熱田神宮南門の参拝者無料駐車場の木陰に車を停め…、この暑さ、ついつい車の移動を選択。
駐車場から南の1号線に向かう、そこから左の伝馬町方面へ歩いてすぐ左に目指す熱田神宮の境外摂社「松姤社」が鎮座します。
1号線から伝馬町方向の眺め。
左のビル群の間に「松姤社」の参道があります。
車で前を通りがかっても存在に気付かないかも知れない。
それにしても歩道からの照り返しは半端じゃない、街全体が熱を帯びている。
「松姤社」社頭。
少し奥まって右に社号標、その奥に木造の神明鳥居がある。
参道はビルの木陰となり、この空間に入ると体感温度はぐっと下がり、ちょっとした都会のオアシス。
参道脇に常夜灯があり、両脇はビルに挟まれている、参道は民家の前から左に折れます。
表通りは車も、人も往来が多く騒がしいけれど、老人性難聴の影響もあるのだろうが参道から奥の空間は意外に静かな印象を受けます。
参道を突きあたると玉垣に囲われた境内が現れます。
ビルと民家の隙間に境内が広がる、決して広くはないけれど、小さな杜に包まれ鎮座する社の姿は特別な空間である事が伝わってきます。
石段の先に鎮座する「松姤社」全景。
後方が老舗うなぎ屋さんということもあり、境内には香ばしい香りが漂う。
熱田神宮には本宮を始め、別宮1社、摂社8社、末社19社と境外摂社が4社、末社12社の45社を祀っていますが、「松姤社」は境外摂社4社の一つ。
祭神は日本武尊のかみさん宮簀媛命を祀ります。
その昔、松姤社のあるこの地には清流があり、娘が布を晒していた、そこへ東征のため通りかかった日本武尊が現在の大高近辺への道を娘に尋ねたそうですが、娘は聞こえないふりをして答えなかったそうです。その理由はよく分かりませんが、この出逢いから二人は夫婦になったと云われます。
この辺りは尾張名所図会にも布瀑女丁として記され、娘が布を晒(さら)す町、布瀑女丁として呼ばれることになったようで、松姤社も記されていました。
この古事から宮簀媛命を祀り、耳の神様として崇敬を受ける様になったのが「松姤社」
斜めから見る松姤社全景。
神明造の社に内削ぎの千木と鰹木があしらわれている。
参拝
老化は避けて通れないけれど、ここは二人分の賽銭を奮発して参拝させてもらいました。
二人の出逢いとなったこの地、布を晒したと云われる清流は今何処。
古代のこの地は熱田台地の先端にあたり、ここから先は徐々に海岸線が迫っていた。
ここに布を晒す清流があったか、疑問は残るけれど、それはそれで素直に受け入れておきたい。
疑問ばかり残る事の多い昨今、そうした物語は夢があっていいものです。
唯一疑問が残るのは宮簀媛命はなぜ「しかと」したか、そこが妙に気になる。
社から眺める境内、他の境外社もそうですが、住宅の集中する一画、効率に逆行するこうした空間が残っている事にある意味ほっとする。
街中の取るに足らない僅かな空間ですが、そこを拠り所とする生きものがいて、多少聞こえが悪くなってきたおやじの拠り所でもある。
境内左に板宮造りの社。
詳細は分かりませんが近年建て替えられたようです。
宮簀媛は東征の最中、門戸を閉じ誰の声も聞かずに、日本武尊の帰りを祈願したとも言われるそうです。この空間に佇む社の姿にそんな宮簀媛の姿がだぶってくる。
2020/8/23追記 / 後日この社は松姤社境内末社で「十握社(とつか)」という所までは分かりましたが、十握剣と所縁があるのか?、かえって厄介な事になった。
鳥居脇の常夜灯は昭和5年に寄進されたもの。
小一時間程滞在していたけれど、この間どなともお会いすることはありませんでした。
境内から喧騒と灼熱の世界に戻る事にします。
熱田神宮から5分もかからないだけに松姤社、寄られてみては。
熱田神宮摂社 松姤社
創建 / 686年(朱鳥元年)
祭神 / 宮簀媛命
住所 / 名古屋市熱田区神宮2-10
公共交通機関アクセス / 地下鉄名城線「伝馬町」駅下車、徒歩5分程
車アクセス / 熱田神宮南門駐車場から徒歩5分程
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