和歌山県紀の川市粉河 『大門から太子堂』

粉河寺(3/5)今回は大門から中門までの伽藍を見ていきます。

f:id:owari-nagoya55:20201001093609j:plain 「大門」重要文化財指定。
入母屋瓦葺の二層の楼門で左右に金剛力士像が安置されています。
鬼瓦に1707年(宝永4)の刻銘が残る事から建立はその頃ではないかとされます。

f:id:owari-nagoya55:20201001093635j:plain

 上層の斗栱に雲肘木と尾捶を使って大きな軒を支える構造は当時としては珍しいものらしい。
大きさだけではなく、全体を朱?で赤く塗られ、存在感のある門です。

f:id:owari-nagoya55:20201001093738j:plain 阿形
力感溢れる像は「仏師春日作」によるものと云われ、門から少し離れていてもその存在感が伝わってくる。

f:id:owari-nagoya55:20201001093803j:plain 吽形

f:id:owari-nagoya55:20201001093827j:plain

 大門の解説板。

f:id:owari-nagoya55:20201001093849j:plain 大門をくぐり、とんまか通りの眺め、「大神社」の大楠も良く見える。
大門は細かな彫飾りなどは見かけません、質実剛健とでも云えばいいのかな。

f:id:owari-nagoya55:20201001093913j:plain 大門から先は石畳が中門まで案内してくれます。

f:id:owari-nagoya55:20201001093937j:plain 大門をくぐり最初に現れるのが不動堂。

f:id:owari-nagoya55:20201001094000j:plain 弘法大師爪彫りの不動明王を祀る、内部は暗く姿を拝むことは叶わなかった。

f:id:owari-nagoya55:20201001094027j:plain 方型瓦葺で拝所に向拝が付く。

f:id:owari-nagoya55:20201001094049j:plain 中津川路改修碑(左)と粉河寺案内図。

f:id:owari-nagoya55:20201001094113j:plain 長屋側右岸沿いに参道は続き、参道左側に複数の堂が並びます。
正面に見える入母屋の屋根が本堂。

f:id:owari-nagoya55:20201001094136j:plain 子育て地蔵。
1734年(享保19)地元の鋳物師木村安成の作とされ、子供の無病息災を祈願する仏が安置されている。
後方は本坊。

f:id:owari-nagoya55:20201001094201j:plain 羅漢堂
寄棟瓦葺で詳細は分かりませんでした。

f:id:owari-nagoya55:20201001094224j:plain 鰐口の先に見える色褪せた彫飾りに魅かれて立ち寄ってみましたが、羅漢像だと思いますがアップにしても今一つ分かりません。

f:id:owari-nagoya55:20201001094247j:plain 仏足石
二つの石碑とその前に釈迦の足跡が刻まれた石が置かれている。

f:id:owari-nagoya55:20201001094315j:plain 紋様は千輻輪相を表し、その大きさは人徳の偉大さを象徴するとした信仰の対象。

f:id:owari-nagoya55:20201001094339j:plain 出現池
本尊千手観音の化身 童男大士が柳の枝を手に白馬に乗ってこの池から出現したとされる。

f:id:owari-nagoya55:20201001094527j:plain 左の赤い堂は三角堂と呼ばれそこに千手観音が安置されています。

f:id:owari-nagoya55:20201001094549j:plain 正面に安置されている石像が童男大士。

f:id:owari-nagoya55:20201001094612j:plain 右に馬蹄石があるらしいが、窓の直下で捉える事は出来ませんでした。
童男大士は現世利益の佛として殊に病気平癒の霊験があらたかとされ、祈願成就の際はこの池に鯉を離す風習があるそうです。

f:id:owari-nagoya55:20201001094636j:plain 左が本坊、右に童男堂。

f:id:owari-nagoya55:20201001094731j:plain 本坊全景。

f:id:owari-nagoya55:20201001094803j:plain 童男堂
千手千眼観世音菩薩の化身といわれる童男大士を祀っています。

f:id:owari-nagoya55:20201001094829j:plain

f:id:owari-nagoya55:20201001094850j:plain
 棟札から建立は1679年(延宝7)とされ、正堂と礼堂でなり、正堂内陣小壁、板壁の障壁画、天井絵は見事なものだと云う。県指定文化財

f:id:owari-nagoya55:20201001094954j:plain 念仏堂
入母屋瓦葺の千鳥屋根と唐破風向拝が施されている、 江戸時代後期に建立されたとされる。
光明殿とも呼ばれ阿弥陀如来が安置されている。

f:id:owari-nagoya55:20201001095022j:plain 粉河阿弥陀如来坐像。
1862年(文久2)に紀州藩徳川重倫や、妹光安院の生母、清信院の寄進により寄進されたもの。

f:id:owari-nagoya55:20201001095048j:plain 太子堂
寄棟瓦葺のこぢんまりとした堂。

f:id:owari-nagoya55:20201001095116j:plain 文字通り聖徳太子を祀っています。

f:id:owari-nagoya55:20201001095145j:plainここまで来ると境内は広がりを見せ、正面に手水舎と奥に中門、左に本堂が間近になってきます。

f:id:owari-nagoya55:20201001095212p:plain 重厚感のある手水舎。

f:id:owari-nagoya55:20201001095244j:plain

 盥漱盤(かんそうばん)は1775年(安永4)、粉河鋳物師蜂屋薩摩掾五代目源正勝の作で、銅製の蓮の花と葉をかたどったもの。
今も現役で清水を注ぎ続けています。市指定文化財

f:id:owari-nagoya55:20201001095346j:plain

朱の大門とは趣も違ったシックな佇まいの中門が迫ってきました。

住所 /   和歌山県紀の川市粉河
公共機関アクセス / ​JR和歌山線「粉河」下車北へ徒歩15分程
関連記事 /   和歌山県紀の川市粉河 『大神社』

和歌山県紀の川市粉河 『善光寺』『蛭子社』

 

GoTo利用し下呂と飛騨の國一之宮へ

Go Toトラベルを利用して飛騨国の一宮水無神社と下呂温泉へ行ってきました
久しく何処にも行っていなかっただけにせっかくの「Go To」、チャンスを利用しない手はない。
近場で目的地を絞りのんびり温泉に浸かる。
かみさんが選んだのは下呂温泉、唯一立ち寄る予定の神社は「飛騨の國一之宮水無神社」。
名古屋ICを8:00頃、東名高速東海北陸自動車道中部縦貫道を経由し軽でのんびり制限速度+10km/hの定速走行。
一路高山西ICを目指す、以前は見かけなかったツアーバスも随分と動き出したようです。

f:id:owari-nagoya55:20200929140728j:plain

国道158号線を左折し5分ほど走り最初の休憩場所スポット「キュルノンチュエ」には11時前に到着。
ここは杉本の系列で鹿児島黒豚を素材にして、生ハムや燻製、ソーセージ等を製造販売するお店。
山中の田園地帯、周囲はすっかり秋の装い、そんな環境の中にポツンと建つ小さなお店。

f:id:owari-nagoya55:20200929140751j:plain

店内に入ると天井から生ハムや白カビ熟成のソーセージが吊るされているのに目が行く。
もれなく写真の様にソーセージやハム等の試食が出来、その中から気に入ったものを買うことができるのがありがたい。種類も豊富です。
始まったばかりの小旅行ですが早速お土産〃。
「キュルノンチュエ」
住所 / ​岐阜県高山市清見町牧ケ洞3154

そろそろ昼、昼食はここから高山方向に向かい、高山から国道41号線下呂方向に向け20分程走ったところにある「飛騨中華そば高砂」へ

f:id:owari-nagoya55:20200929140816j:plain

国道41号線沿いの間口の狭いお店、店舗前に駐車場はあるけれど、4~5台が限界、タイミングによっては満杯となるようです。
隣にオートバックス店舗駐車場があり、一部情報では「駐車可」とあるが定かではない、ここは軽で来て正解だった、中途半端に開いたスペースに駐車し店内へ入る事が出来た。

f:id:owari-nagoya55:20200929140845j:plain

メニューは至ってシンプル、中華そばのみ、写真はその大盛(750円)。
高山ラーメン、個人的なイメージで「スープに風味のない、醤油辛いラーメン」の印象が強かったが、ここに来てそのイメージをあらためることになる。
上品な出汁の風味が漂い、チャーシューも柔らかく香辛料もありますが何も足さなくても美味しい。
高山ラーメンの中では5点評価で4点。

「飛騨中華そば高砂
住所 / ​高山山市石浦町2-383

さて下呂に向かう前に唯一の目的地「飛騨の國一之宮水無神社」へ。

f:id:owari-nagoya55:20200929140907j:plain

下呂方向へ30分程走ると「水無神社」に到着。
社頭の前を流れる常泉寺川、清らかな流れは梅花藻も育む清流、地域を挙げて移植など保全に力を入れているそうです。

f:id:owari-nagoya55:20200929140928j:plain堤には彼岸花が秋の彩りを添えている、今シーズン初めて見るかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20200929140949j:plain

「飛騨の國一之宮水無神社」
社名の水無は諸説ありますが、川の水源を司る神「水主」の意味だとも云われる。
創建は定かではないようですが、867年(貞観9)に従五位上の神位を授けられた記事が残る、飛騨国の鎮守で主祭神御歳大神を祀り、十四柱の相殿神を「水無大神(みなしのおおかみ)」として奉祀。
御神体は宮川源流の位山とされ、奥宮が鎮座する。
住所 / ​岐阜県高山市一之宮町5323

参拝も済ませ、かみさんは御朱印も頂いたようだ、下呂に向かおう。

f:id:owari-nagoya55:20200929141009j:plainチェックインにも少し早い、途中で最寄りの神社に参拝し16:00頃に今夜の「宿湯ノ島館」に​チェックイン​。温泉に浸かって温泉街に下りて見た。
目的は角打ちと飛騨牛の串。

f:id:owari-nagoya55:20200929141035j:plain温泉街の北外れに位置する「おがわや酒店」

f:id:owari-nagoya55:20200929141056j:plain店内では角打ちだけではなく、500円で4種類の地元の試飲ができる。
天領推しのお店でしょうか、天領が多いけれど「これ試飲できる?」と聞いて見ると意外なものを開けてくれたりする。今年は酒蔵開きや酒のイベントは悉く中止、ここで憂さ晴らし。
住所 / ​下呂市 湯之島230-1

さて次は牛串。

f:id:owari-nagoya55:20200929141118j:plain

「かなれ」温泉街のほぼ中央にあり、小川屋の経営するお店。
過去に何度か来ても息子達は付き合ってくれなくてなかなか寄れなかったようで、今回ようやく食べる事ができるようだ。おやじが付き合えばいいのだろうが、宿に入ったら最後、外に出ない。
風呂に入って酒を飲むに徹する。

f:id:owari-nagoya55:20200929141139j:plain晩御飯前にほろ酔いで、ここで飛騨牛の串におまけにビールも飲んで、幸せそのもの。
味付けはシンプルに塩のみ、炭の香りが漂い柔らかい飛騨牛は絶品だ、かみさんも満足〃。

f:id:owari-nagoya55:20200929141204j:plain日が暮れるのも早くなり、一日が損した気分になってきます。
さて千鳥足で宿に戻ろう。

f:id:owari-nagoya55:20200929141223j:plain今回GoToで利用した湯之島館、以前は下呂と云えば名が出てくる老舗。
今も趣はそのままです。COVID19の影響もあり間引き営業を余儀なくされているようです。
感染防止対策も万全で検温、館内はマスク着用、滅菌剤、仲居さんとの接触も最低限に抑え、エレベーターも相乗り回避と貼り紙もあり十分に配慮されています。
マスクもせず、相乗りしようとしてくる方もあり、宿側の配慮に対し利用する側がどれだけ守るかがポイントなのかもしれない。旅や旅館の印象が楽しいものになるか、台無しになるかは自分次第かもしれません。

f:id:owari-nagoya55:20200929141251j:plain

今年は本当に最悪だ、かみさんの欲求不満も限界だったのだろう。
普段作ってばかりのかみさん、たまにはのんびり味わってください…?相変わらず早いな。
「習慣よ」だそうだ。今夜は羽を伸ばそう。
エアコンを止め窓を全開にする、夜風は肌寒い、もうしっかり秋が深まっています。

因みに川原にある無料露天風呂、水害の影響からクローズのままだそうです。
水着着用になってから縁はなくなったが、あの解放感は捨てがたいものがある、復旧後は一度行きたいものだ。

今回のGotoこんなチャンスは二度とないだろう、COVID19の抜本的解決が見いだせないなかで、上がったり下がったりのグラフと付き合ってくことになりそうだ。
その都度GoToはありえないだろうし、二度とお給金も出ないだろう。
つけは税金や年金減らされ、倍返しする事になるのだから利用しない手はない。

f:id:owari-nagoya55:20200929141316j:plain

翌日はゆっくりとチェックアウトぎりぎりまで滞在、下呂から飛騨川沿いに南下、保井戸から峠を越えて
長良川の流れる郡上八幡へ。


鶏ちゃん合衆国 加盟店 高山市飛騨荘川
いちまの けーちゃん 260g 2〜3人前 冷凍便


郡上市内の吉田川沿いにあるスーパーVaroで荘川村の名物「いちまのけーちゃん」を買い求める、高速が整備され縁遠くなった荘川ですが、知っている限りで手に入れられる南限はこの辺りではないだろうか。

釣りや山からも縁遠くなり、無性にけーちゃんが食べたくなるとお取り寄せするけれど、身近に買えるといいがそうはいかないようだ。

f:id:owari-nagoya55:20200929141521j:plain
午後を過ぎ中途半端な時間。
ここで食べておかないと晩御飯のリズムまで狂うので、蕎麦を頂き家路に着く。

f:id:owari-nagoya55:20200929141547j:plain清流吉田川、流れは相変わらず綺麗だ。
終盤を迎え、友釣りを楽しむ釣り人の姿がある。
郡上ものんびりと巡りたいところですがそれは次回のお楽しみに取っておこう。

徹社(とおすのやしろ)

熱田神宮南門の鳥居から本宮に続く正参道、普通に参拝する場合はここを進む方が大半。
日割御子神社が鎮座する東参道に比べると当然参拝客は多く何より参道の幅が広い。

f:id:owari-nagoya55:20200926110320j:plain神秘的な雰囲気の漂う東参道と比較すると、杜に包まれていながら明るい印象が漂います。
写真は南新池から堀に架かる橋から「徹社」、南鳥居方向の眺め。

f:id:owari-nagoya55:20200926110339j:plain橋から堀の西側を眺めると石造りの反り橋が見えます「二十五丁橋」です。
「徹社」に向かう前にこの橋に寄り道。

f:id:owari-nagoya55:20200926110402j:plain「徹社」鎮座する正参道の前から西に小路がありそこを進むと先程の「二十五丁橋」です。
かつて神宮の堀に架けられていたそうですが、1936年に境内拡張に伴い解体、1955年この場所に移築されたものという。

二十五枚の花崗岩の板を組んで作られていることが二十五丁橋の由縁と云われています。
現在は渡る事は出来ませんが、優雅な曲線を描く橋と傍らに名古屋甚句の碑などがあり「これほど涼しいこの宮を誰が熱田と名をつけた」と歌われます、西行法師がこの地を訪れ当時の二十五丁橋に腰掛けて語った事が歌われたようです。
尾張名所図会にも描かれ、移築されていますが名古屋最古の石橋といわれます。
柔らかな曲線を描く反り橋です。
さて正参道に戻り、向かいの「徹社」へ

f:id:owari-nagoya55:20200926110424j:plain小路から正参道を挟んだ対面が熱田神宮境内末社の「徹社」

杜に包まれ佇む姿は東参道の神秘的な趣り社とは少し違うものを感じます。
何が違うと問われても言葉が見当たらない、広い参道に面し陽光の入りがいい事もあり妙に温もりの様なものを感じる。

f:id:owari-nagoya55:20200926110447j:plain「徹社」の祭神は天照大神和魂(にぎみたま)を祀ります。
神社の説明書きで「〇△神の和魂(にぎみたま)だとか荒魂(あらみたま)をお祀りする」とか書かれているのを見かけます、神や人には和魂、荒魂の二つの側面があるとされ、これに幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)も加え四つの側面とする概念(一霊四魂)もあるようですが、いずれもその側面をコントロールするのが直霊(なおれい)とされ、人が表す性格そのものかもしれません。

和魂は文字から想像できるように、平和、調和など温和で慈悲深い側面を司っています。
普段のかみさんでしょうです、その対極が荒魂で、おやじが悪さをした時に現れる。

温もりを感じる社の佇まいは、天照大神の和魂の働きなのかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20200926110513j:plain社殿の造は日割御子神社などと同様で神明造の社殿形式を踏襲している。
四本の鰹木と内削ぎの千木が施されています。
創建は元明天皇在位年間(707年~715年)とされ、現在の社殿は1963年(昭和38)に再建されたもの。

f:id:owari-nagoya55:20200926110534j:plain熱田神宮正参道のほぼ中央に鎮座する事もあり、東参道の社に比べると参拝に訪れる人も多い。


熱田神宮境内末社 『徹社(とおすのやしろ)』
創建 / 元明天皇在位年間(707年~715年)
祭神 /   天照大神和魂
住所 / 名古屋市熱田区神宮1
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄名城線「伝馬町」駅下車徒歩10分程
関連記事 / 南新宮社日割御子神社孫若御子神社 楠御前社

和歌山県紀の川市粉河 『善光寺』『蛭子社』

前回掲載した『大神社』から大門に向け参道を進む。

 

f:id:owari-nagoya55:20200924224240j:plain

朱色で彩られた二層の粉河寺「大門」が間近に迫り、両脇の金剛力士の姿もはっきり見えてきます。
大門の左右に二つの寺社『善光寺』と『蛭子神社』が鎮座しています。

f:id:owari-nagoya55:20200924224509j:plain大門の左に鎮座する瓦葺寄棟造の『善光寺』とその右に小さな堂があります。
拝所の上部に絵が描かれ、解説板もあるようなので道草してみました。

f:id:owari-nagoya55:20200924224642j:plain善光寺』解説板と思いきや、残念ながら大門の解説。
周りを見回しても善光寺に関する解説はないようです。

f:id:owari-nagoya55:20200924224742j:plain
額の揮毫は色褪せ読み取りにくいけれど「善光寺」で間違いないようです。
虹梁、斗栱などに彩色されていたようですが、褪色が著しく何が描かれていたか分からない。
唯一正面に羽衣をまとった天女?が描かれているようです。

善光寺について粉河寺の塔頭寺院なのか含め調べてみましたが詳細は分かりませんでした。
現状を見る限り塀などはなく、自然な形で粉河寺の一部として溶け込んでいます。

「そこに貼るか」と思うような場所に貼られた千社札と退色した天女の絵が印象に残っています。

f:id:owari-nagoya55:20200924224822j:plain
善光寺』右隣りの小さな堂が『地蔵堂

f:id:owari-nagoya55:20200924224846j:plain堂内安置の素朴な顔立ちの石地蔵。
年代は不明、石材に劣化が見られないので意外と新しいものなのかも知れません。

f:id:owari-nagoya55:20200924224906j:plain石地蔵の隣に写真の大きな石が安置されています。
上部に何か文字が刻まれているようにも見えなくもないが・・・・・気のせいか

善光寺
創建 /    不明
本尊 /   不明
住所 /   ​和歌山県紀の川市粉河

善光寺から参道を隔て向かいに鎮座するのは『蛭子社』

f:id:owari-nagoya55:20200924224930j:plain参道に面し石明神鳥居があり、拝殿は入母屋で千鳥破風が施されている。
右手の社号標は蛭子神社、扁額は蛭子社とあり、和歌山県神社庁で検索してみたけれどどちらもヒットしませんでした。ここでは「蛭子社」としておきます。
こちらの由緒など詳細は分かりません。

紀伊風土記』の一文に「旧那賀郡粉河粉河村に鎮座し、江戸時代後期の社号を「衣比須社」称す」とだけ記されています。
紀伊風土記1839年(天保10)に纏められたとされ、神社の形態は分かりませんが当時には既に鎮座していたようです。

f:id:owari-nagoya55:20200924224950j:plain社名から祭神は事代主命を祀るようです。
普段はこうして静かな佇まいを見せていますが、1/10の粉河十日戎は餅撒きもあり、地域のみならず周辺からも多くの参拝客が訪れるようです。

拝所から眺める本殿は形態がよく見て取れませんでした。
よく見えたのは天井の千社札、どうやって貼るもんだか見てみたいものです。

「蛭子社」
創建 /   1839年(天保10)以前
祭神   /  事代主命
住所 /   和歌山県紀の川市粉河
公共機関アクセス / ​JR和歌山線「粉河」下車北へ徒歩15分程
関連記事 / 紀伊國一之宮と大和國の一之宮巡り、紀三井寺の秘仏特別御開帳 
      ​和歌山県紀ノ川町粉河『大神社』

関田「御嶽神社」

春日井市林島町3 御嶽神社

内津川右岸の藤ノ木公園の一画に鎮座する、御嶽講の神社です。

f:id:owari-nagoya55:20200923020648j:plain 藤ノ木公園の西角付近に園内の樹々より一際大きな二本の樹が聳えています。
その一画は玉垣で囲われ、「御嶽大神」と書かれた白い奉納幟がはためいています。

f:id:owari-nagoya55:20200923020712j:plain

 公園西側の道路に面し社標、参道左に南を向いて石鳥居が建っています。
後方は公園、子供達の遊ぶ光景が広がり賑やか声が聞こえる。
周辺の交通量は意外に少なく、安心して子供達を遊ばせられ、静かな住環境かもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20200923020733j:plain

 御嶽山を開山したとされる二人の行者、覚明、普寛。
春日井市はその一人で、1784年(天明4)三岳村の黒沢口を開いた覚明の出生地(牛山町)でもある。
そうしたことから春日井市御嶽神社は良く見かけるかもしれない。
複数の講が存在し、起りもそれぞれ違うようです、ここ関田「誕生講」は覚明生誕の所縁を引き継ぎ生まれた講の一つ。

こうして鳥居が設けられた規模の大きな神社は少ないようで、良く見かけるのは築山された一画に霊神碑が立ち並ぶもの、もしくは碑のみというのが大半で道路整備、区画整理の影響を受け、こうした公園や神社、寺院の境内で見かける事が多いようです。

f:id:owari-nagoya55:20200923020751j:plain 境内左の手水舎。

f:id:owari-nagoya55:20200923020812j:plainその正面に石が組まれ築山された「御嶽」がある。
その頂から麓にかけて大小20程の霊神碑が並び、頂きに御嶽神社、覚明行者の碑がある。
こうして見る霊神碑は生誕の地霊峰御嶽に戻り、山に寄り添う様でもある。
明治から大正にかけて広まりを見せていた御嶽講も現在は担い手が少なくなっていると聞く。

f:id:owari-nagoya55:20200923020832j:plainしかしここは奉納幟の数にしても盛なようです。
随分と落ち着いて来た御嶽、それでも御嶽登拝はままならないようです。

この神社の起りは1844年(弘化元年)中山和三郎が牛山の丹羽多治右衛門から当村へ伝えたとされます。
もともとこの地は小木田神社の分社があったとされ、調べて見るもその経緯に辿り着けませんでした。
小木田神社の創建が719年(老3)とも云われ、棟札では1768年(明和5)の再建した記録が残るだけに、その跡地に建てられたとされても不思議ではないか。

f:id:owari-nagoya55:20200923020853j:plain

 境内から南の眺め、公園の先は静かな住宅街が広がっています。

お山のご機嫌はもちろんですが、見通しの立たないCOVID19も含め、以前の様に清らかな流れの中で魚と戯れ、登拝や温泉を堪能できるのはいつまで待てばいいのだろうか?
講の起こりの一つに、今の様な流行病から起きた講もあるようです。

安心が得られるまでは上手に付き合っていくしかないようです。

関田「御嶽神社
創建 / 1844年(弘化元年)
祭神 / 御嶽大神  (国常立尊大己貴命少彦名命)
住所 / ​春日井市林島町3
関連記事 / 町名の由来ともなった地元の産土神「小木田神社」​名古屋市守山区龍泉寺 御嶽神社
公共交通機関アクセス / JR中央線「春日井」駅から東に徒歩15分程

和歌山県紀の川市粉河 『大神社』

和歌山県紀の川市粉河 『大神社』

f:id:owari-nagoya55:20200921103728j:plain 粉河寺大門の「とんまか通り」と呼ばれる参道沿い、そこに聳える大きな楠木に包まれて大神社は鎮座します。
すぐ東は秋葉山、以前は猿岡山と呼ばれ、天正15年(1587)藤堂高虎が築城した猿岡城址(粉河城)も近い。(現在は碑のみで秋葉公園として整備されている)

f:id:owari-nagoya55:20200921103749j:plain粉河寺の大門に向かう「とんまか通り」を進むと、左手のこの巨木は否が応でも視界に入ってきます。
その木の周囲は玉垣で囲まれ、参道に面して明神鳥居が建っています。

f:id:owari-nagoya55:20200921103811j:plain 鳥居から社殿の眺め。
楠木の巨木の脇に鎮座する大神社、扁額は大神宮とある。
猿岡城下粉河町の氏神として崇敬されている。

f:id:owari-nagoya55:20200921103835j:plain 境内全域を覆い尽くす見事な枝振りの楠の巨木。
御神木のこの樹は天然記念物、樹令は1,000年とも言われるようです。

f:id:owari-nagoya55:20200921103859j:plain1839年(天保10)に纏められた『紀伊風土記』、その中の那賀郡粉河粉河村の項に「大神宮 大門前にあり、東毛村并に粉河村中北町の産土神なり、境内楠の大樹あり周囲三丈五尺許」とこの大楠について記されていました。
楠木は何処に出かけても良く見かける、いずれも大きく成長した姿を見せてくれます。
この御神木も幹は切り落とされているものの、この一本が境内の上空を覆い尽くしている。
その姿は正に御神木たる風格と自然が持つ力強さを感じる。
そうしたものに何かが宿る、白🐍だったり、龍が住むだの、自然に対する畏敬の念を込めて親から子供の頃に教えられたものです。

f:id:owari-nagoya55:20200921103920j:plain 幹回りの見事な事
小さな社が祀られていますが詳細は不明。

f:id:owari-nagoya55:20200921103941j:plain 大神社の創建がいつなのか詳細は不明ですが、猿岡城の城主「藤堂高虎」は氏神として厚く崇敬したとされる神社。
1608年(慶長13)高虎が伊勢へ転封の際、社殿を改築したと伝えられ、社殿装飾の一部に室町時代の遺風が残る彫刻が残っている。瓦葺流造の社殿は近年建て替えられているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200921104003j:plain 当初は「昭和」と見間違え、気にも留めていなかった燈籠ですが、改めて写真を整理している中で「明和八(1771年)の卯」と刻まれていたのに初めて気づく。
小さな「大神社」の長い歴史を語るものはこの燈籠かも知れない。

f:id:owari-nagoya55:20200921104028j:plain 社殿を守護する狛犬は灯篭に比べれば新参者です。

f:id:owari-nagoya55:20200921104050j:plain 祭神は天照皇大神を祀る。
提灯、扁額は「大神宮」とありますが、和歌山県神社庁の『大神社』で統一させてもらいました。

f:id:owari-nagoya55:20200921104115j:plain 彩色された蟇股の彫刻。
彫られているのは松は分かるとしても中央の鳥は・・・・・?
「とさか」があるようだ鶏?雉?

粉河産土神社の祭礼で紀州三大祭のひとつ「粉河祭」では大神社の前のとんまか通りを複数の山車が曳かれるそうだ。
「とんまか」とはなんぞやと調べて見ると、粉河祭のだんじりの運行の際に打つ太鼓の音からきているようです。街に活気をもたらす祭もCOVID19の影響を受け今年は見送られたようです。

門前の巨樹の下に鎮座する、小さな「大神社」ですが、外見以上に古い歴史を持ち、築城の名手からも崇敬されたこの地の氏神様です。
粉河寺を車で訪れた際は歩いて戻ってみるのもいいかもしれない。

『大神社』
創建 / 不明
祭神 / 天照皇大神
住所 / 和歌山県紀の川市粉河
公共機関アクセス / ​JR和歌山線「粉河」下車北へ徒歩15分程
関連記事 / ​紀伊國一之宮と大和國の一之宮巡り、紀三井寺の秘仏特別公開

『外土居神社』

金山総合駅から南に15分程歩く、この辺りを歩いていると大乗教の聖仏舎利宝塔が何処にいても視界に入ってきます。
外土居神社はこの西隣に鎮座します。

f:id:owari-nagoya55:20200919232310j:plain 東海道本線沿いに目標としていた大乗教辺りまでやってくるも、神社らしきものは見当たりません。
結局この聖仏舎利宝塔をぐるっと一周する事になってしまった。

f:id:owari-nagoya55:20200919232332j:plain 聖仏舎利宝塔のある区画の西端で小さな社を見付けることができました。
この神社が大乗教に関りがあるのかは不明。

f:id:owari-nagoya55:20200919232354j:plain 道沿いに玉垣と小さな杜もあり「ここに神社があるよ」と主張はしているものの、やはり後方の施設に圧倒され存在感は薄い。

f:id:owari-nagoya55:20200919232416j:plain 道路沿いに外土居神社社標、ここで間違いないようです。
境内は左の手水舎からすぐに左に折れ、その先に稲荷鳥居と神明鳥居が並んでいます。

f:id:owari-nagoya55:20200919232437j:plain 狭い境内、そこに南を向いて三社が祀られています。
境内は鬱蒼とした杜に包まれ木洩れ陽は入るものの薄暗く、何より風が通らない。
参拝に訪れる方は少ないのか妙に沈んだ空気が漂う。

鎮座地の外土居町は1939年(昭和14)、熱田東町の一部から外土居町として誕生したもので、由来はこの辺りが沢上城の土塁があったことから付いたとも云われます。
「外土居」と町名が付くだけに、町名誕生時はこの町を末永く守護してもらうために建てられたものだろう。
町名成立から随分年月を経ち、創建当時と現在の神社の姿や住民との関わりは相当ギャップがあるやも。
やがては消えいくのか…

f:id:owari-nagoya55:20200919232459j:plain境内中央の社、社名札はなく詳細は分かりません。
推測ですが熱田神社かもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20200919232520j:plain6本の鰹木と内削ぎの千木が施された社。
境内の雰囲気に対し社はしっかり保たれているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200919232540j:plain 境内西側の一社。
こちらも詳細は不明、趣は稲荷か?その割に狐が見当たらない。
こちらの社は5本の鰹木と内削ぎの千木が施されています。

f:id:owari-nagoya55:20200919232601j:plain 境内右奥に小さな社。

f:id:owari-nagoya55:20200919232622j:plainこちらも詳細不明、後方は大乗教の施設が迫っています。

f:id:owari-nagoya55:20200919232644j:plain 境内全景。
写真は随分明るくしてありますが樹々には苔が生え、薄暗い境内は不思議な雰囲気が漂っています。
それは後方に聳える聖仏舎利宝塔や人の気配を感じない境内であったりするのかもしれない。
初めて訪れた外土居神社、何回か訪れると印象も変わるのかもしれない。

『外土居神社』
創建 / 不明
祭神 / 不明
住所 / 名古屋市熱田区外土居町3
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄、JR、名鉄「金山総合駅」から南へ徒歩15分程