8/21~23、高山市朝日町胡桃島にある「くるみ温泉&キャンプ」に行ってきましたが、今回は秋神川下流の散策中に見かけた宮之前「小鷹(こたか)神社」を掲載します。
鎮座地はキャンプ場から秋神川左岸を30分程下った朝日町宮之前地区にあり、集落のほゞ中央に一ノ鳥居を構え、そこから西側の山の麓に建つニノ鳥居まで真っすぐに続く長い参道を持つ神社。
集落を一望する高台に鎮座し、いかにも集落の鎮守らしい佇まいの神社。
一ノ鳥居は県道435号線に建てられ、参道口に大正時代に寄進された「小鷹神社」の社標と平成4年(1992)に寄進された石造の明神鳥居を構えています。
田畑の中、遥か先のニノ鳥居と鎮守の杜に続く参道の光景は映画のワンシーンでも見ているようです。
個人的に、こうした日本の原風景を感じさせる神社にとても魅かれる。
参道中ほどから宮之前集落を眺める。
現在の世帯数は当時の集落の軒数と比較しても明らかに減少しており、高齢化した住民の数より過剰な動物愛護により獣の方が数を増し、散策中にも幾つか捕獲檻を目にすることになる。
現地では小鷹(こたか)神社の由緒は見かけなかったので、岐阜県神社庁を見たところ、以下のように解説されていました。
「創祀未詳。
祭神は大己貴大神、少名彦神、大山積大神。
由緒不明なれど、明治44年6月23日字川島無格社山神神社を合祀す。
例祭日8月29日」
と簡潔に記されていました。
鬣も立派で肉付きのよい小鷹神社の狛犬。
阿形の後方に手水舎があります。
大きな舟形をした手水鉢で龍の姿はない。
社殿は、正面の拝殿・覆殿、左右に境内社が祀られています。
神社の由緒について調べてみたところ、地元の解説で境内社について記されたものを見付けたので以下に掲載します。
「神社年代表によると創建年代は詳しくは分からない。
鎌倉時代の作とされる神像や室町時代の作と見られる口・木作りの鍬などが社内に残っていることから、鎌倉若しくは室町時代のどちらかに建立されたと思われる。
里伝によれば、仙夫(そまふ)が信州より奉持して大杉の元に奉祀されたと言われている。
当時は秋神七ヶ部落全戸が氏子であったが、明治中期に各部落に分祀され、現在では当宮之前と上下両桑之島の三部落が氏子となっている。
「仙夫(そまふ)が信州より奉持」とあり信州の何処からか調べて見たが良く分からなかった。
キャンプ場のある胡桃島集落にも小鷹神社が鎮座しますが、ここ宮之前の小鷹神社がはじまりのようです。
境内の樹々は種類も多く、古いもので樹齢400年を超すものも聳えています。
杜には高山市の文化財(天然記念物)に指定されている大杉・いちい・ひのきがあります。
杉は目通り7.8㍍、高さは優に40㍍を越え、いちいは目通り37.8㍍・高さ40㍍、ひのきは目通り4.5㍍と堂々たる樹々が真っすぐと空に向かって聳えています。
拝殿は床を上げられた切づの拝殿で周囲には濡縁が施され、棟には5本の鰹木と垂直に切り落とされた外削ぎの千木が施されています。
今でこそ大雪に見舞われる事は少ないのかもしれないが、嘗ては今は閉鎖した鈴蘭高原スキー場もあった大雪に見舞われる地域、急角度の屋根勾配はそうしたこともあるのだろう。
その昔はわが社の保養所もあり、スキーシーズンに小坂から何度も登ったが、当時は四駆でもおっかない道だったことを覚えている。
覆殿。
この状況なので本殿の姿は垣間見ることも出来ない。
拝殿内。
左右に随神が安置され、小鷹神社の額と奉納絵馬が掛けられていました。
小鷹神社の拝殿額、右には今から飛び立たんばかりの鷹の姿がある。
左右の随神。
拝殿右の稲荷社覆殿。
江戸末期安政七年(1860)、秋神全戸で勧請した稲荷神社。
狛狐の姿こそ見えないが、覆殿の中にはしっかり安置されているだろう。
拝殿左の覆殿。
神社庁の解説にあった明治44年(1911)、字川島無格社山神神社とはこのことを指しているのだろう。
二つの社の間に木像らしきものが安置されていたが、それがなにかまで良く分からなかった。
両社の創建は不明、こちらの賽銭箱に纏めて投入。
長い参道を戻り、炎天下の県道をキャンプ場に向かう。