋の傍ら祀られていましたが、上飯田通や県道の整備に伴いこの地に遷されたもの。

堂内には地蔵と馬頭観音像が安置されています。

黒川樋門は令和2年景観重要建造物に指定されました。
この先の三階橋ポンプ場の西隣に、荒子川に至る全長28kmの庄内用水の始点があります。

三階橋から矢田川上流の眺め。

対岸から三階橋と黒川樋門方向の眺め。
三階橋の由来は矢田川の地下に堀川、その上に架かる橋なので三階橋と付けられたという。

写真は2021年に訪れた時の右岸から三階橋方向の眺め。
この堤上には赤い社が印象的な天王社が祀られていました。
現在は後方の守西ポンプ場や旧名鉄小牧線の築堤が見通せるようになり、堤の上から赤い社の姿は消えていました。
廃社なのか、新たな場所に移されたものか不明です。

瀬古1丁目「天王社」
過去記事 / 「庄内用水元杁」から瀬古1丁目「天王社」​

守西ポンプ場の南に残る旧名岐鉄道大曽根線(名鉄小牧線)の築堤から庄内用水元杁樋門方向の眺め。
築堤には枕木はありませんが、バラストが残り、瀬古親水遊歩道沿いには橋台の遺構が残っています。

旧名岐鉄道大曽根線(名鉄小牧線)は、大曽根-犬山間を結ぶ路線として計画されましたが、計画変更により、上飯田駅から新小牧駅までの路線として開業(1931)されました。
後に、地下鉄上飯田連絡線の開通(2003)により、名鉄小牧線が地下鉄と接続されることになりました。
名鉄小牧線上飯田駅から味鋺駅までの地上区間は、これに伴い廃線となりました。
二つの河川を越えることから、こうした築堤と橋台が築かれました。

この橋台の脇の畑に小さな社が祀られていました。

橋台と社。
畑の隅の大岩の上に板宮造の社が祀られ、注連縄と榊も供えられています。
消えた天王社はここに?と思いたくなりますが、過去に撮った写真の中にも小さく映り込んでおり、天王社とは別の社のようです。
社名札もなく詳細は不明ですが今も崇敬されているようです。

不明社
創建・祭神 / 不明
所在地 / 名古屋市守山区瀬古1

ここの上を電車が通り、庄内川を越えた味鋺駅小牧線と勝川線(1937年廃線)が接続していました。
左側の守山瀬古親水遊歩道の瀬古橋付近には、小牧線開業当初には瀬古駅がありましたが、1942年に廃駅となり二つの河川に挟まれたこの地区から鉄道駅はなくなりました。

堀川瀬古親水遊歩道。
堀川に続く流れの中には水藻がゆらめき、小魚の姿も見られ、歩いていても気持ちのいい歩道が続きます。

庄内用水元杁樋門。
明治10年(1877)、庄内川に架かる水分橋から矢田川の伏越間で完成するも腐朽が進み、明治43年(1910)に作られたもので「現存する重要な土木遺産2800選」に選定されています。

消石灰と真砂を混ぜて捏ねられた「たたき」と呼ばれる人造石で、二つのアーチ型水門。
「現存する重要な土木遺産2800選」に選定されています。

樋門上部の上屋には開閉用の舵輪のようなハンドルが見られます。
ここから右手が庄内川となり、目の前に県道102号線の水分橋が架かっています。

水分橋に出てみて驚いた、水分橋の架かる堤の様相が一変していました。
以前の堤には小さな森があり、樹々に隠されるように黒体龍神が鎮座していました。
橋梁改築に伴い、鎮座地の森は伐採、土手は盛り土され、黒体龍神の姿がなくなっていました。
道路を渡り、周囲を見渡してみても鳥居の姿も見られなかった。
蛇年最初の参拝は黒体龍神と思い来たけれど・・・

2019年当時の『黒体龍神
今ではこの杜や神社も盛り土の下になってしまったのか。
山王社同様、廃社になってしまったのか?
どこか近くに遷されたものか、もう一度この周囲を訪れてみようと思います。
過去記事 / 「黒体龍神」名古屋市守山区

水分橋から庄内用水頭首工の眺め。
ここで庄内川の水位を調整し、元杁樋門に注水する堰で、明治10年(1877)の黒川開削の際の仮堰が始まりで、堰が破損・流出する都度補修を繰り返していましたが、昭和29年(1954)に現在の形になりました。
以前はこの上流に小牧線の橋梁が架けられていました。

黒体龍神や天王社が消えていたのは残念ですが、庄内川を渡り味鋺駅方向に向かいます。

平安通駅からここまでの距離約2.5km、所要時間​約40分
訪問日 / 2025/01/05
地下鉄名城線平安通から名鉄小牧線味美駅全ルート / ​8km約2時間