一日市場 八幡神社

岐阜県瑞浪市土岐町「一日市場(ひといちば)八幡神社
県道352号線「一日市場」の三叉路交差点の左に社頭を構える神社。

社頭南側からの眺め、手前から来るとドン突きになる。
住宅が立ち並ぶ一画、県道沿いの小高い高台に八幡神社の杜がある。

交差点から社頭の眺め。
県道沿いに「史跡土岐氏一日市場館跡」と「明智光秀公像」と大きく書かれた看板は嫌でも視界に入ってる。
歩道から石垣の上の境内に石段が続き、登り切った先に石の明神鳥居が立つ。
石段の「美濃源氏 土岐一族発祥の地 明智光秀公ゆかりの地」と書かれ、桔梗紋の入る白い幟が誇らし気にはためいています。
大河放映中は光秀所縁の地として賑わったのかもしれない、それも今は頼朝に変わり訪れる参拝者の姿はなく寂しい限り、TVの影響力は実に大きく熱しやすく冷めやすいものだ。

鳥居の右に「銀幣社 八幡社」と彫られた社号標がある。
「史跡土岐氏一日市場館跡」とあるように、通り沿いの石垣にその名残を感じさせる。

石造明神鳥居の先に境内が広がる。
ニノ鳥居まで構えるようで、境内は左右に広がりを持つ。
ここは土岐一族の始祖、源光衡が本拠とした館を構えた場所とされています。
通りに「史跡土岐氏一日市場館跡」とあるように、通り沿いの石垣にその名残を感じさせる。

鳥居に掲げられた額は「八幡神社

鳥居から境内の眺め。正面のニノ鳥居の先が社殿。

鳥居左に手水舎、手水鉢の寄進は昭和10年とある。

拝殿右の境内の眺め。
平和記念碑と右方向に二つの胸像、更に右手に脇参道の鳥居がある。

拝殿左方向の境内の眺め。

こちらにも脇参道の鳥居がある。
まずは八幡神社に参拝し順次境内を見ていく事にする。

ニノ鳥居(昭和10年寄進)の先に常夜灯(享保元号)と拝殿を守護する一対の狛犬
拝殿は入母屋瓦葺の妻入りのもので向拝が付く。

守護担当の面々。
毛並みは丸く立体的に彫られたもので骨太な体格をしている。

拝所の鈴紐は下ろされ久し振りに鈴を鳴らす。
拝殿から本殿方向の眺め、この先に瑞浪市有形文化財に指定される1794年(寛政6)に寄進された狛犬が安置されているらしい。(​瑞浪市HP陶製狛犬解説と画像​)
創建は不明で伽藍の修復履歴として1687年(貞享4)の棟札が残るとされ、そこには岩村城主第5代の丹羽庄之助氏音造営と記されていると云う。
創建はそこから更に遡るが定かではない。


本殿後方から拝殿方向の眺め。
現在の本殿は銅板葺の流造。

本殿域の右に社が祀られているが詳細は不明。
左側に回り込みたかったが長い物が出そうでこれ以上進む度胸はなかった。
長い🐍が地を這う時期になってきた、それくらい当日の陽気は良かった。

美濃源氏発祥の地とされ、一日市場館跡はその拠点となった場所。
平安末期に源光衡が現在の土岐に住み着きそこから土岐氏が発祥したとされる。
源光衡以降美濃守護職として長くこの地を治め、戦国時代初期に斎藤道三により土岐頼芸が美濃を追われるまで務めたが、その後主流は没落するも一派は途絶することなく明治維新まで至ったと云う。
明智光秀のルーツはここに移り住んだ土岐氏から始まる。

境内の二つの胸像。
左が「鎌倉幕府御家人 源土岐三郎光衡」、右が「明智光秀」の胸像。
肖像画で知る光秀のイメージとはかけ離れ、随分とふくよかな顔立ちだ。


土岐氏と光秀の系譜。

胸像脇の解説・・・長すぎる・・・。

土岐光衡はここに「一日市場館」を建て拠点とし、ここから下街道を40分程北上した土岐川右岸に光衡が築城したとされる鶴ヶ城跡(神戸城)がある。

光秀生誕地は美濃各地にあり定かではない、最後の地も明智藪ではないとも云われる様に想像は膨らむが、少なくともここ一日市場に館を構えた土岐氏の血筋から光秀が誕生した事は揺らぎがないと思う。
とはいえ全ては語り継がれてきたもの、この光秀の顔も肖像画の光秀も当時を見て語るものではない。

境内左側の脇参道脇に石標を見付け杜に立ち入る。
地肌が見える程度の落ち葉なら「足元に注意」していれば🐍に驚かされる事はない。

石標には「水神」と彫られていた。
集落の外には今も田畑が点在する、水を司る龍は必要な存在。
裏には年号が刻まれていたが読めなかった。

左側の参道入口。
「村社八幡神社」と刻まれた古めかしい社号標と立派な鳥居を構えている。
境内右の鳥居も見た方がいいのかぁ?
とは言っても春の宴の後だけに足取りが重たい、やめだ。

一日市場八幡神社

創建 / 不明(1687年(貞享4)の棟札)
祭神 / 誉田別命
境内社 / 不明
所在地 / 岐阜県瑞浪市土岐町402
訪問日 / 2022/04/30