少彦名神社
桜天神社から桜通本町交差点を北に向かい本町通を名古屋城方向へ。
名古屋城から南に続く本町通は、名古屋城築城にともない現在の丸の内、錦周辺にかけての城下町を東西南北に碁盤の目の様に区切り、武家屋敷や寺社、町屋が整然と建てられてきた場所。
区切られた一帯は基盤割と呼ばれ、本町通りはその中心にあたる通り。
今回の少彦名神社へは、桜通りを越えて、本町通りを進み4ブロック先の北側で右に歩いていくと写真の社殿が現れます。
社頭前を東西に続く道は下街道で、ここまで参拝した神社と比較すれば周囲の景観は随分と違い、開放的な空間に社殿があります。
社頭は南向きで、社地は東西に細長く、右手に「薬祖 少彦名神社」の社標が建てられています。
社標の寄進年は昭和36年とありました。
鳥居は社地の中ほどに木造の明神鳥居を構えます。
名古屋市の散策路のひとつ基盤割コースのスポットになっているようで、写真の案内図も掲げられ、下には尾張名所図会の京町通の解説がありました。
「和泉町・茶屋町・京町・中市場町が属していた筋で、京町は清州から移された町名。
京都から御服物などを扱う商人が移り住んだことが由来。
安政2年(1855)の大火後、薬種問屋街として発展した。
茶屋町には尾州茶屋家や伊藤次郎左衛門家(のちの松坂屋)など名門・富豪が並んでいた」
因みに解説は以下のようなものでした。
その古事により、二柱の神様が医薬の祖「薬祖神(やくそしん)」として祀られています。
「薬と健康の神様」を祀る神社として、「無病息災」、「病気快癒」を祈願するための数少ない神社であることから、健康と病気回復を願う人の参拝が多く、今でも付近には薬を扱う会社が集まっています。
大国主命が丸裸にされた白兎の体を蒲の穂で治療を施し快癒した「因幡の白兎伝説」にちなみ、幸運を招く「福兎」を社の象徴としています。
社殿建立は、大正4年(1915)」
社殿全景。
鳥居の右に由緒と撫で兎?。
参道の先に本殿とそれを守護する狛犬の姿が見られます。
鳥居前から境内を眺める。
街中だからか雑草もなく境内は綺麗に整備されています。
少彦名命と大国主命は、日本書紀や古事記に記されているように全国を巡り、国土開発や病気治療、医薬の普及など多くの業績を残されました。
その故事にならい、諸人は元より、茶業、医療に携わる人々が、両神を「蒸祖神」として崇め、お祀りするのは、このような由来によるものであります。
福兎
鳥居額には「少彦名神社」とある。
無病息災・病気快癒の福兎。
本殿域全景。
流造の社殿と基壇の上に狛犬も祀られている。
本殿側面から本殿域の眺め。
本殿を守護する白い眼をした狛犬、小さいが精悍な顔つきに見える。
寄進年未確認の狛犬。
神社の創建は境内、社頭の解説にあるように、創建は大正4年(1915)。
少彦名命 大国主命をお祀りする神社。
起こりは茨城県大洗海岸の大洗磯前神社と茨城県那珂湊市の酒列磯前神社より、少彦名命と大国主命を勧請し、旧住居表示の東区呉服町2丁目に鎮座したのが起こり。
空襲により社殿を焼失。
昭和23年(1948)、現在地に遷座。
昭和25年(1950)、大阪の少彦名神社からご分霊を合祀。
昭和34年(1959)、伊勢湾台風で被災、同年に再建。
平成27年(2015)、鳥居と社殿を新築。
10月16日(土、日の場合、前日の平日)の大祭の神事では、古くから使われてきた薬研(やげん)と鉄鉢を使用した、古式手法で薬の原料を粉末にし、神前で調薬・お供えする神事が行われるという。
時代劇とかでは見た事はあるが、実際に見た事がないのでこの神事一度は見たいものです。
少彦名神社
創建 / 大正4年(1915)
祭神 / 少彦名命、大国主命
所在地 / 名古屋市中区丸の内3-2-24
参拝日 / 2023/09/01
公共交通機関アクセス / 地下鉄名城線久屋大通駅から徒歩10分
桜天神から徒歩 / 桜通本町交差点を北へ徒歩15分前後
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