『長草天神社』

2019年秋から巡り始めたかみさんの知多四国八十八箇所霊場巡り。
残りも5番と87、88番札所を残すのみ。
終わりが見えてくると年内に一巡しておきたくなるもので、12月2日万願寺を目指し出かけてきました。
万願寺でゴールと行きたいところですが、JR共和駅からスタートするとロスが大きい。
それは諦め、五番札所地蔵寺を目指す、今回は地蔵寺に隣接する『長草天神社』を掲載します。

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長草天神社
JR共和駅から南西に進み県道243号線沿いを20分程歩くと長草天神社到着。
社頭全景。石の明神鳥居があり、鳥居を一歩くぐった左に手水舎と社号標。

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手水舎と時代に振り回された象徴「村社 天神社」の社号標。
管が付けられた龍口も時代を象徴する光景かも知れない。

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鳥居の額はシックなものです。
参道からすぐに石段が始まり、目と鼻の先の境内に続いています。

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天神社だけに石段を昇り始めた中ほどに大きな撫で牛が出迎えてくれる。

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石段左の由緒書き

「御祭神 管原道真公
例祭日 2月25日直前日曜日
御由緒
鎌倉時代英比ノ庄(大府市は当時英比ノ庄に属す)の地頭藤田民部は家人の藤次藤左衛門等をこの地に入墾させ、明応三年(1494)六月十九日地頭の邸内に祀られていた菅原道真公を産土神として迎えられたのが当時の創建と云われている。
御祭神が丈道の大祖であることから、学問の神として合格祈願に詣でる人は遠近を問わず、御神徳はきわめてあらたか。

大府市無形民俗文化財(平成14年指定)
どぶろく祭り
特殊神事として知られる「どぶろく祭り」は本社創建の際、藤田民部が寄進した御供田一反歩の収穫米をもって「どぶろく」を醸し、正月二十五日(現在は2月24日直前日曜日)に神前に供え、社頭で氏子、参拝者に振舞ったのが始まり。
諸事情によって寛文五年(1665)より三年間中断したところ悪病が流行し、多くが病死し村は衰退した。
これは神酒醸造を中止したからだと、寛文八年(1668)より再開したところ凶事凶作もなく平和な村になったと云う。
その後この神事は如何なる年でも継承され現在に至る」

創建から500年以上も風化することなくこの地で受け継がれている神事。
境内左には「長草天神社どぶろく酒造所」として醸造専用の建物も建てられている。

f:id:owari-nagoya55:20211214181615j:plain境内は右に社務所、その手前に梅の樹と歌碑が建つ。

「こち(東風)ふかば 匂ひおこせよ 梅の花あるじなしとて 春なわすれそ」

藤原時平一派の策略にはめられた道真は京から太宰府に流される時、手をかけていた梅を前に詠んだ有名な和歌。

f:id:owari-nagoya55:20211214181644j:plain石段脇の樹齢を重ねた楠の樹。

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長草天神社拝殿全景。
入母屋瓦葺の平入で軒唐破風付きの拝殿に見えましたが、横から見ると拝殿と幣殿、本殿が一体となる権現造なのがよく分かる。
社殿の壁面は木を多用し、見た目に温もりを感じる。
拝殿左の建屋は長草天神社どぶろく酒造所。

f:id:owari-nagoya55:20211214181724j:plain拝殿前の狛犬

御影石の産地岡崎も近いこともありお馴染みの容姿。
寄進されたのは比較的新しいようです。

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参拝を終え、拝殿から唐破風を見上げる。
瓦や破風飾りなどいたる所に梅鉢紋が施され、温もりのあるシックな外観に金色の飾り金具が輝きアクセントになっている。
拝殿内は窓が少なく薄暗いけれど、コンクリートにはないディテールや温もりが溢れている。

余談になりますが最近在来工法で寺を再建する光景に出くわした。
そこでおじさん達に交じり一人の若い女性の姿を見て、伝統技術を受け継ぐ若い世代がいる事に関心した。
遷宮にしても建て替えにしても、伝統的な技術を次の世代に継承するのに一役買っている。

f:id:owari-nagoya55:20211214181806j:plain社殿左からの眺め。

この辺りの境内は広々とした余裕のある空間がある。
境内の杜は主に楠木が主のようで、それら見事な枝ぶりのものばかり。

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拝殿左に境内社が纏められ、更に左の建物が長草天神社どぶろく酒造所。

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本殿は透かし塀もあり、全体を窺うことは出来なかった。
垂木や隅木にも梅紋の入った飾り金具が施され、コンクリートではあまり意味のない技術かもしれない。

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本殿左にも撫で牛。
天神様と牛
「天神様と牛を結び逸話は数多くある。
社頭に牛の像があるのも天神様のお使いとして信仰され、心願成就、病の平癒など祈願し牛を撫でる風習がある。
謂れは一般的に道真公が丑年の丑の刻生まれとされ、牛を大切されたという」

道真が丑年なのは知ってはいたが、真意のほどは定かではないようですが、丑の刻(午前1~3時)生まれだと云うのは今更ながら知らなかった。

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その左に境内社が二社祀られています。
そこを守護するのが石柱の台座に乗せられ、小粒ながらしっかり角を持つ可愛い狛犬
相方も一緒に載せたかったが、色が飛んでしまい吽形のみとなってしまった。

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右手が津島社
祭神は建速須佐之男命
左手が五社
神明社、藤井神社、田ノ神社、山ノ神社、荒神社の五社相殿。
祭神は天照皇大御神豊受大御神大山祇大神大名持大神、少名彦大神、火産霊大神、猿田彦大神

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長草天神社どぶろく酒造所
6つの酒元組により、輪番でどぶろく醸造し「とぶろく祭」当日に1年の無病息災を祈願し参拝客に振る舞われるそうだ。…これは機会があれば来るしかないナ。

その西は隣接する地蔵寺
江戸末期まで同じ敷地内にあり、境内西側から地蔵寺山門前に繋がっている。
今頃かみさんはこちらで納経を済ませている頃だろう。

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境内西側の清祓所と鷽替之碑
鷽替(うそかえ)とは、天満宮の特殊神事のひとつ、野鳥の鷽(ウソ)が嘘(うそ)に通じることから、前年の災厄・凶事などを嘘とし、新しい年が吉となるように祈念する神事。
実物の鷽が見ると「ウソ!」と思うかもしれないがデホルメされた鷽の石像。

そろそろかみさんの元に行かねば。
まだこの下に狛犬が見える、待たせついでに行ってみよう。

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境内南側は一段下がって県道249号線沿いに小さな神域があり、奥に狛犬が見えます。
入口左に手水鉢がありました、元号は文化(1804~1818年)と刻まれていた。

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先に進むと上の境内から見えていた狛犬とその先に……?
この先は参道入口の楠木の巨木と撫で牛に繋がっている。
この狛犬はそれらを守護しているのかな?

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境内から地蔵寺山門前の石段に繋がる脇参道。
ここから地蔵寺に向かいます、随分待たせてしまった。

長草天神社
創建 /   1494年(明応3)
祭神 / 管原道真、菅原雅規
境内社 / 津島神社、五社宮(神明社、藤井神社、田ノ神社、山ノ神社、荒神
所在地 / ​大府市長草町本郷44
公共交通機関アクセス / JR東海道本線「共和」駅から徒歩20分程
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