和爾良(かにら)神社
その昔、我家の水田がこの近隣にあり、当時は田園風景の広がる地域
今は舗装、宅地化され、当時の面影は皆無
こちらの神社は当時からあったのは記憶しているが
子供の頃に見たオリジナルなのか、いささか怪しいが記憶の場所に今も鎮座していた
猪子石原公園の西隣に位置し旧猪子石原村一帯の氏神
こんな立派な鳥居があったかどうか
コンクリート製の立派な鳥居があり
敷石も新しい、近年改修された様です
和示良神社の扁額に対し社号表は和爾良とある
いずれも新しいもの、社号標の和爾良が以前の名称
明治生まれの祖母は生前、ここを原の天神と呼んでいた
昔の人は旧地名がポンポン出てくる理解するのに苦労したものです
現在も矢田川沿いに天神下の地名が残る
境内左の手水舎、こちらもそれほど年月を経ていない
拝殿も綺麗で新しい
和爾良神社狛犬
新しい拝殿から神社全体を眺める
南北に拝殿、幣殿、社殿が続き、右側に社務所が建つ
拝殿右に纏められた末社
右から秋葉社、山の神社、英霊社
いずれも猪子石周辺に祀られていたものを和爾良神社境内に纏めたもの
神明造の本殿
和爾良神社
創建 / 1592年(文禄2)
由緒より
当時のこの地は、秀吉の海外出兵の際の交通の要所として栄えていたと云われ
創建時境内に植えられた栃の木は、幹周り三m程の大木に成長、近隣の人々からは
「学問・長生き・五穀豊穣・繁栄にご利益がある」と親しまれ、明治の初めまで「原の天神様」と呼ばれていた
「学問・長生き・五穀豊穣・繁栄にご利益がある」と親しまれ、明治の初めまで「原の天神様」と呼ばれていた
猪高村誌には
1592年(文禄2)当時流行により菅原道真の像を安置
維新の際、分霊の因縁により、和示良神社に改称したと云われる
早い西陽に輝く軒丸瓦の桐紋
「延喜式神名帳」に「和爾良神社」の名が出てくるが、こちらの創建が1592年(文禄2)なので
時間軸は合わない
道真の痕跡を求めて境内をまわってみるも
遊んでくれない猫とドングリばかり
子供の頃、何をして遊んでいたのだろう
住所 / 名古屋市名東区猪高町猪子石原1-503
アクセス / 基幹バス2栄-四軒家 猪子石西原 下車 徒歩5分程