熊野速玉大社から10分程に位置し、狭い道路脇に間口の狭い駐車場があります。
駐車場自体それほど広くなく、大きなSUVや四駆には過酷な場所、生活道路でもあり路上で空きを待つのは避けたいところ。
しかしそれさえ我慢すれば、熊野権現が初めて地上に降臨した伝承をもつ古社「神倉神社」はとても近い。
僅か120㍍程の神倉山の中腹に鎮座する社までは、熊野古道の一部の500段ほどの石段を上るだけ・・・・嘘ばっかりです。
降臨の地へ訪れるには過酷な道を覚悟しておくべきです。
写真は神橋から神社入口の眺め。
神橋の先に赤い鳥居、これは猿田彦神社、神倉三宝荒神社の鳥居です。
最初に参拝すべき神社。
神倉山の山肌を背にして鎮座する猿田彦神社、神倉三宝荒神社の全景。
右手が社務所。
猿田彦神社、神倉三宝荒神社右手に神倉山から湧き出た清水が滝となり流れ落ち、周囲に比べ空気がひんやりとして、身は引き締まり、流れる水が心を洗い清めてくれる、そんな気になる空間です。
湿気があるので看板にあるよな彼らがいてもおかしくない。
猿田彦神社
祭神の猿田彦は、高天原から地上に降りる天孫瓊々杵尊を高千穂に導いた神で「道開き」の神。
御神体のゴトビキ岩に向かう前に参拝。
三宝荒神社
祭神は火産霊神・誉田別命で、願望成就、商売繁盛の御神徳が高い。
高野山の奥社と立里(たてり)の三宝荒神を勧請したもの。
上「熊野三山(権現山)」解説
「市内西方にそびえる権現山(神倉山)、神が降臨する神体山として崇められて来た。
主峰は千穂ヶ峰(253㍍)で鎮護ヶ峰とも記され、神仏が鎮まり守護してくれる山。
古くから熊野速玉大社の神降臨の神域として重要でした。
権現山の南、高さ100㍍近い断崖絶壁に神倉神社があり「天磐盾」とみなされてきた。
ここには神が鎮座する磐座があり「ゴトビキ岩」と呼ばれる。
古来から霊域として、修験者の行場として栄えてきた」
下「神倉神社由緒」
「御祭神 高倉下命、天照大神
例祭2月6日 夜
御灯祭りという古儀の特殊神事として名高い、白装束に身を固めた祈願者が神火を松明に受け急坂(源頼朝公寄進の鎌倉式石段)を駆け下る壮観な火祭りである。
御由緒
「熊野権現として有名な熊野速玉大社の摂社。
熊野三山(速玉・那智・本宮)の主神降臨の霊地、熊野信仰の根本ともいうべき霊所。
御祭神の高倉下命は建国の功臣、熊野三党(宇井、鈴木、榎本)の祖として知られ、農業、漁業の守護神として御神徳が高い」
「天磐盾」
天磐盾とは、神武天皇紀(日本書紀)に、紀元前3年に神武天皇東征の際に佐野を越えて「熊野神邑(新宮の古称)に至り天磐盾に登りて」と記されている。
左の碑は紀元2650年を記念し平成2年に建てられたもの。
さあ、降臨の地に向け参道を進みます。
朱の両部鳥居。
鳥居から先は石段が壁のように上に伸びています。
降臨の地までは源頼朝寄進の鎌倉式石段538段を登りきらなければ辿り着けません、段数は大した事はないが目の前の勾配は参道ではなく、修験道そのもの。
安易なつもりで登れば後悔する事になるでしょう、一番怖いのが踏み外しによる怪我です。
この写真の箇所から途中の火神社あたりまでが特に急で、自分も含め周囲では四つん這いで昇り降りする光景も見受けられます。
人目を気にすることなく手は使う事をお勧めします、無事に戻って参拝終了です。
なんていうのか、これが登りにくく、ただの直登ではなく、くねくねした直登と云えばいいのか。
踏み石も大きさはバラバラ、でもって角が取れ斜度は急。
毎年2月6日の夜に御燈祭りがおこなわれ、この急こう配を松明を手にした信者が駆け下りるのだそうだ。
熊野に春を呼ぶ男の火まつりとして知られるようですが、命がけの度胸試しだ。
くれぐれも下は見ない。
鳥居からしばらくの間の200段?が最大の難関なので、ここだけは人目は気にせず空いた手を使おう。
最初の難関を乗り越えれば概ね心配はいらない、といってもその先はこんな感じで続きます。
中間地点の火神社、中ノ地蔵堂が見えるとそこは平坦な境内。
ここで小休止、水分補給を行い参拝。
世界遺産熊野古道の趣が漂う参道、ここから先は比較的勾配は緩く歩きやすくなります。
左側は杜があるものの手摺はなく、踏み外し注意に変わりはない。
山肌に沿って平坦な参道に変り、前方に朱塗りの鳥居と玉垣が見えてくればゴトビキ岩もあと僅か。
右の斜面につけられた石段の先に社が鎮座する、参拝していきます。
満山社
熊野本宮大社でも見かけたが、縁結び八百万の神々を祀る。
ニノ鳥居
ここから先の右斜面全体が突起が少ない巨大な岩盤が露出しています。
濡れたところは滑りやすい。
神倉神社の手水鉢
鳥居から先の右にあり解説は以下。
「新宮城主第2代の水野重良(1596~1668)が下野國(栃木県)那須城主の大関高増の母の延命と繁栄を祈願し寄進したもの。
黒雲母花崗斑岩の巨大な石を加工して作られ、正面には寛永8年(1631)に重良が寄進したと刻まれている。阿須賀神社にも同様の物が奉納されている」
手水場を過ぎればゴトビキ岩。
山肌に露出した岩盤の上に注連縄が巻かれたゴトビキ岩と呼ばれる巨岩と複数の岩が寄り添うような形で組まれ、それら絶妙のバランスで安定している。
これが御神体の「ゴトビキ岩」、自然が作り出した不思議な造形だ。
一見すると一つの岩に見えるゴトビキ岩、よく見るとその上部にもう一つ岩が乗っており、少し離れて眺めるとカエルが佇む姿にも似ている、この地方ではガマガエルを「ゴトビキ」と呼ぶようで名の由来はそこからきているようだ。
その巨岩の下に人が築いた赤い社殿が建つ。
劣化も少なく近年補修の手が入っているようで朱も鮮やかです、造がどうこう以前に良くぞ建てたものだ、そちらの方が驚きに値する。
御祭神は高倉下命と天照大神をお祀りする。熊野信仰の始まりともいうべき霊所。
ゴトビキ岩は神倉山中腹の岸壁にあり、そこからの眺望は絶景。
下に新宮市の街並みが広がり、その先に熊野灘を臨む。
写真左中ほどのこんもりとした山が蓬莱山、水野重良が寄進したもうひとつ手水鉢がある阿須賀神社が鎮座する。
壁の様な石段を折れそうな気持を押さえ登り詰めた御褒美だ。
振り返ると社殿とゴトビキ岩。
樹々の隙間からさす陽射しは神々しく、神の降臨を疑う者はいないだろう。
石垣が高く積まれその上に鎮座する社、参拝に向かおう。
神倉山の天ノ磐盾(あまのいわたて)という険しい崖の上に鎮座する姿は新宮市を見守るようでもあり、その姿は麓の町からも良く見える。
御神体のゴトビキ岩を支える袈裟岩を右手方向に登っていく。
ゴトビキ岩に寄り添うように巨岩が組まれ、その隙間に丸い玉砂利が敷き詰められ榊が供えられたスピリチュアルな空間があります。
巨石を中心とした古代信仰が行われていたようで、ここから弥生時代の遺物や平安時代の経筒など見つかっているという。
この不思議な空間と空気感は、自然の奇跡では語れない特別なものを感じる。
さあ、麓に戻ろう。
誰も助けてはくれない、自分の足で戻るしかありません。
下に一ノ鳥居が見えて来た、ゴールを前に気を緩めると一番危ない場所。
行きは下を見ないようにしていたが、こうして下を見ると相当怖いものがある。
今回参拝し次に訪れる際の覚えとして以下を書き留めておこう。
参拝時にヒールは絶対に無理です、滑り止め加工されたソールの靴がいいでしょう。
飲み物もあるといいでしょう。
入口に杖があります、その心遣いには甘えて下さい。手摺はありません。
調子こいて直登すると膝に来る、途中休憩を入れゆっくり登ってください。
人の目は気にすることなく手も使いましょう。
登ったら最後、エスカレーターはないので必ず自分で降りるしかありません。
山と一緒です、登りの方や足場の悪い方には道を譲りましょう。
御燈祭りでここを駆け下る? 信じられないものがある。
修業がたらん自分は踏み外して転がり落ちるのが見えている、恐怖の石段だ。
夫婦共々無事に下に戻って岩に腰掛け一息つく。
こんな辛い思いをしながら、心の中では「また訪れたい」気持ちが生まれてくる。
神倉神社はそんな不思議な魅力を持っている。
2021/02/21
神倉神社(熊野元宮)
創建 / 128年(景行天皇58)
祭神 / 高倉下命、天照大神
境内社 / 猿田彦神社、神倉三宝荒神社、火神社、中ノ地蔵堂、満山社
住所 / 和歌山県新宮市神倉1-13-8
熊野速玉大社からアクセス / 車で10分程
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