前回掲載した報恩寺から東に向かいます
知多半島の中央を南北に伸びる「ふるさとロード」、そこから少し東に進むと道は二手に別れます。
恋之水神社はこのY字路の手前左側に鎮座します、道路左の水色の鳥居が目印。
鳥居の前に駐車場があり、そこからだと鳥居は目の前。
社頭には「健康長寿、縁結び、交通安全」とこちらの御神徳が大きく掲げられています。
恋之水神社鳥居額
ここは縁結びにご利益がある事で知られ、若いカップルや良い縁を授かりに訪れる参拝者が多いと聞く。
鳥居をくぐると恋之水神社の社標、杜の中に境内へ続く参道が下に伸びています。
参道を降り始めてすぐ右側に石標が二つ、詳細は分かりません。
鳥居から参道を下ると右手におみくじ掛け、無数のおみくじが結ばれています。
境内全景。
左が社務所で右手前に小さな社がある、その先には拝所と社殿があるようです。
更に正面奥には白い紙コップが山積みにされています。
境内右の社は大己貴命と少名彦名命を祀るようです。
良く調べきれなかった石碑が二つ、句が彫られているような。
社殿は二つの覆屋の中に祀られています。
神前には願いが書かれた紙コップで一杯、しかも上手に何段にも積まれています。
恋之水神社由来
神代の頃、大己貴命と少名彦名命の国造りの時、少名彦名命が病気になり大己貴命が一刻も早く全快するように祈願した、電光とともに美都波能女命が現れ、この地の水を与えれば病も治癒すると告げ、以降万病の特効薬と称される。
允恭天皇の病や聖武天皇の妻、光明皇后もこの水により治ったと伝えられている。
恋之水神社には美都波能女命が祀ってある。
桜姫伝説
一説には桜町中納言の藤原成範の娘の桜姫が家臣青町と恋中になり、反対を押し切り山城国愛宕北山村(現在の京都)に隠れ住んだが、靑町は病にかかり1191年(建久2年)桜姫はお告げを受け、この地の水を汲みに訪れた。
その所在を土地の者に尋ねたところ戯れから「今まで来たくらい東の方」と答えたと云われ、落胆の余り桜姫はこの地で倒れなくなったとされる。
これより恋之水神社とも云われ、その水は恋の病や万病、健康長寿に御利益があるとされる。
祭神は水の神、井戸の神と云われる美都波能女命を祀る。
恋の水
社務所で紙コップを買い求め、ここで願いを書き恋の水を注ぎ神前にお供えし祈願する。
奇跡の湧き水は絶えることなく注がれ続けている。
左側の社殿
祭神等の詳細は分かりません、ここも願のかけられたコップが山の様に供えられています。
三段に積まれたコップ、恋の病に悩む方は多いもの、そんな時期は誰しもあるものです。
時に神に頼むのも必要です、待っていて何も変わらない、積極的に自らの扉を開ければ道は開かれるはずです。
思う方とここを訪れ、敢えてその場で相手の名前を書いて見せる、ここではそれも許されるはずです。
出逢いがないと思ってここを訪れる、その時あなたの名前が書かれたコップがあるやも知れない。
恋之水神社の社殿の全景
桜姫の碑
社殿の左にあります。
恋の病にも効く評判から、授与所で販売する紙コップに思い思いの願いが書かれたものが無数に奉納されています。
一つ〃のコップには其々の思いが込められています。
神社全景
右は山間地の田んぼ、左は丘陵地の斜面、恋の水はこの斜面から湧き出しているようです。
縁結びのお守り
所謂相合傘が描かれている、よく見れば笠は左が一部線が切れ、やや左に傾いている。
右に相手の名前を書き、左に自分の名前を書き入れ、相手の気持ちが自分に傾くようにとの願掛け。
切れた線はその願が叶ったときに線を結ぶものだそうです。
少名彦名命の病を癒し、桜姫伝説が伝わる恋之水神社、今もその不思議な力を求めて訪れる参拝者は多い。
2020/10/26
恋之水神社
創建 / 不明
祭神 / 美都波能女命
住所 / 愛知県知多郡美浜町奥田中白沢92
公共機関アクセス / 名古屋鉄道知多新線知多奥田駅より約2km
車アクセス / 知多奥田駅から報徳寺経由10分程
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