南区呼続元町 安泰寺
やがて視界の先に跨線橋がみえてきます、それと共に視界も広がります
跨線橋の下は名鉄名古屋本線、ひっきりなしに電車が通過していきます
上が呼続駅方向で正面の杜が目指す安泰寺の杜、下は笠寺方向になり、赤い電車の右側の森が熊野三社が鎮座する杜です
左と右の標高差が呼続台地の地形を表しています
跨線橋の下は名鉄名古屋本線、ひっきりなしに電車が通過していきます
上が呼続駅方向で正面の杜が目指す安泰寺の杜、下は笠寺方向になり、赤い電車の右側の森が熊野三社が鎮座する杜です
左と右の標高差が呼続台地の地形を表しています
跨線橋を渡った正面が安泰寺山門
山門左に寺号標と史跡散策路案内板
瓦葺のこぢんまりとした安泰寺山門
右側には樹齢を重ねた巨木が聳えています
右側には樹齢を重ねた巨木が聳えています
シンプルな木製の額に黒で描かれた山号
山門の表札は派手さはないけれど重厚なものです
安泰寺本堂全景
本堂右が寺務所になるようです
本堂右が寺務所になるようです
本堂左の六地蔵堂
安泰寺は山崎城跡に建てられたお寺です
三方に崖を備えた山城で、築城年は不明ですが蔵人浄盤の居城と伝わります
後に加藤弥三郎へ主を変えていきます
三代城主佐久間信盛の時に信長による「石山合戦」で思うような成果を出せなかった信盛は
信長により1580年(天正8)高野山へ追放され、それとともに山崎城は廃城の道を辿ります
城の荒廃後、当時笠寺観音の北側にあった宝珠庵が移り、現在の安泰寺へ形を変えたと言われます
跨線橋の下を走る名鉄本線は山崎城の西堀を利用してレールが敷かれたものとも云われています
三方に崖を備えた山城で、築城年は不明ですが蔵人浄盤の居城と伝わります
後に加藤弥三郎へ主を変えていきます
三代城主佐久間信盛の時に信長による「石山合戦」で思うような成果を出せなかった信盛は
信長により1580年(天正8)高野山へ追放され、それとともに山崎城は廃城の道を辿ります
城の荒廃後、当時笠寺観音の北側にあった宝珠庵が移り、現在の安泰寺へ形を変えたと言われます
跨線橋の下を走る名鉄本線は山崎城の西堀を利用してレールが敷かれたものとも云われています
城跡の名残りを求め境内を一回りしましたが境内には痕跡はありませんでした
唯一の名残りは掘跡に敷かれたと云われる線路がそれを偲ばせるくらいでしょうか
山門の脇に聳える巨木、この地の移り変わりを見てきた唯一の目撃者なのかもしれません
何れにせよ、古史にも記録が残る由緒ある寺である事に違いはない
住所 / 名古屋市南区呼続元町16-22
アクセス / 熊野三社から北へ徒歩約2~3分
公共交通機関 / 名鉄名古屋本線「呼続」下車南へ徒歩約5~10分
何れにせよ、古史にも記録が残る由緒ある寺である事に違いはない
住所 / 名古屋市南区呼続元町16-22
アクセス / 熊野三社から北へ徒歩約2~3分
公共交通機関 / 名鉄名古屋本線「呼続」下車南へ徒歩約5~10分