『石見國一宮 物部神社』

石見国一宮 物部神社
島根県大田市の中心街から、国道375号線を10分程南下し、川合町の川合信号を左折して150㍍ほど先の左に社頭を構えています。
静間川右岸の八百山南麗に位置し、社殿は八百山を背にして鎮座します。

社頭は三瓶山に続く道路沿いにあり、正面に広い駐車場と石見交通物部神社前」バス停もあり公共交通機関でのアクセスも良いようです。
社頭右に「石見一宮 物部神社」の社号標。

木造の明神鳥居。
視界の広い風景が広がり、大きさは伝わらないかもしれませんが、島根県内の木造鳥居では最大の大きさを誇るもの。
正面に御神体の八百山を背にして社殿が鎮座します。

鳥居脇の物部神社解説。
「石見國一の宮である物部神社、御祭神は宇摩志麻遅命で、古代豪族物部氏の祖神である。
初代天皇神武天皇の東遷で功績を残し、その後各地を平定、最後に神社近くの鶴府(つるぶ)山に鶴に乗って降臨され、国見をされた時に神社裏山の「八百山」が天香具山に似ている事から、宮居を築き鎮座された。
継体天皇八年(513)、天皇勅命により社殿を創建。
安政三年(1856)宝暦時の規模で改修された。
島根県内では出雲大社に次ぐ大きさで、春日造では全国一の規模を誇る。
平成二十五年(2013)には社殿創建より1500年となる。
古くより朝野の信仰は厚く、戦国武将大内義隆が寄進した「太刀銘了戒」等、多数の社宝を蔵する」
とある。

社殿創建以前は神体山である八百山を崇敬対象として崇められ、社殿創建後は石見銀山争奪の兵火などで三度消失するも、宝暦三年(1753)に再建、文政元年(1818)の修理を経て、安政の改修を受け現在に至っています。

上は栞の物部神社マップ。
白鶴に乗り降臨し、国見をしたという鶴府(つるぶ)山の北西に位置し、八百山の御神墓を背にして社殿・境内社が祀られています。
稲荷社の左から山道を上ると御神墓に通じています。
神紋は宇摩志麻遅命が乗ってきた鶴にちなみ、真っ赤な太陽を背に飛翔する鶴をデザインした「ひおい鶴」と呼ばれるもので、境内には紋以外に鶴の姿を見ることができます。

鳥居をくぐった境内の全景、正面の社殿と左が神札所で鳥居の右手に社務所が主な伽藍。

参道中ほどに鎮座する狛犬
個人的には腰を上げた構え形の姿が印象になりますが、姿勢も行儀よくお座りをしています。

明治32年(1899)に寄進された狛犬の台座には鶴と蓑亀が彫られていました。
鶴は物部神社の神紋、亀は「水を呼ぶ」ということから、火災予防の意味と縁起を担いで彫られたものだろうか。
因みに本殿の破風飾りにも大きな亀の彫刻が彫られています。

手水舎の手前の一対の狛鶴。
阿形・吽形では分けられないが、写真は左側のもの。


手水舎。
手前にパートナーの鶴が立てられてます。

勾玉が彫られた手水鉢全景。

手水鉢の石造の龍は見慣れない姿をしています。
この手水鉢の石材は特別な石のようで冨金石と呼ばれ解説が掲げられていました。
俗に含金石と呼び、砂金が含まれ珍しい石。
なんでも、鉢に彫られた四つの勾玉に触れると勝運や財運に恵まれるという。
ここに注がれる手水は、境内右の御神井から湧き出た御神水をここに導いているそうだ。

拝殿正面から社殿の眺め。
写真ではさほど大きなものには見えませんが、入母屋銅葺の大きな拝殿です。

拝殿右の由緒。
主祭神 御祭神 宇摩志麻遅命
 配祀神 天照大御神饒速日命、鎮魂八柱神、天御中主大神、韴霊社
 後神社 師長姫命
 漢女神社 栲幡千々姫命
 伊夜彦神社 天香具山命
 神代七大社 国常立尊国狭槌尊豊斟渟尊、泥土煮尊、大戸道辺尊、面徨根尊、伊弉尊
 皇祖四代社 天忍穂耳尊瓊々杵尊、彦火々出見尊、鵜草葺不合尊
 荒経霊社 須佐之男尊
 須賀見神社 六見宿禰
 乙見神社  三見宿禰
 中原若宮神社(元摂社) 彦湯支命
 新屋若宮神社 武諸隅命
 川合神社 竹子(古)命
 石上布留神社 十種神宝
 熊野神社 高倉下命、少彦名命
 一瓶社 佐比売山三瓶大明神
 稲荷神社 稲倉魂命、大穴牟避命、大年神、大地主神
 淡島神社 少彦名命
 柿本神社 柿本人磨朝臣
 菅原神社 菅原道真
 八重山神社 伊邪那美命大山祇神
例祭 10月9日
 特殊神事 鎮魂祭、奉射祭、御田植祭、鎮火祭、田面祭、庭火祭、忌籠神事他十二
社殿
 創建は継体天皇八年、現本殿は安政三年の造営
 春日造変態、島根県指定文化財
社宝
 重文太刀了戒をはじめ刀剣・武具・書画・工芸品・古文書等450余点」

錚々たる神々が祀られています。

入母屋造の拝殿は、昭和11~12年(1936~1937)に改築されたもので、使用された檜は台湾から輸入されたものを使用している。 

拝殿に掲げられた額には「物部神社」と彫られており、昭和45年に寄進されたもの。

拝殿から本殿方向の眺め。
社殿は入母屋造、銅板葺の屋根手。現在の拝殿は昭和11~12年(1936~1937)にかけて改築され、台湾から輸入した檜を用材として建てられたもの。
拝殿内左右には、二枚の物部神社の額と大きな天狗面や奉納絵画などの奉納品が掛けられています。
当然、神紋の「ひおい鶴」が飛び交っています。

拝殿左の願叶 勝石。
宇摩志麻遅命が腰掛けられ、「運気」の籠ったこの勝石を撫で、全ての願いに通じる「勝運」をお受け下さい。」
謂れには「白い鶴に乗った宇摩志麻遅命は、川合に天降られました。
その場所を折居田といいます。
鶴降山から国見をしたところ、八百山が大和國の天の香具山に似ており、八百山の麓にお住まいになりました。
この時、鶴降山から白い鶴に乗って降りたところを折居田といいます。
折居田には御祭神が腰を掛けた大きな岩があり、昔から大きくもならず、枯れもしないと言い伝えのある一本の桜の樹がありました。
ここから東へ600㍍のところにあり、石碑が建てられています。
近くには泉もあり、十種神宝を祀る石上布瑠神社があります。
昭和56年、道路拡張工事のため、御腰掛岩と桜の樹を境内に移し、伝説と共に保存したもの」

勝石の左に境内社三社が祀られています。

右手の社は菅原道真を祀る菅原神社。
創建については触れられていなかった。

柿本人麿朝臣を祀る柿本神社です、以下は神社HPより。
柿本人麿は宮廷に奉仕した第一の歌人であり物部氏の流れとの説もあります。 石見と深い関わりがあり「君がため浮沼の池の菱摘むと わが染めし袖濡れにけるかも」という歌があります。(石見国で没する) 御神徳は学業成就・学問向上・安産・防火等。

淡島神社
少彦名命を祀る末社です。
医薬の神・足傷神・女性の守り神。⁽腰から下の病に霊験あらたかと言われています)

八重山神社。
伊邪那美命大山祇神、若布都主神を祀る末社です。
御神徳は牛馬守護・交通安全等。

ここから少し離れて恵比須神社がありますが、その前にこれらの奥にある末社を参拝。

勝石の左から奥に繋がる参道。

本殿左にあたるこの場所には末社 西五社と稲荷神社が祀られています。
五社相殿の社には荒経霊社の素戔嗚尊、皇祖四代社の天忍穂耳尊・瓊瓊杵命、彦火々出見尊・鵜草葺不合命が祀られています。

本殿左の境内社の眺め、右が西五社で左が稲荷神社。

稲荷神社。
祭神は稲倉魂命ほか大穴牟遅神大年神、大地主神を祀ります。
御神徳は五穀豊穣・諸業繁栄等。

左手の石標が立っている道を上に進むと御神墓に至りますが、長時間運転してのゴールが見えない山道は諦めました。
マップでは本殿のすぐ後方にあるようなんですが。

稲荷神社左の石碑。
なんとかの跡と彫られているのだが碑文が読めない。

西側から見上げる物部神社本殿。
島根県では出雲大社に次ぐ大きさを誇り、春日造りとしては日本一の規模を誇ると云われるだけに、間近でみるとその大きさを実感できます。

本殿右側から西五社と本殿の眺め、手前は東五社。
屋根から庇にかけての姿は見慣れた春日造りと少し違う印象を持つかもしれません、神社由緒にあった「変態」とはこの辺りをさしているのだろうか。
鰹木は3本、千木は外削ぎの置き千木が乗る。

東五社(左)。
「日本書記」において天地開闢のあとに現れた13柱(神世七代)を祀る末社です。
祭神は国常立尊国狭槌尊豊斟渟尊、泥土煮尊、砂土煮尊、角杙尊、活杙尊、大戸道尊、大戸辺尊、面足尊、惶根尊、伊弉諾尊伊弉冉尊
須賀見神社・乙見神社(右)。
御祭神はそれぞれ宇摩志麻遅命の子孫にあたる六見宿禰命と三見宿禰命で、第6代孝安天皇の御代に活躍さした神様です。

須賀見神社・乙見神社の右に鎮座する境内摂社 後神社。
境内社の中にあって唯一拝殿を持つ神社。

瓦葺で三方に格子戸を持つもので、正面は入母屋で奥は切妻の建物。
妻壁には「後神社」と書かれた素木の額が掛けられています。

拝殿内から本殿の眺め。
御祭神は宇摩志麻遅命の妃神である師長姫命を祀り、拝殿前の2本の杉の木に守られるように静かに鎮座しています。

後神社の左に二社の境内末社
上は土社。
波邇夜須毘古神と波邇夜須毘売神で土の神、陶器の神。
火社と同じく鎮火祭にて祭事が行われ、赤土を供え防火の神とも云われる
下は火社。
祭神は火之加具土神。
火を司る神、毎年7月19日本社にて行われる鎮火祭にて、水神・土神・瓢・川菜を供え災厄を御鎮めしている。

そこから左に回り込み後神社の後ろの眺め。
銅葺屋根の平入で、拝殿側の屋根が長く滑らかな反りを持つ本殿。

後神社の右の一瓶社。
佐比売山三瓶大明神を祀る末社で、石見国を制した宇摩志麻遅命は3つの聖なる瓶を各所に納め、平和を祈りました。
その1つが一瓶社で、2つめは浮布池の邇幣姫神社に、3つ目は三瓶山の麓の三瓶大明神に奉納されました。 これが三瓶山の名の由来になったと言われています。
また一瓶社には室町時代頃の古備前の大甕が現存しているとされ、代々この大甕を使って神饌用の御神酒を造っており、12月には一瓶社内で正月節分に白酒を造る酒造神事が執り行われると言います。

上は末社妙見神社
祭神は妙見大神、合祀地主神。
妙見大神は新道では天御中主神と同一神とされ、造化三神の一神であり宇宙根源神ともされます。
仏教では妙見菩薩として北極星の神として天上を護る神様、合祀の地主神は大地主神とも云われ、地を護る神様です。
両神合祀であるため天地を護る神様。

下は末社の眞名井神社(水神社)。
祭神は罔象女神御井神。
往古より祭典時の御供の水として使われている井戸の神様。
正月等の御神酒の水や手水に流される御神水もこの水が使われている。

禊石。
後神社の石段前に、一対の鶴が守護する大きな岩と社があります。
神職が神事の時に身の穢れを祓い清める祓所だとの事。
この後方にはかつての神宮寺跡がありますが遺構は残っていなかった。

本殿の破風飾りには亀の彫刻が彫られています、あれで子どもの背丈ほどもあるという。

拝殿右から眺める拝殿と本殿。
春日造りとしては日本一の規模を誇り、石見銀山争奪の戦火で三度消失したと伝わります。
手前の拝殿は昭和12年(1937)に改築されたもの。

境内西側の眺め。
こちら側には神馬像と納札所があり、更に奥に進むと恵比須神社などが鎮座します。
この神馬像「パーソロン号」は七冠馬シンボリルドルフの父馬で、その血統で一時代を築いたサラブレッドです。
競馬ファンが訪れることから御神馬像の前には野菜や果物などが供えられていることもあるそうだ。
もともとは大正9年(1920)奉納の神馬像があったそうですが、太平洋戦争の際に供出され、平成2年(1990)までは神馬はいなかった。

境内末社 恵比寿神社
祭神は事代主命大国主命
もとは境内西の道路沿いの氏子地域に鎮座していたが、交通量の増加により祭典が困難となり平成27年にこの地に遷座した。

恵比寿神社の後ろに大きな椨の樹が聳える。
古来より子育ての御神木として崇められ、夜泣をする子供を幹の空洞に一晩寝かせておくと夜泣は治ったとされ、子供の病気や怪我を治す神様。世が世なら手が後ろに回りそうな、玄関締め出しは経験があるがさすがに一晩はないな。

中には聖天さんと呼ばれる石像が安置されています。
双神像で男天と女天が抱き合う姿だそうで、富貴を与え、病を除く夫婦和合の神様で、縁結び、子宝を授けて頂けるそうです。

椨の巨木の後ろには、更に大きな椋木が聳えています。
この樹の葉は紙やすりの代用になるらしい、樹齢は定かではありませんが、根の張りは相当なもので、
自然の力強さに溢れています。

石見尊徳岩谷九十老翁頌徳碑
江戸後期から明治中期にかけての地元の豪農・岩谷九十老翁(米安大明神)を顕彰する石碑です。
飢饉の時には私財をなげうって町民に食べ物を分け与えるなど地域に多大な貢献をされた方で、地元川合小学校の校歌にも物部神社の名と共に残っているそうです。
正面の書は徳川宗家の第16代当主徳川家達のものだそうです。

立神巌弔魂碑。
大正2年、川合村尋常小学校と高等小学校の生徒たちが水難事故に遭い、多くの被害者を出したようで、事故の起きた6月7日になると川合小学校の6年生徒によりこの碑を清め、花を手向け手を合わせるそうです。


立神巌弔魂碑付近から社殿と八百山の眺め。

社務所と大鳥居の方向の眺め。
石見國一の宮という事で多くの参拝客を想定していましたが、大陸からの参拝客もなく、多くの神話が伝わる物部神社は静寂に包まれていました。

石見國一宮 物部神社
創建 / 継体天皇八年(513)
祭神 / 宇摩志麻遅命
境内社 / 後神社、神代七代社(東五社)、皇祖四代社(西五社)、一瓶社など
所在地 / ​​島根県大田市川合町川合1545
参拝日 / 2024/05/23
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