

三の鳥居の先に境内が広がります

樹齢は500年とも云われますが、この巨木が神社の歴史を物語っています

熊野三山は熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの神社の総称で、この熊野三山を総本社とする神社を指します
御祭神 / 伊邪那美命、速玉之男命、事解男命
創建 / 1558年~1570年(永禄年間)、山崎城主佐久間信盛が城中の守護神として祀った事から始まります、後の1627年(寛永4)に山崎村並びに付近一帯の住民の守護神として現在地に再建された
ここから北に5分程歩くと安泰寺に至ります、そちらが旧山崎城址と云われています



手水舎脇の紫の藤に似た花が目にとまる、名前が知りたところです

「松巨島」と呼ばれるようになった由縁は、昔の熱田方面からこの地を眺めると、この一帯が「松の大きな島」に見えた事から呼ばれるようになったと伝えられ、古い地史にもその名は出てきます
左の手水鉢は、何らかの理由で境内に埋められていたものを1960 年頃に掘り出されたもの、正面に「松巨嶋」と刻まれ、この地が松巨嶋と呼ばれていたことを伝えています



緑青の青緑と背景の緑が印象的です



境内の右に西向きに祀られた浅間社(右)と津島社(左)
下
社殿右の南に向いて祀られる八王寺社(右)と八幡社(左)
その奥に旧山崎城の掘り跡を名鉄名古屋本線が通ります、境内からは遮断機の音が良く聞こえてきます

熊野三社、斜めからの一枚
御神木の大きさが良くわかります
御神木の大きさが良くわかります

御神木と社殿全景、台風シーズンは御神木が風を受け止めるはずです
歳が歳だけに心配な絵でもあります
下
社殿右のおたすけ石、謂れや取り扱い方が良くわかりません
おもかる石、あるいは力石的な感じ??

民家の前を細い道が続く、歩く事数分
狭い事に変わりはないのですが若干広い(軽自動車が精いっぱい?)道に出ました
まっすぐ進むと高架を渡り山崎城址に続くのですが
左側の道の先に小さな祠らしき物が目にとまったので向かう事にしました(右側の消火器の先です)

旧東海道、鎌倉街道等の街道も近い土地柄、周辺でもお地蔵様は良く見かけます
こちらお地蔵様とは全くの初対面
地蔵の左右に元号らしき彫が見えるのですが、コントラストの調整で読めるものと思っていたが
甘かった、どの写真も読み取れませんでした
得意の、後日詳細が分かれば追記する事にします
地蔵堂の先を左に折れると再び旧東海道に出ます
今回はこれで山崎橋方向に向かい帰途に付く事にします
歩いてきて大正解の熊野三社です
熊野三社
住所 / 名古屋市南区呼続2丁目6
アクセス / 名鉄名古屋本線「呼続」駅から徒歩約10分
地蔵堂
住所 / 名古屋市南区呼続2丁目2
アクセス / 熊野三社北側参道から徒歩数分







