岩倉市本町宮西1『新溝神社』
名鉄犬山線「岩倉」駅から線路沿いに北へ徒歩で15分程の所に鎮座します。
昔は名古屋城下を起点に岩倉を経由し中山道を結ぶ岩倉街道として、年貢を運ぶルートとして整備された古くからの街。左は1891年(明治24)と右が現在の鎮座地の移り変わり。
黄色の南北に延びる岩倉街道沿いに集落が点在していることがよく分かります。
この地は岩倉城主織田信安の家老、山之内盛豊の子、山之内一豊の生誕地と云われ、信長にも所縁のある古い土地柄。
街中を歩くと昔の名残を感じるさせる道筋が残り、この街道筋には多くの寺社が点在します。
新溝神社参道。
右に社号標、その先に常夜灯と鳥居を構えます。
鳥居から社殿方向の眺め。
真っすぐに伸びる参道、その先に鎮守の杜が見えています。
参道は参拝者駐車場にもなっているようです。
参道を横切る道路の先に境内は広がります。
左に手水舎社、正面に蕃塀があり、社殿は窺えません。
新年を迎え、初詣に訪れる参拝客で賑わっています。
切妻瓦葺で四方吹き抜けの拝殿は派手な飾り金具はなくシンプルに見えますが、軒先瓦には「新」の印がが入り、妻部分には龍の彫も施され落ち着いた趣があります。
こんもりと二段に盛られた神域の上に本殿。
手前には二対の狛犬が守護しています。
神社当番の氏子の方々により庭火が焚かれる境内、暖冬とはいえこの暖かさはありがたい。
二対の狛犬達。
どちらも似ているようですが筋肉の付き方、子を抑える前足などに個性があります。
コピーしたように同じフォルムでは味気ないものです。
本殿前に小さな狛犬、彼らが一番のベテランの様です。
小さな体でこちらを見上げるその顔つきは、どことなく愛らしい表情をしている。
本殿の眺め、神紋は五七の桐。
祭神は新溝大神を祀り、創建は不明。
本殿域は6世紀頃の円墳の上に建てられていて、それ以前には古くから岩石群が祀られていたという。
大正初年の社殿改築の際に古墳として認識され、それらの岩石群を移動、一部を玉垣内の本殿域に拝石として祀り、一部を石段の台石などに利用したという。
玉垣で囲われ窺うことはできないけれど、本殿域東側に「磐座」として祀られているとのことです。
岩倉市の由来は「磐座」から、近くの新溝廻間の地名は新溝神社からきているとも云われます。
本殿全体は見通すことはできませんが、本殿右の八幡社から銅葺の屋根に5本の鰹木と外研ぎの千木、棟飾りの桐紋が見て取れます。
境内左に東向きに祀られた板宮造りの社、詳細は不明。
境内右に八幡社。
もともとは牛頭天王社だったと思われます、こちらにも拝石があるらしく探してみれどそれらしい石は見当たらなかった。
参拝を終え、神社外周を見て廻っていた際に気付いた社、本殿西側に南を向いて祀られています。
神社北側からの眺め、石垣の上に透塀で囲まれた本殿が木々の隙間から見て取れる。
流造の様に見えます。
古墳を整地して建てられたと云われるだけに、ここからの眺めはそれらしい雰囲気が漂います。
神社の東側に隣接して本町山車の収納庫があります。
訪れた時には正面が開けられお披露目されていたけれど、一回りして戻るとそこは閉じられていました。
裏口が開放されていたのでそこから山車を撮らせてもらう。
1629年(寛永6)に建造され尾張地方最古の山車と云われたようです、1798年(寛政10)頃に作り直された三段の山車。別称「唐子車」と呼ぶそうです。
毎年8月上旬に下本町神明生田神社、中本町神明大一社の祇園祭と、ここ本町新溝神社の天王祭の宵祭で山車曳きが行われ、3台の山車が岩倉街道を巡行されるそうです。
かみさんの実家がありながら、今だ一度も見たことがない、提灯に彩られた山車が巡航する姿を一度は見ておきたい。
神社西側の眺め、延々と玉垣が続き杜を囲んでいます。
彩りが乏しくなった景色、手水舎の裏側咲く寒桜の薄いピンクの彩りはとても新鮮に見えます。
2020/1/1
『新溝神社』
住所 / 岩倉市本町宮西1
公共交通機関アクセス / 名鉄犬山線「岩倉」下車徒歩15分程