圓通寺から県道23号線沿いを北に向かい20分程歩く。
目の前に名古屋高速が見えるこの辺りまで来れば、それまでの大府市から名古屋市に入る。
ここから更に知多四国八十七番札所長寿寺に向け真っ直ぐ歩いていきます。
やがて道は県道50号線に出会うので左に進み、県道沿いにJR大高駅方向へ。
丸根砦跡付近の道路左側に真新しい「山神社」の社標が見えてきます。
県道から少し中に入れば鳥居を構えた小さな山神社の社地が見えてきます。
社頭全景。
左側は東海道線の高架が延々と伸び、鳥居は誰も来ることのできない高架に向かって建っています。
鳥居から奥は社を覆う様に小さな杜に包まれ、二本柱で控え柱のない簡素な手水舎があるだけのこぢんまりとした小さな神社です。
鳥居からみた境内。
正面の覆屋に本殿が祀られ、本殿域はブロックで囲まれています。
手水舎左に由緒書きもあるようです。
手水鉢は1960年(昭和35)と刻まれている。
通り沿いの社標も新しかった、意外に新しく造営されたものか。
その考えは傍らにある由緒書きを見て改める事になる。
「山神社
一般には「山の神さん」と親しみを込めて呼ばれています。
祭神は大山祇命。
この地方では冬は山にいて、春になると里へ降りて田畑を支配する神、ひいては生活全般の神とも云われています。
緑区の山神社では唯一独立した社叢を有し、更に祠は鞘堂に覆われた珍しいものです。
当社の創建は不明ですが、江戸時代初めの1660年代の記録に記載があるので、それ以前から存在していたと思われます。
祭事は12月に例祭、その前夜には提灯祭りが行われています。
なお、東海道線が高架になる前にはこの社の前の道は「山神踏切り」を通って大高のまちに通じていました。大高歴史の会」
小さな神社でありながら、地元の方により立派な由緒が残され語り繋がれている。
分からないものはどこまでいっても分からない、知り得た事を記すだけでも語り部となって行く。
山や森が消え、田畑は消えて家が建ち並ぶ、便利で綺麗な街になって行く。
そんな世界に鬱蒼とした小さな藪や朽ちかけた社があれば、それは奇異な視線を浴び、肝試しの舞台になりやがては消えていく。
小さな神社が消えていく背景に、先人の思いを語り継ぐ語り部を失ってしまうのがひとつの要因かもしれない。
意味もなく祀られたものはないだけに、手書きでもなんでも伝承していく事が、その地に住む者へのメッセージになる事もある。
石垣で高く盛られた神域、覆屋の中に萱葺屋根の社が祀られていました。
鰹木は6本、千木は内削ぎの神明造のようです。
祭神の大山祇命は男神とされます、鰹木の数や削ぎの向きから男神か女神を識別するのはやはり無理があるようです。
社頭の前に万里の長城の様に伸びる高架が立ちはだかり、昔は参道が続いていたのだろう。
今は神社までの道筋は寸断され、忘れ去られた様にポツンと鎮座しています。
何度か歩いていながら見逃してきた山の神様、やっと出会うことが出来たそんな気がした。
こんな住宅街に山の神様があるの? いつかはそんな事になってしまうのかもしれない。