広島県尾道市土堂 住吉神社
愛媛・広島の一ノ宮を一泊二日で巡る初日、伊予の國一ノ宮大山祇神社の参拝を終え、尾道の千光寺を訪れる。
尾道市役所の駐車場に車を停め、港沿いの海岸線通りを千光寺ロープウェイに向け歩く。
尾道水道沿いに港が続き船着き場が延々と続く。
背後の鳴滝山が海近くまで迫り、街はその裾野から港にかけて寄り添うように集中している。
この地は古くから瀬戸内航路の商港として栄え、江戸時代中頃から明治30年頃の尾道は北前船の寄港地として栄えて来た町。
当時の船の動力は自然、風と潮の流れに任せた航海では時合を待つ潮待ちの港は各地に点在する。
目の前に見える対岸は向島、入り江でもなんでもない水道だ。
ここ尾道と四国の今治の間には向島、因島、生口島、大三島、大島などが飛び石の様に点在し、広い瀬戸内海は一気に狭められ、大きな干満差とそれにより潮流は複雑に流れを変える。
写真は夕方に撮影した港の光景、浮桟橋も随分と下に浮かんでいる。
住吉神社はここから港沿いを少し進んだ先に鎮座する。
住吉神社全景。
船着き場の脇に社殿が作られ、注連鳥居のある社頭と海岸線通り側に脇参道の二か所から境内に繋がる。
訪れたのは4月19日、注連鳥居には「平山霊神社」の幟がはためいていた。
祭礼があったのか、常時立てられている物か定かではないが神社幟が立つ光景はいいものだ。
社頭の左側の境内に外を向いて小さな社が祀られていた、その右は手水舎。
スリムで大きな「金刀比羅大権現、天照皇大神宮、住吉大明神」の銘が刻まれた常夜灯は、頂に付く開いた受花と宝珠が印象に残る。
海が間近なため境内に大きな樹々がなく風の通りはいい。
それだけに海からも、近隣からも社殿の存在は一目で分かる。
社殿全景。
社頭左の流造の社は社名がなく詳細は分からないが、外削ぎの置き千木と3本の鰹木から定説に従えば男神を祀るものだろう。千木の脇から飛び出た鳥衾の形は舵の様にも見える。
境内右に遥拝石。
左側の「力石」
北前舟が寄港する事で荷役に従事する者が集まる。
機械化以前の時代、彼らはここで自らの力を自慢しプレゼンする場でもあったのかもしれない。
雇用条件もこの石の重さで推し量っていた?
人を評価するのは難しいもの、目標設定も決めにくいものだ、持ち上げられる石のランクで評価したとすると主観や感情が介在しない分かりやすい評価基準だ。
地方によっては力石で村一番の娘をかみさんに迎えることも出来た事もあったと云う。
正しい力石の解説は以下
「尾道の港が北前船の寄港地として繁盛した江戸時代、浜の中仕連中がこれ等の石をもち上げて力比べをしたようです、見事持ち上げた者の名前が刻んであります」
平山霊神社。
こちらも社頭の社と同様の造り、後方の石碑は広島藩士で尾道町奉行として尾道を開いた平山角左衛門の功績を称えた碑文が刻まれている。
土堂「住吉神社」は飛鳥時代創建の浄土寺の境内に鎮座していた。
祭神は墨江三前大神(筒男命、中筒男命、上筒男命三柱の神)
拝殿の唐破風と天狗の鼻のように飛び出した鳥衾と緑青の深い緑が印象的。
神紋は花菱紋だろうか。
向拝の透かし彫り、鈴紐は下ろされていなかった。
この奥に「金刀比羅宮、恵美須大神、住吉大神」と記された拝殿額がある。(手振れで見れたものじゃない)
住吉神社御朱印は千光寺ロープウエイの下に鎮座する艮神社で頂ける。
海岸通りから見る本殿。
3本の鰹木のみで千木がない事から舟の舳先のように飛び出た鳥衾の存在が際立っている。
神社後方からの眺め。
木造の社殿は柿渋?の色だろうか、夕陽を浴びて社殿は赤く染まり出した。
住吉神社後方に一部雁木が残る、力自慢の者たちが北前船から荷を運ぶ姿が浮かんでくる。
創建 / 不明(1741年(寛保元年)遷座)
境内社 / 平山霊神社、不明社
所在地 / 広島県尾道市土堂2-10-12
参拝日 / 2022/4/19
公共交通機関アクセス / JR山陽本線「尾道」駅降車 東に徒歩15分程
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